それにしてもすごい値段だ
「死後35年余、ますます重要性を増すミシェル・フーコー。実証的研究と哲学的考察が交差するその巨大な思想圏を、現在の人文科学の観点から多角的に解明する。京都大学人文科学研究所が主催、4年に渡る共同研究の成果を一挙収録。今後の人文科学において長く参照されうる強度をもった、フーコー研究の最前線にして到達点。」
フーコー研究 小泉 義之(著/文) - 岩波書店 | 版元ドットコム https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784000614610
それにしてもすごい値段だ
「死後35年余、ますます重要性を増すミシェル・フーコー。実証的研究と哲学的考察が交差するその巨大な思想圏を、現在の人文科学の観点から多角的に解明する。京都大学人文科学研究所が主催、4年に渡る共同研究の成果を一挙収録。今後の人文科学において長く参照されうる強度をもった、フーコー研究の最前線にして到達点。」
フーコー研究 小泉 義之(著/文) - 岩波書店 | 版元ドットコム https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784000614610
「酔っ払ってわけがわからなくなる」と言うが,別に酒など飲まなくても普段から一切合切わけがわからないまま生きているが…?(それはそれとして酒は飲む
クノー『文体練習』の数学版だ
1つの定理を証明する99の方法 | 森北出版株式会社 https://www.morikita.co.jp/books/book/3386?
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この半年くらいよく考えないで買物することが多く(吟味する時間的・体力的余裕が乏しかった),後から要らなくなったり追加で要る物が出たりしてきびしい
これかぁなるほど良さそう
ロジクールZ150コンパクト ステレオ スピーカー、ヘッドフォンジャック経由で接続 https://www.logicool.co.jp/ja-jp/product/multimedia-speakers-z150
揺れたとき本を落とすか落とさないか,あるいはどううまく落とすか - ささくれ http://cheb.hatenablog.com/entry/2012/12/20/210840
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「14~17世紀の日本で採掘が進み、東アジア諸国に大量に輸出された「硫黄(サルファー)」と「銀(シルバー)」。その大量産出は、日本社会に新たなビジネスを生む一方で、アジアおよび世界の軍事・経済的な需要と結びついて、東アジア全体の貿易構造の転換をもたらした。」
硫黄と銀の室町・戦国 鹿毛敏夫(編集) - 思文閣出版 | 版元ドットコム https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784784220069
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振り返ってみるとこの1週間はひたすらソポクレースとピンダロスを読むばかりで休暇らしい休暇だったと言える
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いやちょっと怪しいかもしれない.「同じ学校ないし同じ師について学んだ」なので「学んだ」に卒業まで行ってることが含まれていればこの理解は間違いか
同学,同門,校友……なるべく広く指すものを探してみても「卒業の有無を問わずその学校で学んだ経験がある全員」を指す語はむつかしいな
「卒業・修了しなかったのにそこに所属したことをアイデンティティの一部にする」というのは妙な気もするが「東京大学除籍」とかを書く†評論家†とかもいたりするしね…
それを言い出すと「ナントカ大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学」などと戒名のような経歴を持つ人間をかつて量産したこの分野は…という話になるが
@ant_onion 最近はなるべく課程博士を出す方向へシフトしてきたのですが,遅れている感じはありますね
「嫉妬,羨望」ζῆλος の類義語として ἐπιχαιρεκακία が挙がってきたけど確かに言われてみればそうではある.これはドイツ語の Schadenfreude と同じで「他人の不幸を喜ぶ気持ち」のこと.
建築は強さ(firmitas)と有益さ(utilitas)と優美さ(venustas)の比率・理法(ratio)が保たれるようになされねばならない,というのがウィトルーウィウスの言葉(Vitr. 1.3.2)だが,後のフロンティーヌスが,ローマの水道設備を無益なエジプトのピラミッドやギリシアの芸術作品と比べてみよと言ったのも同じような精神だろうか.
「建築家の知識は多くの学問と種々の教養によって具備され,この知識の判断によって他の技術によって造られた作品も全て吟味される.それは制作(fabrica)と理論(ratiocinatio)から成立つ.制作とは絶えず練磨して実技を考究することであり,それは造形の意図に適うあらゆる材料を用いて手によって達成される.一方,理論とは巧みに造られた作品を比例乗りによって証明し説明しうるもののことである.
それで,学問をかえり見ないで腕の方に習熟するよう努めた建築家は努力の割には権威を獲得するようになりえなかったし,また理論と学問だけに頼った人たちも本体ではなく幻影(umbra)を追及(ママ)していたように思われる.これに対して二つながら十分に習得した人は,あらゆる武器で装備された人のように,意図されているものを権威をもって獲得した」
(ウィトルーウィウス『建築書』1.1.1-2 森田訳)
ウィトルーウィウス『建築書』を,建築に関する専門的な技術書だと思って読み始めるとーー実際本題的にはそういう記述が主なのだけどもーー建築家が諸学問についてそれぞれの専門家ほどではないにせよ通じていなくてはならない,という序文に示された考えに少し面食らう感じがある.
「そして願わくば,建築家は文章の学を解し,描画に熟達し,幾何学に精通し,多くの歴史を知り,努めて哲学者に聞き,音楽を理解し,医術に無知でなく,法律家の所論を知り,星学あるいは天空理論の知識を持ちたいものである」(1.1.3 森田訳)
こうしてみるとウィトルーウィウスの建築学に関する所説は,ちょうどキケローが「立派に語る力」と「賢明に思索する力」の合一を目指したように,理論と実践の乖離を警戒するローマの知識人に典型的な態度と取れるかもしれない(2018年に読んでるときは多分そこまで考えていない).
https://gnosia.info/@ncrt035/104974613114321640
https://gnosia.info/@ncrt035/100189765984994921
「2021年は12.58970%経過しました。」とのこと。