ユビキタスの湯引き
ふむっ
【詳報】立命館大学生1115人が回答《コロナ禍における学生生活実態調査》|立命館大学新聞社 https://ritsumeikanunivpress.com/07/01/4257/
はてブコメがだいたい喜ばれてて草
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町田さんの新作だ!
トーチweb 船場センタービルの漫画 【船場センタービルの漫画】 http://to-ti.in/story/semba_center_comic
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betrayは「裏切る」ではなかったっけ,でも今の文脈には嵌らないな…と思って辞書を引きなおしたが,「暴露する,~であることを表す(≒reveal, indicate)」の意味にもなるね.
そういえば今朝のトーチwebの町田さんの漫画に「船はすべての海の名を知っている」が「港はすべての海の名を知っている」に誤植されたのを直さなかった云々という一節があり,調べても出てこないし心当たりもないのでこのための創作であろうかと見受けられるけれども,同種の「偶然の添削」は色々と聞くから高橋輝次編『増補版 誤植読本』を取り出して読み直していた.
昨日のこれ,気になったので調べてきたよ.
『群像』2013年4月号の穂村弘「現代短歌ノート[37]」(pp.331-333)が「『間違い』のある歌・その2」という題で,その冒頭が
あのね,アーサー昔東北で摘んだだろ鬼の脳(なづき)のやうな桑の実
という岡井隆さんの歌を取り上げている.この「鬼」が元々は「兎」だったというお話.
実は引用歌の「鬼」はもともと「兎」だった.ところが,私も参加していた或る互選歌会で,作者が描いたその文字が「鬼」と誤読されたのである.しかも好評を得た.その結果,「兎」が「鬼」に化けた歌はそのまま歌集に収録されることになった.確かに,「鬼の脳」には異様な迫力がある.一方,「兎の脳」は「桑の実」の見立てとしてユニークでありつつ,大きさと形状の類似から納得もしやすい.どちらがいいか,迷うところではないか.だが,作者は「偶然の添削」を受け入れたのだ.その態度に経験や主観や言語感覚よりも自らを覆す不測の事態を信じる詩人の魂を見た思いがした.数年後,「脳と胸書き間違えるおとこいて光らせたい私が神だったら(北山あさひ)」という歌をみたとき,私は反射的に岡井隆のことを連想した.あのとき「『兎』と書いたつもりなんですが……」と呟きながら,どこか嬉しそうだった.そんな彼は「間違い」こそが新たな世界を生み出す契機であることを知る潜在的なアクシデント希求者なのだろう.
「涙が洗ったきみやぼくの苦い指は」が「涙が洗ったきみやぼくの若い指は」に(p.102),「炭竃に手負の猪の倒れけり」が「炭竃に手負の猫の倒れけり」に(p.125),「粟一粒秋三界を蔵しけり」が「栗一粒秋三界を蔵しけり」に(p.145),などは元の詩が偶然に悪しからぬ変身を遂げている例で面白い.
一つ目は長田弘さんの記事で,自作に生じたこの誤植を冒頭に挙げた後しばらくして,「……ワープロがひろく普及したいまでも,自動的な漢字変換によって生じる,たとえば「先頭に立って」が「銭湯煮立って」になってしまうような奇怪な間違いが,やっぱり避けられない.しかし,それがただのまちがいというには惜しいような誤植であることもしばしばあって,むしろそういった意図せぬ誤植こそ,言葉への不感症をぶったたくにはこれ幸いというべき武器の一つ,そういったら,「誤植」というものを手前勝手に擁護しすぎるというそしりを免れないでしょうけれども」(p.107)とある.
3例目は寺田寅彦の句で,これを引いた坪内稔典さんは,私見では「栗」の方がよいとして,「小さなものの代表みたいな粟粒にこの世の全てがあるというのは,理屈が通り過ぎて平凡だ.それに対して,栗の句とすると,理屈よりも栗の存在感そのものを生き生きと表現している」(p.146)と述べ,「粟から栗への変化,それを読者による推敲,あるいは添削と考えたい.俳句は,例えば句会でしばしば直される.直された句はそのまま作者の句になる.それが昔からの俳句の伝統だ.つまり,俳句は作者だけが作るのではなく,作者が作り読者も作るのだ.そういう共同の創作が俳句なのである」(p.146)と書いている.
この,時間を隔てて行われる作者と読者の共同の創作,という考え方は,最近のオウィディウス研究の一部の言説を知っている身からすると面白いですね,となった.
『誤植読本』にも書いてあるけど「メメクラゲ」が「××クラゲ」の誤植だったという話はもっと身近かもしれない.
「空メール」,あるいは「メール送ったと思ったけど実は送ってなかった」みたいなメール周りの思い違いかもしれない
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「テレワークをしている民間企業の従業員なども同じで、組織が個人にフリーライドしています。つまり、個人用のエネルギーやネットインフラを大学や会社が対価もなく使っている状況です。光熱費や通信費などの費用負担の問題は、社会に訴えるべきです。」
大学教育を考える - 第二回座談会 非常勤講師の勤務の状況1 https://sites.google.com/view/distanciation-sociale/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%9B%9E%E5%BA%A7%E8%AB%87%E4%BC%9A%E9%9D%9E%E5%B8%B8%E5%8B%A4%E8%AC%9B%E5%B8%AB%E3%81%AE%E5%8B%A4%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%8A%B6%E6%B3%81
最後のページ.
この点は本当にそうで,今のように毎年の如く成果を出せ出せと鼻血も出ないくらいに急かされ,それがちょっとずれ込むと大いにキャリアに響く状況で,何もさせずに「はいまた来年ね」は非道い話ではある.未曾有の事態なのだから流会にはしても報告はしたものとして扱って雑誌はちゃんと出した方がよいのではないかと思わないでない.
