展示用の4コマなんとか捻り出した
美少女野球フィクションコンテンツみたいなのって往々にしてショートパンツで野球やってるけど絶対やめろと思う
美少女に足出してほしいという需要自体はわかるけど足が擦り傷でズルッズルになる心配が勝って何も楽しめなくならない?
「女はメイクしないと駄目だと言われる」という悲哀を強調することで巡り巡って呪いになってるのは実際ある気はするんだよなあ……どうなんだ?仕事で無化粧人間なんだけど俺も遠巻きにされてたりするのかな 遠巻きにされてることを自覚できない鈍感じゃないと無化粧でいることは難しいのかなやっぱ
私は無化粧です!っていう声が増えたら無化粧やってみよっかな→意外と平気かもの人が増えたりしないだろうか
私は大学のバイトのとき一時期律儀にやってたんだけど、めんどいからすげ〜薄い化粧で、これやっててもやってなくてもわかんないんじゃね?と思ってからやってない 他人から見てわかんないかは謎だけど、まあなんも言われんからいいかと思っています
化粧全然得意じゃないからとりあえずなんか肌につけてるレベルで、別に見た目がアップするわけでもないから意味ないんだよな
「なんかみんなが化粧しないとヤバいと言ってるから無化粧で出勤できない」という状態ってない……のかなあ……職場の人は特に何か言ったりしてなくても……
他人の顔全然見ないから他人が無化粧かどうかわからんのだよな……ただ髪を綺麗に巻いたり綺麗な洋服を着ていたりするから多分化粧してるんだろうと推測してる
騙し騙し労働をやっている 化粧以外のあらゆるところでも「社会人失格」とか言われそうな労働者だけど、まあやっていけてるので……ビジネスマナーなどもロクにわかんないなりに……
名刺すらろくに渡したことないし……飲み会の作法とか言葉遣いもふにゃふにゃだし……会社組織の用語の認識も曖昧で……労働に係る知識も薄く…………
まあこれは俺が労働をマジでやりたくない労働者だから成り立つ意識の低さであって、めっちゃ仕事して出世したい!とかの女性が往々にして完璧な身だしなみを求められがちなのは本当に是正すべきところですよね
労働にパンプスとかいうなんの機能性もない靴を合わせるのが苦痛すぎて就活んとき革靴で行ったんだけど特になんも言われず受かったので、就活マナー講座とかの内容がどうしても嫌な場合は反抗してみてもいいかもしれません いや運もあると思うけども……
なんかクソ運がいい人間の例で喋ると説得力がないけど、型を強制されて嫌だと感じたとき型をちょっと外してみようという提案をしていきたいな……と思う……それが引いては政治に反抗する力になると思うし……
「女性はノーメイクを許されない抑圧がある!」という指摘は実際その通りで、男性中心社会の中でそのように構築されてしまって最悪なんだけども、同時にそれを内面化してしまった女性の側からも「人前でメイクをしていない奴は”女”ではない」の価値観が根付いてしまって、メイクをしていない奴は女ではない=女はみんなメイクをしている になっている人もいるんじゃないかなあ とか思うこと あり
有史以来メイクをしていない女性は必ず社会に存在しているはずで(お金がないとか肌に合わないとか全然やる必要を感じてないとか)、そういった人たちってカウントされずに透明になってたかもなあって
男性が強権によってそういう抑圧をかけてきたのと同じように、女性の側でもまた”強い”女性が社会的な強さを保持するための手段としてメイク強制の抑圧を(無意識にでも)強化してきたところもあるんじゃないのかなあ
KuTooみたいにノーメイクのプロテストもあったらいいな いやすでにあるのか?寡聞にして存じ上げず……
工場勤務や調理現場や何かと身体を動かすタイプの職業ではメイクをしないことも多分ザラにあり、そういう人たちを無意識に”標準的な労働者”の枠から外してるとこありません?って思ったりするんよな……それこそ家事専業者で毎日きっちりメイクしてますという人はあんまいなさそうだけど、家事専業者だって労働者だしな……
私は内勤の会社員なので、内勤の会社員も化粧したくなかったらやってみないことも選んでみると……いいかも!
