01:31:06
2024-08-15 22:22:36 キエナイニュースの投稿 cubic_drop_for@kolektiva.social
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01:39:44
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「朕」によって主体性が奪われたというのもわからないではない話だけど、香月とほぼ同世代の松本竣介はもっと反抗的な絵を戦前に描いているよね。主体としての自己を確認するかのように。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:MatsumotoShunsuke_Standing_Figure.png#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:MatsumotoShunsuke_Standing_Figure.png

02:24:07
2024-08-16 02:00:23 偽オム(hhvm)の投稿 hhvm@fedibird.com
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03:16:29
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シオニズムを近代的植民地主義の延長とみなすのはやっぱり間違っているんじゃないかな。とおもったらちょうどこういうのがあったので読む。

委任統治下パレスチナにおける「民族対立」の創出の背景
金城 美幸
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yudayaisuraerukenkyu/32/0/32_60/_article/-char/ja

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委任統治下パレスチナにおける「民族対立」の創出の背景
03:46:29
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ああー、「帝国主義」という用語と「植民地主義」という用語の差の説明にかなり納得した。20世紀初頭にレーニンらをつうじて資本主義の発達への批判的用語として「帝国主義」は定着したが、「植民地主義」は1950〜60年代にかけて、アジア・アフリカ諸国の脱植民地化における経験を指して定着していった用語である。形式的には独立国家となったが、実質的には旧宗主国に対する経済的不平等があったりする場合にも、植民地的性格があるわけで、これを克服するために植民地主義という用語で分析枠組みを提供してきた。帝国主義は、むしろ帝国の内部での問題であり、帝国主義の分析では植民地になった側の経験を記述できない。アジア・アフリカが脱植民地化という過程に踏み出すなかで、同時期にイスラエルがきわめて古典的な植民地主義を再演していたことが注目された。
自分は帝国主義と植民地主義の用語はごっちゃにしていた。実際としては帝国のやっていたことの清算なんだけど、分析枠組みとしては違うことを理解しておかないといけない。

04:12:08
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国民帝国は主権・国民国家としては内部における等質性と平等性を追求しつつ、帝国としてはそれらの異質な法域を統合しつつヒエラルヒッシュに編成して外縁を拡張していくこととなった。(中略)帝国とは、こうして多様性や混成性を許容しながら、中心(本国)を基準とした価値基軸からの隔たりによって差異を序列づけつつ、一つの統合体系の一部として包摂していく差異のポリティクスとして現れることになる。

04:17:54
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日本が、明治維新の際に、欧米からの自立を守るというだけではなく、帝国として出発した理由があまりわかってなかったけど(経済的・軍事的合理性があるように思えない)、西南戦争のような内戦を経て分裂状態を抱えるところから、外部に敵をつくりだすことで国内を「日本」というまとまりとして創出するために外部に眼を向けているだけだよな。

04:28:31
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高井さんのこの言葉はすごくよかった。

ちなみにわたしは、なにかを中傷するために「同人誌」という言葉を使ったりは絶対にしませんよ。トランスやクィアの文化(カルチャー)を支えてきたのは、そして支え続けているのは、まさにそうした同人誌やジンですから。それに、自分たちで集まってものを作るって、そごく素敵なことじゃないですか。 https://x.com/Yutorispielraum/status/1823719508433100841

16:37:41
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各国博物館が脱植民地主義の方向に向かっている現在に、日本の国立西洋美術館が西洋近代の美術に固定されつづけていることをどう考えていいか、よくわからない

17:45:43
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たとえば、これまで戦後補償として論じられてきた問題も脱植民地化という枠組みで理解できる。歴史をさかなでるこれら「他者からの呼びかけ」は、「日本の脱植民地化はいまだに終焉していない」ことを示している。これは、ともすれば糾弾の声として否定的な響きをもつように受け取られるかもしれない。しかし、その声は、むしろ新たな関係を日本とのあいだに構築したいという希望の声ではなかろうか(徐 二〇〇二)。それは時間の連結をとおした未来の再想像へ、われわれを一緒に誘う声である。脱植民地化の時間においては、植民者が自らの過去を忘却することにより被植民者と共有できる未来はなく、植民者としての過去を記憶し続けることから、被植民者とともに人間性を回復しなければならないだろう。

太田好信「解説 批判的人類学の系譜」(『文化の窮状』所収)

22:45:31
2024-08-16 22:31:21 宮下さゆりの投稿 miyarisayu@sayurili.hostdon.ne.jp
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23:27:40
2024-08-15 16:25:53 廃墟/怖音の投稿 kowaoto@mstdn.jp
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