うーん?なんか自分の中で主張が固まってないな。
「どうやって」に障害を感じることは少なくて、むしろ「何を」に感じることが多い。
腹が減っては戦はできぬ。とりあえず最低限のエネルギーを補充するために、「やりたいことをやりたい」が、短期的にも長期的にもミー自身が何をしたいのか分からない。
余談だけど、なんか500エラーが出て各種アクションができない。
うーん?なんか自分の中で主張が固まってないな。
「どうやって」に障害を感じることは少なくて、むしろ「何を」に感じることが多い。
腹が減っては戦はできぬ。とりあえず最低限のエネルギーを補充するために、「やりたいことをやりたい」が、短期的にも長期的にもミー自身が何をしたいのか分からない。
余談だけど、なんか500エラーが出て各種アクションができない。
具体的な課題における失敗ならどう活かすべきか想像できることもあるが、そうでないパターンが大半で、機会を待てるほど気長でも無いし今は物質的ゆとりも無い。
目先の利益を追うべき時期では無いことも薄々察してはいるが、ある程度コンスタントに報酬が無いと、モチベーションを保つのも難しい。
先達からは「迷いもまた前進のうち。無駄にはならない」みたいな意見を良く聞くが、それは生存者バイアスによる誤認識だと思う。仮にその通りだとしても、迷子本人にとっては気休めにもならん。
しかしまぁ、それを気休めにできた方が有利ではあるんだろうな。
しかし実際のところ、ミーにとっての課題はそこまで抽象的なレベルでは無く、かといって実用書に処方が載ってるほど具体的なレベルでも無い感じがある。困ったなぁ。
「社会はどう在る/するべきか」という問題は未だに決着がつかない。というか、常に議論されるべき性質の問題だろう。
一方で、「個人はどう在る/する/生きるべきか」という問題については、特に抽象的なレベルでは、もう何千年も前にある程度決定的な答えが出ていて、それを未だに継承、改善、再発見しているのでは無かろうか。しかし、それらは日常生活の中でOJT的に学ぶばかりで、腰を据えて学んだ覚えは無い。ここらで一度、まとめておさらいしたいものだ。
目標は実現可能で無いと意味が無いが、その目標が、現実とどんな理想を擦り合わせた結果定まったものなのかは忘れないようにしたい。
実現可能性なんて良くも悪くも勝手に変わるもので、それによって目標を軌道修正する必要が出てきたときに、当初の理想を忘れていると妙な方向に向かいがちである。それはそれとして、理想の側にも修正が必要な場合もあるが。
分類法も目的に応じてその都度作られ、今やその分類種別の合計だけでも100万個ぐらいあるんじゃないかとすら思う。
それに対するひとつの妥協策が、類型による人間の分類な訳だが、これがかえって争いの種になることも珍しくなく。
ハンディキャップの程度や方向性は人によって違うのだから、その支援の程度や方向性も人の数だけ存在すべきだと思うのだが、行うは難しだ。
知らない側の人間からすると、単なる手段の問題、つまり「公権力による取り締まりが実践上困難ないし極めて非効率である」という理由が大きくてこうなってしまったんじゃないかと邪推してしまう。
プラットフォーマーにとって不利益なことを、プラットフォーマーが利用規約の中で禁止し、それに基づいて取り締まりを行うのは理解できる。自然な流れだ。
しかし、公序良俗や法律など、公のルールに反する行為は、公に認められた権力によって取り締まられ、裁かれるのが自然なことでは無いのか?なぜ一私企業、一個人がその権限の一部を認められて、あるいは担わされているのか?
いや、それなりの根拠があってのことだとは思うが。
プラットフォーマーがモデレーションの権限と責任を持つことは、今ではすっかり是認されているが、ミーは未だに納得が行っていない。そこに至るまでの議論、経緯、空気感を知らない世代と言った方が適切か。
赤の他人が危機に瀕しているのを見かけたら、そりゃ同情はするけど、「その人の死を防ぐためなら何でもやる」とまでは思えないよね。そう思うべきだとも思わない。
救いなんていつでも求めてますからね。誰でも遠慮せずミーを助けてくださいね。
口だけで恐縮ですが、人として、受けた恩は返そうという気持ちはありますよ。返せる保証はありませんし、先払いする余裕ももちろんありませんが。
まぁ客観的な事実としては、ほぼ何もかもが駄目。だからと言って、どれを改善しても主観的幸福に寄与するとは限らない訳で……。
できることから色々手を着けているつもりではあるが、至上命題たる幸福感の向上には一向に繋がらない。
何が駄目なのか全く見当も付かない。ミーは何を求めていて、また実際に必要なものは何なのだ?
金か?仕事か?趣味か?愛か?友情か?栄養か?運動か?睡眠か?医療か?能力か?努力か?継続か?
4月になって、積年のわだかまりに一応の決着をつけ、ようやく「前に進む意志」を取り戻せた感覚がある。それ自体も大きな一歩だと言えなくも無いが、それを除けば前進は無い。