家にいても考えが「帰りたい」の人
休暇中でも考えが「仕事したくない」の人
「ここしばらくなかったほど幸せな気分だと(前)大統領は語っている。ソーシャルメディアから離れ、ソーシャルメディアに渦巻く憎しみの連鎖にさらされずにすむのは、実に良いことだと話していた」
大統領をやめツイッターもできないトランプは弾劾裁判直前でも上機嫌の日々|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/02/post-95592.php
ドーナッツ屋さんに行ってきたんだけどお昼前の時間もあって普段行くときより人が入っていた.後ろに人が控えていると最後のひとつみたいなのは注文しにくい.
この前の展覧会の物販で私はレターセットとかポストカードしか買わなかったけど,小さめの原画も数千円くらいから売ってて実際買っている人もいたが,若い芸術家にお金を落とすの気持ちよさそうだしある種の沼に通じてそう.
大富豪になっても学問芸術を解する心がないと,金を殖やすことや撒くこと自体を娯楽化するしかなくお金配りおじさんみたいな下品で最悪な存在にしかなれないので教養は大事(適当
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多少ゆとりができたので3週くらい前から読んでいた『アンティゴネー』を読み終わった.前読んだときは一部だけだったので原典を通しでやったのは初めて.
「近年、計読(テキストマイニング、テキストアナリティクス、計量テキスト分析、質的データ分析)は人文・社会科学の多岐にわたる領域で応用が進みつつある。本書は単なるハウツーではなく、具体的な課題に計読の諸技法を本格的に適用した研究成果を集めた。思想史・概念史、学説研究、ジャーナリズム言説の分析、研究者ネットワークの分析など、研究会での議論を通じた切磋琢磨を経て、現代日本の計読研究の規準を提示する。」
テキスト計量の最前線 データ時代の社会知を拓く 左古輝人編 https://www.hituzi.co.jp/hituzibooks/ISBN978-4-8234-1072-7.htm
「世界歴史大系シリーズ「イタリア史」全3巻の第1巻で、イタリア半島に展開した3000年のうち、古代から中世初期を扱う。」
イタリア史1 松本 宣郎(編集) - 山川出版社 | 版元ドットコム https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784634462014
実際に書体デザインするならいきなりFontForgeやらFontLabやらを起動するよりもスケッチブックに描いてからの方が良さそう
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「余人をもって代えがたい」を理由に調整役の老人が跋扈するという(https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2102/09/news046_4.html )ので,「おじさんは「誰に情報を渡して、誰に情報を渡さないか」というところで仕事をコントロールしている」という数年前の記事(https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00087/00031/ と https://ix-careercompass.jp/article/982/)の話を思い出した
https://gnosia.info/@ncrt035/103954508577025724
これオブ・ザ・イヤー候補だわ…
「あまり世代間論争にはしたくないのですが、40代以上の世代には「コミュニケーション=利害調整」と捉える人が多いですね。情報の流れをコントロールして、組織を円滑に回そうとする。その結果、意図的に情報を隠したり、情報格差をつくったりします。つまりコミュニケーションは人心掌握、説得、コントロールの術であって、正しい情報を伝えることがゴールではないのです。
ですが、それ以下の若い世代では「コミュニケーション=課題解決」と捉えている人が多い。今は、一人では解決できない、複雑で、答えのない問題を解かないといけない場面が多くあります。課題解決につながる正しい情報が何かは誰にも分からなくて、全部が重要だし、全部が重要じゃないかもしれない。だからこそ、「課題解決のためには情報を共有すべき」という感覚を、彼らは持っているように思います。」
今も基本的にこのとき(https://gnosia.info/@ncrt035/103954508577025724 )と同じように「そんな†利害調整†とやらで停滞を正当化するのはよしてくれ…」というお気持ちなのは渝わりないのですが,この一年の色々な経験を通して考えると,実際のところ一定以上の規模の仕事を円滑に進めるにはこの種の「広く薄く顔が利く」人材による水面下の調整というのが決して馬鹿にならない重要さを持つことは疑えず,且つその役割の代替を簡単に†技術で解決†できるのか少しく懐疑的にはなりましたね…
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これはとても面白い話なんですよね.自然科学の歴史を考える限りでは,アインシュタインがいなくても相対性理論は他の誰かが多少遅れても生み出しただろう等というのはきっとそうだろうけれども,文学や思想の歴史を考える場合には,プラトーンがいなくてもアリストテレースが代わりをやっただろうとか,ダンテが書かなくても誰かが『神曲』を書いただろうとかとは考えないわけなので.
これと似たような話を昔数学関係の本で読んだ記憶があるのだが思い出せない(例に出ていたのがガウスだった気がする).
そうそうラマヌジャン,ラマヌジャンの発見した定理はラマヌジャンが今も我々は知らないままであろうみたいな感じの記述もあった気がする(が,最近の記憶は本当にあやしく過去を反芻するうちにありもしないことが捏造されていたりするので非常にきびしい…
こういう点にも法則定立的な自然科学と個性記述的な精神科学の方向性の違いがよく現れている.文学研究とかは別になにか"法則性"を引き出したくてやっているわけではないからね.
「世界の真理を知りたいと思うなら、私は哲学はやらない。ストレートに科学をやればよいと思う」
哲学者は物理学者の本気の拳をどう受け止めるか…谷村省吾「一物理学者が観た哲学」を読んで|R. Maruyama|note https://note.mu/rmaruy/n/nd83e0544b286
探究するものが真理か世界観かで事情が違うというのはこの辺の話に近いかもしれない
https://gnosia.info/@ncrt035/99987716161867060
https://gnosia.info/@ncrt035/100101292322483812
https://gnosia.info/@ncrt035/102524274804534644