なんつーか、理想的な生活とか社会とか以前にさ、喫茶店でコーヒーを注文して、作らせて、2階まで運ばせて、飲んで、飲んだあとの食器も当然片づけさせて洗わせて、そのままお金を払わずに帰って、手弁当のボランティアで哲学カフェをやってる学生らに代金を払わせて平気という価値観は、映画の対象にもなっていたホームレス(状態)の人たちの基本的人権とか生存権とか住居・移転の自由とかとは違って、ぜんぜん当然の権利ではないし、何よりも「坂口恭平の信者です(という表現では厳密にはなかったと思うけど、ともかく彼の説くような価値観に基づいて生活してます、生きてますといったようなことを)」言われてそれをされた日には、ほんとパニクってしまうというか何というか。
いやだから、この字面を見るとほんとバグるのよね。無料で哲学カフェをやっていて、飲み食いしたお金を主催者に押しつけて食い逃げするような参加者(これは紛うことなき犯罪者)は、あとにも先にもこのときだけだし、食い逃げに先立って、それを正当化する(かのように受け取れる)ことを坂口恭平や映画の内容と絡めて言って帰ったのも、これがトラウマになった一因なのよね、きっと。