日本で、図案的な(装飾的な)デザインと工業的なデザインがほぼ没交渉に展開されてきた歴史的経緯がようやくわかってきた
わかってきたから何って話なんだけど
日本で、図案的な(装飾的な)デザインと工業的なデザインがほぼ没交渉に展開されてきた歴史的経緯がようやくわかってきた
わかってきたから何って話なんだけど
> 日本的という意味を一言で尽せば「木版式石版が日本の特色となって、今日も尚連綿としてそれを改めない」茲に木版式というのは平面的であって、淡薄であるという意味にもなる。これが日本石版術の特徴である。
> 多年木版と日本画をもって養われて来た我日本人の頭脳は、遺伝的にもやはり淡薄を好み平面を好む筈である。近時多少共、濃厚立体的趣味を理解してきたとは言え、やはり依然として古来の習慣は脱け切らぬものがある。これが国民性だと論じるならば、私は黙認する。而して長年月を経るうちには何とか変化する性質のものであるかもわからない。それはとにかく、今日迄事実となって現れた所に拠ると、日本の石版は外国とは違った特色を備えて発達してきたというより他に仕方がない。
(「浮世絵の知識」織田一磨, 1930)
「国民性」とかはアレだとしても、百年近く経っても傾向が変わらなかった(と自分は思っているんだけど)のはなんでだろうな…。
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国民性うんぬんというか、美的な規範が伝統の中でしか成立しなくて、それはやっぱり明治から変わらずずっとひきずっている
Emil Orlik のこれかっこいいな。
https://www.britishmuseum.org/collection/object/P_1949-0411-4508
「彼の収穫多い日本旅行からの帰りを心待ちにしていた一人に、幼馴染の詩人リルケの姿もあった。リルケにとって、オルリークから伝えられた日本体験は、北斎への関心を高め、浮世絵をテーマにした詩作に影響を与えたことであろう」
へぇー。エミール・オルリックの名前もしらなかったんだけど、リルケに浮世絵をテーマにした詩があるのも知らなかった。
いまのSNSで左とか右とか言ったとき、たんに左右っていう空間的なイメージをつくって自分の立ち位置を固めるっていう意味しかないな。自分の安定した立ち位置から見たときに偏って見えるものを左とか右とか言う。そういうことによって得られるのは、自分の足場の安定性だけど、言うまでもなく仮初めの安定性にすぎない。
これの「清掃する女」見てきたけど、めちゃくちゃ良かった。
シネマの再創造・リブート | 七里圭 Kei Shichiri
http://keishichiri.com/jp/events/reboot/