@jamesjames1910 ありがとう
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🥲
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でも、まだ書きとめておきたい。
龍土町の、ほんの一角を占める路地から、いまでも若い将校たちが、眦を決して、駆け出してきそうな、幻視のなかの東京を。
俯いて、四ッ谷の大木戸に近い地下のバーで、「共産党宣言」を読んでいる思い詰めた顔の青年や、
接見を断られて、冷たい留置所で痛む身体を労って横たわる築地小劇場の女の友達の身の上を案じて肩を落として歩く大学生や、
もう物理的な記憶のよすがを失った、すべての不可視の過去の日本の人たちを。
もうすぐ、明治神宮外苑競技場を行進する、学徒動員の大学生たちが響かせる軍靴の音も、空襲に逃げ惑って、川に次次に飛び込んで死ぬ子供たちの幻影も、失われて、
なにも聞こえなくなって、街としての記憶も、のっぺらぼうな平面に、なにごともなかった、いまできたばかりの街の平べったい顔に、塗り込められていく。
ルォーマには、打ちのめされたな…
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ローマは、やっぱりすごい、と述べている人と、
東京がサイコーですよ、あんなめっちゃ面白い街はないよ、と述べている人の顔つきや表情の違い
そうだったのか…
知らなんだ
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「奈良ホテル」は、わしガキ時代に親に連れられて奈良の寺院めぐりをするときの定宿だが、あれがもともとは興福寺の大乗院であったことを知らない日本の人はいないでしょう。
チビガキ時代の妹とわしを、あまりのカッコヨサでノックアウトした「奈良公園」は、明治の、ISISが過激化したような、文化的には、一種の過激派集団だった明治政府が、有無を言わさず破壊した日本最大の寺院興福寺が破壊された瓦礫の上に立って、精一杯の知恵をしぼって、
あの場所に文明性を、痕跡でいいから残そうとした奈良の人たちの知恵の結晶だった。
😁
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英語人は、一般に、その街に緑がどのくらい存在するかで、その都会の文明度を測るようなところがある。
考えてみると、理屈として矛盾しているが、そのくらいの論理の破綻は、ものともしないところが英語なので、疑う人は、英単語の綴りをみれば、英語人の非論理性の歴然たる証拠がコレクションになっていて、一目瞭然であるとおもわれる。
https://james1983.com/2023/08/04/the-spiritual-city/
これは単に英語人の偏見にしか過ぎないが、都会の条件は森が、あるいは「おおきな自然」が、どおおーんと町のまんなかにあって、まるで、空から舞い降りて、そこにある、「おおきな自然」の欠片のように、緑を集めた公園が、そこここにある。