https://james1983.com/2023/08/18/happy-together/
わっしは、どんな言語でも「翻訳」は苦手中の苦手ですが、無理からにやってみると、現代日本語では、こんな意味ではないでしょうか。
むかし、ある国に泉があって、その名を「狂泉」といった。
国民は、この泉の水を飲んでひとり残らず狂ってしまった。
ただ君主だけが自前の泉を掘っていたので狂わないで済んだ。
狂った国民は君主だけが狂っていないので逆に君主ひとりが狂人なのだと考えた。
皆で君主を取り押さえ、灸をすえ鍼を打ち、無理矢理薬を飲ませた。
君主は、その苦しさに耐えかね逃げて「狂泉」の水を飲んで自分も狂人になった。
その後は君主も国民も皆狂って、みながハッピーになって暮らしたという。
昭和天皇は、秩父宮に恫喝されても狂泉の水を飲むことを拒否したので本人は正気のまま、ただ狂いまわる国民と軍人を絶望の眼で眺めていただけでしたが、身をもって君主制というものを限界を示すことになった。
シェークス・ピ・ヒーアですら思いつかなかったような筋立てです。
熱河作戦前後の昭和天皇は、どんな悲劇のなかの国王よりも悲劇性に満ちている。