RT ふむっ「複数の大学関係者によると、ある会議で、文科省の担当者が 『オフレコだけどね、入試政策に従わないと、運営交付金のこと、わかっていますね』と発言したそうです」
https://twitter.com/jumping5555/status/1100347231025082368
RT ふむっ「複数の大学関係者によると、ある会議で、文科省の担当者が 『オフレコだけどね、入試政策に従わないと、運営交付金のこと、わかっていますね』と発言したそうです」
https://twitter.com/jumping5555/status/1100347231025082368
「Googleは、文法チェックは単純に辞書を参照するスペルチェックより難しいが、『Google翻訳』で強化してきた機械翻訳を応用することで実現したと説明する。フランス語から英語に翻訳するのと同様の方法で、文法的な間違いを含む英語の文章を正しい英語の文章に“翻訳”するという」 | 「Googleドキュメント」のAI文法チェッカーが正式版に - ITmedia NEWS
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1902/27/news063.html
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本の整理してたら散らばっていたオックスフォード大学出版局の本が一所に集められてきたのでこの出版社が糸綴じ製本をやめたタイミングがわかるのではという気がしてきた
「そうだね……、そう考えて間違いないだろう。情報化社会の次に来るのは、情報の独立、つまり分散社会だと思うよ」
「そんなにコンピュータばかり増えてしまって、人間は何をすれば良いのですか?」
「何もする必要はないね……」犀川は微笑んだ。「何かをしなくちゃいけないなんて、それこそ幻想だ」
「仕事もせずに、ぶらぶらしている人が増えることになりますね」
「まあ、その言葉には少し意図的な語弊が感じられるけど……、そのとおりだよ」犀川は煙草に火をつけた。「元来、人間はそれを目指してきた。仕事をしないために、頑張ってきたんじゃないのかな? 今さら、仕事がなくなるなんて騒いでいるのはおかしいよ。仕事をすることが人間の本質ではない。ぶらぶらしている方が、ずっと創造的だ。それが文化だと思うよ、僕は」
(森博嗣『すべてがFになる』講談社文庫 p.359)昔読んだ本が出てきたので開いたらここだけドッグイヤーがしてあった🤔
https://misskey.xyz/
Misskeyという、マストドンとは別のソフトウェアによるインスタンスです。
Twitter風のUIやリアクション機能が特徴です
#インスタンス紹介
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教養のありてそのうへ感じよし無名であれよそのままそっと(岩藤由美子)
という歌があってどこだったか探してたんですが,2013年2月10日の日経新聞歌壇(岡井隆選)のうちのひとつだった.
なんか2012年から2014年はじめにかけての日経新聞の歌壇・俳壇はわざわざ写しをとって会心の作に印をつけ,それらをいつでも読めるよう自分用に印刷し直して製本してあって,我ながらよくこんなことしてる暇あったなという感じだ.
そうか,『罪と罰』初訳って内田老鶴圃からだったんだ. 「初代から二代目の頃は,漢文学,人文科学といった人文科学系のもの,あるいは学校教育に準拠した教科書,副読本を出版しています.二代から三代目にかけては,翻訳本が積極的に出版され,日本での初訳本「罪と罰」(内田魯庵)やキルケゴール,ニイチェ,カントなどの翻訳本を出版しました」
内田老鶴圃-会社案内
http://www.rokakuho.co.jp/data/03_company.html
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練りごまから作るイージーモードのやつでも,鍋で5分くらい練るので腕疲れたから,胡麻するところから作ったら修行感が高そう.
パブロフスキーなんて知らなかったんだけど「パヴロフスキーがブランキの革命の宇宙論的肯定をバージョンアップさせたのではないか」とか言われると興味が湧いてしまうな
http://junker-1973.hatenablog.com/entry/2018/01/01/012823
中国語わからん人間なのでアレですが,アズレンとかドルフロは,翻訳の関係上なのか,台詞の雰囲気・言い回しなど,はじめから日本語で書かれたものだったとしたら生まれなかったであろう趣がキャラに具わっている場合があって,そこに独特の魅力を感じている節がある.
これは別に「翻訳がおかしい」とかそういうことを雅やかな言い方で言っているのではなく,純粋に楽しんでいるのとありがたく感じていることの根拠を言語化しようという試みの一環