「若手研究者が研究報告をしたり論文投稿をしたりする機会が奪われてしまうのは問題です。この点について、上の世代は危機感が足りない気がします。」
大学教育を考える - 新型コロナウイルス感染拡大下の学会活動について
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ルートヴィヒ デジタル修復版 | 映画 | 無料動画GYAO! https://gyao.yahoo.co.jp/player/00569/v08607/v0828500000000528190/
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Trelloは機能的には無料版で十分なんだけど今の利用状況を鑑みるとお金払うのが筋な気がするのだがそうしていないね…
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ユウェナーリスじゃないけど,健全な身体と健全な精神以上のものは望むべくもないなという気持ちが最近強いね.
「健全な身体に健全な精神」というのはそれにそれが宿るという事実を述べているのではなく,そうなるように願うのが人間のなすべき正しい祈りだという話で,かつ最近ではこの行の真正性を疑う言説もある,という二段構えのオチがある.
ちょうどユウェナーリスを引き直して,別で探していた記述をみつけることができたので儲け物だ
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「コロナ後」人文・社会科学の視点から考える 京大がオンライン講義無料配信へ - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200702/k00/00m/040/033000c
そういえば知泉書館は去年の5月からヘーゲル全集を出しているんだね
http://www.chisen.co.jp/news/n29979.html
へー!
「『人文学概論』(増補改訂版)の注文が急増し,一時的な在庫切れとなっています。現在,増刷中のため,2020年1月24日以降にいただいたご注文分は,すぐに出庫できません。「2月7日出庫」とさせていただきます」
http://www.chisen.co.jp/news/n33338.html
『人文学概論』(増補改訂版)は,2月6日に増刷が出来ました
岩合さんにはなぜあんなにも猫が寄ってくるのだろうか(私は昨日猫に逃げられました
"7月下旬、明け方の空に全ての惑星が勢ぞろいします。"
https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2020/07-topics04.html
惑星直列は昔から災厄を引き起こすといわれているけど、今年いろいろ起きてるのはこれが原因だったのか(違
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「この一文のほんとうの意味は、きっと私にしかわからない」という会心の一節に出会えるとうれしいというのはどこの分野も同じなようだ.
論文を読む理由 - いつか博士になる人へ
https://www.ki1tos.com/entry/2020/07/02/205512
ところでタキトゥス『アグリコラ』は『ゲルマニア』と共に國原先生の翻訳がちくま学芸文庫(1996年)に入っていて,その「訳者あとがき」が非常に印象深い文章ですので少し長いですが引用.
「古典は洋の東西を問わず,俗受けしないし,一時的にせよ流行ったり廃れもしない.古典はいつの時代にも,僅かな,しかし熱心な読者に求められ読み継がれ,幽谷の泉の如く訪れる旅人の喉を潤してくれる.
「しかし古典を読み始めると,静かな孤独の書斎が俄に賑わってくる.ギリシアやローマの古典の場合,今世紀初頭からの,運のよいときは十九世紀の西欧の碩学の御来駕を仰ぐこともあり得るのである.
「数種類の校訂本,註釈本,訳書を手許におき,難解,疑義の教えを乞い,多様の解釈に驚き,同じ見解に安堵し,軽率な読みを窘められながら諸学者と対話していくとき,古典を読む醍醐味が味わえる.このような諸刊本の比較考証を書き留めた註記は,一般の読者に無視されて当然であろう.しかし読者の中に西欧の対訳叢書の一冊と拙訳を比較しながら読まれる方のあることを心の中で願っている」(pp.249-250)
This is for all ill-treated fellows
Unborn and unbegot,
For them to read when they're in trouble
And I am not.
(A.E. Housman)
アッ…アアッ…
おけけパワー中島と人間関係に対価システムを持ち込むオタク
https://anond.hatelabo.jp/20200703193938
🤔
就職氷河期にやっと得た職を失い……私がホームレスを抜け出した意外な方法 | 文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/38780?page=1&summary=hide
【「おうふう」破産】No.1106(2020.06)|新刊ニュースの裏だより 岩田書院
http://www.iwata-shoin.co.jp/backnews/ura/ura1106.htm
これは笑った RT
「ウチらがおけけパワー中島に抱いてる感情すでにユダが「キリストの足に油ぶっかけ女」に抱き済み」
https://twitter.com/setukossetu/status/1278933396366880768
誰かが「おけけパワー中島」に見えてきたら病み始めだからインターネッツから離れましょう
「おけけパワー中島」という“名前”を手に入れたことでこの概念についてなんぼでも語れる気はしますがそれは精神的自傷行為にしかならないので止すべき…
Little Witch Nobeta面白そうだからやりたいんだけどまぁゲームをする時間も環境もない
面白いね.逆にソ連崩壊直後ごろの学生の反発具合というのが今度は具体的にイメージしにくくなってきそうだ.
教員も驚いた…今の大学生が「マルクスに共感」するようになっている(田上 孝一) | 現代ビジネス | 講談社(1/7) https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73754
しかし私も晴れて立派なワープワなのだからマルクスを読む時間を定期的に設けねばならん.
というか最近のマルクス上げの一方でエンゲルスやレーニンは日陰になってる気がするので,そのうちこれらの再評価の波が来るのかもしれない(そうか?
未完のレーニン 〈力〉の思想を読む
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000195347
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「規範文法」と「記述文法」,もちろんごく当たり前に使っている言葉だったけど,今ふと思い立って手元の辞書(『デジタル大辞泉』)を引いたら見出し語としてちゃんと載っているレベルの言葉なのか.