さむみ
天文/プリキュア/ここたま/ナノ・インベーダーズ/リベラル/反差別/反ニセ科学/反歴史修正主義/リフレ派
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ここはちょっと放置気味です。グルミクのスコアはこちらに上げてます。ここは画像アップロードが重いのでアニメ実況とかは Bluesky の方でやるかも。
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最近のアプリとかなんならOSだってそうなんだけど、「営業」してくるじゃない?これがオススメとか言って。あれ本当に嫌なんだけど。
アプリってユーザーのやりたいことを実現してくれるものだったはずなのに(そしてその対価としてお金出してたはずなのに)ベンダーのやりたいこと=商売のためのツールになっちゃってるのがね。
買ってきたカナヅチが釘の宣伝始めたりとか、買ってきた肉を調理してたら肉が焼肉のタレの宣伝始めたりとか、みたいな違和感。
基本無料だとかサブスクだとかでサービスとその対価って区切りが曖昧になってきたせいか、どんどん売る側の都合を押し付けることに躊躇いがなくなってるっていうか。
払ったお金から期待する以上の喜びを得た時に次も買おうかな、もっと買おうかな、ってなるのが「商売」だと思うんだけど、アプリとかOSとか逃げられないアーキテクチャが構築された場に誘い込んで売り手が欲望剥き出しで迫ってくるとか、もう商売と言うよりは「狩り」で客は「獲物」扱いされてるよな、と。
プリキュアつながるぱずるんという過酷な荒野に挑む戦士たちへ|人のプーさん #note https://note.com/wineet_the_pooh/n/n5f61b1a2889a
「それに気づかず調子に乗ってボムを無駄撃ちしたりすれば、おまえは勝利を目前にしておきながら悲惨なスイカ死をとげたプリンス・オベリンのように、キュアぱずの荒野に新たなしかばねをさらすことになるだろう」
Twitterにプリキュアオールスターズのゲームがあったらいいのにってツイートいったの見てキュアぱずのこと思い出して久しぶりに読んだ有名な記事。唐突にゲーム・オブ・スローンズねたブッコんでるとことか含め何度読んでも名文なんだけどキュアぱず知らない人が読んだらなにがなにやらわからんよな。
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マストドン、よく知らないけどトゥートの自動削除設定があったりするからストックして検索できるようにするのはあんまり推奨されてないとか?notestockもデフォルトでは他人が検索できない設定になってるね。
プリキュアの「女の子だって暴れたい!」が独り歩きしていないか問題 - プリキュアの数字ブログ — https://prehyou2015.hatenablog.com/entry/onnnanokodatte
kasumiさんはどうもプリキュアをフェミやリベラルのプロパガンダアニメみたいに思われるのを嫌がってるっぽいんだけど(前もこんな感じの構え方の記事書いてた記憶)、なんか身構え過ぎ感があるんだよなぁ…
プリキュアの初期のスタッフがどんな人たちで何を考えてたのかは主に『プリキュア シンドローム! 〈プリキュア5〉の魂を生んだ25人』https://www.gentosha.co.jp/book/b2085.html で知ったのだけど、鷲尾プロデューサーをはじめとしてスタッフの多くが、ジェンダー規範を含め旧世代の大人が子供に押し付ける規範はよくないもの、という感覚が自然体で身についてて、その枠からはみ出した方が面白いし子供のためにもなるって思ってプリキュアを作っている、という印象が強い。
「女の子の社会的抑圧からの解放を表現するために企画された」というのは確かに語弊はあるんだけど、「女の子の友情を描くアクションアニメ」において徒手格闘・暴力を前面に出すという判断が、90年代からあった「戦闘美少女」ものとの差別化ポイントであり、そこに踏み出せたのはやはりスタッフが自分たちのリベラルな感覚を信じていたからこそだと思う。
というかプリキュアの前にやっていた『明日のナージャ』も女の子が自由に生きることを是とする作品だったし(プロデューサーは関弘美)そういう方向性が東映アニメーションの中では普通にあって、その延長上の話だから鷲尾Pも殊更意識してなかったって話じゃないのかな。
なので、当時としては男女平等思想を宣伝するとか作品として実装するとかいう意識はなかったのだろうけど、むしろ意識せずに当然のようにそうしていたって話のようにも思える。
もっともHUGプリやヒープリでははっきりフェミニズムを意識していると思われる作劇はあって、特にHUGプリはそれが露骨じゃないかって一部のプリキュアファンから煙たがられたりもしているのだけど、現場の知恵に近いものが、それを理論で裏付ける思想が世に普及したことで思想の「型」を参照するようになったという話で、世の中が変わった結果と見るべき話だと思う。
まあ、プリキュアに我田引水的に乗っかってきてる感を醸してる人っていないわけじゃないし、スタッフはそういうのに引っ張られないで欲しいなというのはわかるし、「そういう色」がついてると思われると色々面白くないことが起こるというのもわかるんで、kasumiさんの反応もわからんでもないのだけど、一方でプリキュアのフェミニズム的な要素を頑なに否定する大友とか、プリキュアから何も学ばずに性暴力被害者への二次加害に加担する大友とか(こういうのはさすがに友達扱いしたくないけど)実際いるんだよねぇ…
あと、プリキュアファンの中学生だか高校生だかを強引に口説いて(というか一方的な感情を押し付けて)逃げられない状態でわいせつな行為に及んだ大友がいて、これは被害者の告発があって、最悪の事件ではあったけれど、プリキュアファンコミュニティの有名人たちが速やかに被害者支持のコメントを出したおかげでコミュニティ内で醜悪な騒動にはならずに済んだ。