日本画・洋画・浮世絵の関係まじでめんどくさいな。日本画も洋画も、初期の主導者たち(横山大観、菱田春草、黒田清輝とか)が浮世絵が海外で評価されていることを知っていても受容しなかったのは、人類学的な眼差しにおいて「日本」と見做されることを拒否するためであったはずで、つまり「土産物ではない」ことを主張しなければならなかった。黒田清輝とかはラファエル・コランのもとで浮世絵の整理とかやらされていたのに、たぶんマジで価値があると思っていなかった。黒田が印象派を受容しそこねたのもそれが原因。
日本画・洋画・浮世絵の関係まじでめんどくさいな。日本画も洋画も、初期の主導者たち(横山大観、菱田春草、黒田清輝とか)が浮世絵が海外で評価されていることを知っていても受容しなかったのは、人類学的な眼差しにおいて「日本」と見做されることを拒否するためであったはずで、つまり「土産物ではない」ことを主張しなければならなかった。黒田清輝とかはラファエル・コランのもとで浮世絵の整理とかやらされていたのに、たぶんマジで価値があると思っていなかった。黒田が印象派を受容しそこねたのもそれが原因。
日本国内で、浮世絵コンプレックスとでも呼べるものがあらわれるのはたぶん明治30年代をつうじてで、それは洋画や日本画が台頭し浮世絵が没落した時期であった。明治20年代まではおおむね棲み分けがあった。それで、明治40年頃になると創作版画の観念があらわれ、版画の美術的性格が受け入れられるようになる。ただこれはもう新しい美術観念のなかで再編成されたものだ。
#あとでよむ
神本秀爾『History Hunters ラスタファーライの実践』#03「僕はラスタにはならない」 https://hagamag.com/series/s0053/3944
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これは読んでみたいが...
植民地朝鮮と〈近代の超克〉
戦時期帝国日本の思想史的一断面(仮)
閔東曄:著
https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-15139-2.html
(だいぶ昔の記事)古田大輔とかしょうもないなとおもうけど、安倍談話的な語りというか歴史観、つまり太平洋戦争の時期に軍事国家になった(それも欧米によるブロック経済が原因とする)というものを、素朴に受け入れてしまっているのって世代的なものなのかな。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/695abad1dee0ed9c9ba0f64f27f4e69f8a810759
日清日露戦争こそ植民地獲得戦争なんだけど、安倍談話はその日露戦争について「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」とかギョッとすること言っていることにはノーコメントで「村山談話より踏み込んでいる」って言えてしまうのは、バカにしていればいい問題のようにはあまりおもえない。というか自分もこういう歴史観が間違っているとはっきり理解できるようになったのは恥ずかしながら最近だし...。
このへんの世代、左右無関係に新しい歴史教科書的な史観がイヤというほど染み込んでいる気がする。自分が安倍談話的歴史観を素朴受容したのは間違いなく司馬遼太郎を経由している。
林道郎がアジアのキュビズムについて語るのが、「ヘンなキュビズム」というようなオリエンタリズムを内に孕んだ視線で語っているようでイヤだったなとおもいだしている
100年前の日本でなぜ関東大震災で朝鮮人が集団虐殺にあっているか、1919年の三・一独立運動で独立を叫んだことで「不逞鮮人」とみなされたわけですよね。まさにこれ、なぜハマースがテロリストとみなされるか? イスラエルによる支配占領、それをファタハの自治政府というかPLO(パレスチナ解放機構)は受け入れた。でも、あくまでも自分たちの主権を持ったパレスチナの国家をあきらめない、つまり「不逞パレスチナ人」である。だから同じように今、虐殺されている。 https://book.asahi.com/article/15383835
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クルド人問題理解していなかったけど、イスラエルが独立支援する格好なんだな。まあ多民族共生とかイスラエルにはありえないからナショナリズム(民族自決)煽るのは思想的にもそうなるか。イスラエルの戦略が民族自決を煽ることで意図的に火種をつくって分裂状態に持ち込むことだとして、やっぱりシオニズムのような単一民族国家主義的なナショナリズムが悪質なイデオロギーなんだと思う。
https://synodos.jp/opinion/international/17706/
現状では、イスラエル・パレスチナ問題は二国家解決が筋道なんだろうけど、サイードが二国家解決は解決にならない、イスラエル一国にしたうえで多民族共生を目指すべきだと主張していたのがひっかかっていたけど、ようやく理由が理解できた。単一民族国家主義をのりこえて多民族共生国家になることがシオニズムの克服だからだ。
ディアスポラをどう受けとめるかということが問題で、シオニズムを生み出したのも世界がユダヤ人を排斥したからで、排斥されたユダヤ人は国があるなら帰るわけだからユダヤ人民国家ができればそこに行く。これはディアスポラを否定することで成立する。帝国の解体は民族自決を促したけど、ポストコロニアル状況における「解決」と見なされてしまったのが民族自決なんだとすると、中東における民族自決主義の問題とはポストコロニアル以降の問題であるように見える。日本におけるクルド人排斥問題も、シオニズムの裏面だといえそうにおもう。
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