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そもそもパリオリンピック、12歳までに性転換手術をした場合のみトランスジェンダーの出場が認められるという、わりと差別的な規程があるっぽい
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2024/07/post-105020.php
「生物学的女性」みたいな観念が産出されてしまうのを見ると、戦前の「人種」観念とやっぱりほとんど同じにしかおもえないんだよな。スポーツがこういう観念を生み出し、強化するのはなぜ?
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おもしろい。
インターネット上の「事実」(言い方が難しいんだけど)について、一時期真面目に考えてたことがあるけど、それはまさに「データの出所と信頼性を把握することが欠かせない」のだけど、その検証は原理的に可能なのだろうか?みたいなことを考えていたからだった。
https://www.technologyreview.jp/s/342345/ai-trained-on-ai-garbage-spits-out-ai-garbage/
最近はしばらく、あまり知られていない領域の一次資料を詳細に検討しているんだけど、すごく回り道をしてようやく一つの一次資料から事実らしきものを抽出できるようになる。いくつかの資料を組み合わせてみてはじめて言えるようになる領域があって、そういうのがわかるようになると「歴史ってめちゃくちゃおもしろい!!」ってなる。「事実」というものはあらかじめそこにありのままにあって、それを発見するわけではなく、資料を解釈するための合理的枠組みみたいなもので、人間の知性は資料解釈のための枠組みを構築することができる。
こういう資料解釈の枠組みの問題もなんだけど、もうひとつは、一次資料の信頼性の検討とかもコンピュータにできそうな気がしない。「ある絵が贋作かどうかを検討する」というのも一次資料の信頼性の問題で、人間もかなり間違うんだけど、これはマジで勘の領域だとおもう。「文献上はこの人が描いたという資料が見つからないけど、この絵は本人のものだとおもう」みたいなのはかなりあるはずで、これを否定する合理的な理由がなければ受け入れるかな。でもこの判断規準はかなり曖昧だとおもう。
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AI研究ってもともとは人間の知性のようなブラックボックスに対して操作的な定義(知性とはかくかくの振る舞いをすることである)を与えるためのモデルを作ること(操作的定義を満たすためにしかじかの構造がある)が目的だったとおもうのだけど、たぶん deep leaning から機械の中のほうがブラックボックスでもいいやみたいなのになっている気がしており、道具としては使えるけど説明可能性は後回しみたいな状態が続いてしまっているのかなと適当に思っている(こんな適当なこと言ってていいのか)
武蔵美の修士のシラバスざっと見てみると、ポスコロとフェミニズム関連はゼロなんだよな。学部にはいくつかあるけど。いまの美術とかどうやって理解するつもりなんだろう。
芸大はアートプロデュースとかキュレーションとかまわりにポスコロ関連あるな、修士にもある。あとストレートにジェンダー論というのがある。
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AIの学習はすでに検閲が必須になっているわけだし。学習のフェーズなのか出力のフェーズなのかはしらないけど。
SKKにしてよかったとおもうのは、漢字の正確な読みを調べないといけないことで、SKKにしてめんどくさいことは漢字の正確な読みを調べなければいけないことだ
明治期の文献とか書きうつしていると変換が難しすぎる
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IME ではないが Unicode で鉄砲の絵文字の参考字形が水鉄砲に変更されてベンダー各位がそれに追従することで〜みたいな話はあったな
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異体字問題って技術環境がつくりだしたバカげた問題だとおもうけど、書き言葉って根本的に技術環境依存なものだから仕方ないのかもしれない。活版印刷の台頭がどれだけ書き言葉としての日本語を変えてきたか、とか。