あと常々思うんだけど、いわゆる”垢抜け”における髪の比重ってエグくない?髪色真っ黒だと”垢抜け”という感覚がかなり遠ざかる気がする
でもさ~~~髪色なんて変えたくない人もいっぱいいるしさ~~~やっぱ一般的な”垢抜け”への神聖視とか基準を廃止した方がいいよな~~~~~
葬式も無化粧で行きたいところだが、そのために葬式を待つわけにもいかんね……葬式、ない方がいいです
男性にとって、ホモソーシャルなやり取りが辛い人もそのゲームから降りづらいように、(男性からの抑圧もあるという点は全然違うけど)女性にとって化粧するしないも降りづらい面があるのかもなあ
降りたいけど降りられない人が意思が弱くて自業自得みたいな話でもなく、降りられない人も辛いんだよな~~~それをやるためにはまず社会の側から(たくさんの人が少しずつ)変わる必要があり、加速させるムーブメントがあると尚良い、みたいな……なんかそういう……
やっぱりどうしても難しい、という人のためにも、少しだけならプロテストができるという人が少しずつ抵抗していって流れを変えなきゃいけないんだよな~ 化粧の話で社会活動の構造を理解した いや化粧の抑圧も社会の話だからな……
自民党、マジクソゴミカス最悪集団なのにのさばっててヤダーーーッッッ!!!!!一刻もはやく全員捕まってほしい……社会の澱よ……
桑名仁、多少”正義”と唱えている論理に瑕疵があったとしても肩を持ちたくなるほどの好感度がなさすぎる シナリオの敗北だよ
実際あの程度の”正義”としての論理破綻だとしても、キャラクターによってはうーんでもコイツの気持ちも……わかる!ってなることあるんだけど、桑名仁は別に共感の気持ちとか好感とかが湧かなかったから「うっさいわアホ」にしかならない なんであんな好感度低める描写ばっかするかなあ……
桑名仁アンチ記事とか書きたいけど「逆に好きじゃん」って言われたらめちゃくちゃ嫌だな ちゃんと嫌いです
八神さんがいつまでも澤先生のこと言っててくどいっていうの、フィクションなのである程度の緩急やバリエーションが必要なのはわかりつつも、蔑ろにされた人がそれを訴え続けていると「いつまでそれ言ってんの」と言われる現象に似ててキツいね 当人やその周りの人にとってはちゃんと決着が着くまで(着いたあとも)終わらないのに、「大衆が飽きたから」って理由で鬱陶しがられる
いじめでも学生時代のいじめをずっと訴え続けている人に「いつまで気にしてるんだよ」という言葉をかけられることがあって、なんかそういうとこだよな……になりました 作中でもまっつんが「ずっと許されることじゃない」って言われてたように、ずっと許されなくても仕方ないし、加害側や外野が「いつまでも気にするなよ」と言ってはいけない
まあシナリオ上、八神さんが澤先生のことをずっと気にする理由の提示が薄いというところはあるけど、でも不正な出来事の被害者を忘れず是正を訴え続ける第三者というのは実際にいるし必要であることも鑑みると、「お前は関係ないじゃん」みたいなのも違うんだよなあ~……
ロスジャは細かいシナリオがうーんなんだよなあ……もうちょっと上手くできなかったんだろうか……
八神さんは前作の地続きとして考えると真実の隠蔽による犠牲を許さないことは当然の心の動きであるとわかるけど、前作の地続きでなく、そして澤先生が別にそんなに好きになれるパーソナリティでなかったとしても不正の犠牲者を悼んで怒ることはまったくの正当である 同情は連帯を強化するけど、同情が抗議の正当性を裏付けるわけではない
けどなあ~~~……やっぱ物語である以上はシナリオ上の提示がなければ難しいし、ゲームのプレイヤーもそういったことを考える人ばかりではないだろうし……
「傍観してたから/都合が悪いことを黙ってた結果人を殺したから悪人であり、死に値する」という言い分を許すなら、社会には不正や差別がまかり通りそれで死んでいる人が実際にいる以上適用範囲がかなり広くなってしまいそれから逃れられる人はごく少数になる 私刑によって罪を裁くという行為は正当たり得ない
結局は恣意的に「こっからここまでは死に値するけど、こっからここまでは許してあげよかな」を決めているに過ぎず、まあそれは法もおなじっちゃおなじだけども、殺されそうな側から抗議する余地の一切ない一方的な殺しという手段では、やはりどうしても法には正当性において敵わないと思う
「正当性はないんですがやりたいんでやってます」だったらまあやりたいからやってんのか……そういうことはまああるか……と思うけど
だから「私刑も正義」というのは正義について考えてなさすぎじゃない……!?と思っちゃう 正しくはないだろ
社会の中に生きていながら不正に間接的にも一切加担していない/あらゆる不正を傍観していないという人は多分ほとんどいないか全くいないんじゃないかな……今からでも是正しようと動く人はいても、人生に一度でも一切それをやらないってことはひどく難しい
それこそ江原も息子の訴えを無碍にしてそれ以降いじめの告白をしづらくさせた点で言えば死の原因の一端を担っているし、これは死に値する罪にはならないのか?って話だな~
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。