【未解決】岡山県倉敷市中央1-1-20にある「新渓園」の庭園について質問します。
(「新渓園」は大原孫三郎の父である孝四郎が、自らの還暦記念に別邸として建築したもので、当時は向屋敷と呼ばれていました。大正10年に孫三郎が倉敷町に寄附した際、孝四郎の雅号「新渓」から「新渓園」となり、大正12年に公園として開園し現在に至っています。)
「新渓園の庭園は、近江八景を模して七代目小川治兵衛が作庭した」という話が伝わっているが、その根拠となる資料が不明のため、調べてほしいです。
・『庭師小川治兵衛とその時代』 鈴木博之/著 東京大学出版会 p.171
こちらの資料に「1916(大正5)年に倉敷の大原美術館裏に当たる新渓園の庭園をまかせ…」との記載があるのみで、庭園が近江八景を模したという記載はなく、はっきりした根拠になる資料が見つかりません。
また、他の七代目小川治兵衛に関する資料には新渓園の庭園を作庭したという記載そのものがありません。
「新渓園」もしくは七代目小川治兵衛に関する資料に上記記載がないかご確認いただけませんでしょうか?(国立国会図書館(National Diet Library))
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000344332