日本美術院百年史、おもしろい。
「荘重」だの「艶麗」だの「沈着」だのやたら抽象的な題が与えられ、その題に適した絵をみんなが持ち寄って互いに評価しあう会の速記録みたいなのが掲載されていて、「沈着」という題に対して富岡永洗などは「毎回課題が難しすぎる」と嘆いている。
「陸離」という題が与えられた回があり、光がキラキラしていることらしいのだが(知らなかった)、尾形月耕が気球の上がる絵を描いていてめちゃくちゃ笑った。
日本美術院百年史、おもしろい。
「荘重」だの「艶麗」だの「沈着」だのやたら抽象的な題が与えられ、その題に適した絵をみんなが持ち寄って互いに評価しあう会の速記録みたいなのが掲載されていて、「沈着」という題に対して富岡永洗などは「毎回課題が難しすぎる」と嘆いている。
「陸離」という題が与えられた回があり、光がキラキラしていることらしいのだが(知らなかった)、尾形月耕が気球の上がる絵を描いていてめちゃくちゃ笑った。
みんなちゃんと光を主題にして描いていて、その評も載っているんだけど、月耕一人だけ気球の絵描いてて評が掲載されていない。言葉なく気球が上がっているさまがたいへんよろしい。
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いくつかの引用が星座のように形をなすように見え、でも一つ一つの論理的な繋がりを論究するとまるで繋がっていない。そういう文章を読んでかなりフラストレーションが溜まる。
自分もそういう文章を書くことはあるけど、ブログなら適当でいいだろ(研究じゃない)というのと、論理的な繋がりに欠けている場合はだいたい自覚がある。
ぬるっと「それっぽい」ことを言っても、問題がちゃんと定義されてないと、ただの泡なんだ。
@gon_gitsune いやいや、ふつうに文章を読んでいて苛々しただけです
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Amazonの配送でびっくりしたこと
ヤマト糊(でんぷん糊)を注文して、それとは別のタイミングで本も注文したところ、糊と本が同じダンボールに入っていて、糊のフタがぱっくり空いて中身がでろっとでている。
本は無事だったけど、裸のまま段ボールに入っていたので、本(糊まみれ)(新品)になってなかったのは運がよかった(?)としか言いようがない。
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継承という考え方自体は概念を抽象→具体のヒエラルキーで表現する方法として妥当ではあるけど、問題は人間がプログラム総体としての挙動がhierarchialであることは期待しておらず、全ての処理をフラットに展開して実行するパイプラインであることを期待している点にありそう
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結合度をあげてしまうというか、関数名なり変数名なりの名前がなんとなく複数の用途に使えそうに見えるやつはあぶないと感じる
ヤフオクにヤバ本が出品され、うおおぜったい買う!っておもっていたけど残り5日もあるのに16000円こえていて、戦うまえから撃沈しそう。
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言論封殺がどうこうっていうか、憎悪を煽って本を売るみたいなのことを大手出版社がやっていいのかって話がある。商売として恥ずかしくないのかという。
商人としての倫理とかふつうにある
デマ本が出てから批判なり検証なりすればいいという人は、その検証のコストはそもそも誰が負うという積りでいっているのか
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「ゲームの歴史」とか「土偶を読む」とか、そういうのにはデマの検証に手間がかかったわけですよね。トランスジェンダーについてそれより丁寧に論じる必要があるのは自明だとおもうのだけど。
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インターネットは情報を通すためのただの土管であるべし論と、出版・メディアの話がごっちゃになっているんだとおもう
@lo48576 基本的に出版は通信事業ではないからですね。ISPとかSNS事業者は通信事業者で、郵便などの私信を検閲してはならないという法的規程の対象になりますが、出版はその限りではないです。
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SNSの言葉、もう「誰に投げてるのかわからない」というか、誰にも投げてなくて。独り言を独り言じゃないことにする結構だけがそこにあり、それがSNSと呼ばれてるだけなのだけれど、そんなことばっかりやってるから、どんどん人を1人の信念体系や人生経験を持つ一定の層の厚さを持った存在として、想像して、その人に届くように工夫して話す、ってことがとにかくみんなでヘタクソになった。結果、いつでもどこでも成り立つ、空中に浮いた正義だけがただただ繰り返されて。そういうことをもっと問題視してもいいと思うんだけど、そうはなってないね。
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セインズベリー日本芸術研究所で公開している沖縄の美術と文化についてのレポート(2019)、美術における植民地主義などの問題についてかなり勉強になる。
https://www.sainsbury-institute.org/publications/sainsbury-institute-occasional-papers-no-2/
あるソフトウェア工学者の失敗 日本の IT は何故弱いか
https://shayashiyasugi.com/wwwshayashijp/myfailures.pdf
読み応えのある文章だった……
自己懲罰の裁判記録一過程と変奏アンリ ・マティス展より
稲賀繁美
https://inagashigemi.jpn.org/uploads/aida/aida107.pdf
これ読みたかったテキストだな。
出版社内の編集部が勝手に扇動的なタイトルをつけて、それが悪い意味で話題になって上層部が出版とりやめた、くらいにしか見えないものを、「アクティビストが検閲した」に変換している人が twitter に大量にいてびっくりした。
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出版に対する「検閲」と通信に対する「検閲」ってコンテキストが別だけど、混同されているとおもう。前者は意見を公開する自由で、それを権力によって差し止められてはならない、だとおもうけど、後者は通信の秘密とセットでそれが守られている限りは検閲などできない。信書の仕組みとおなじ。ISPなどによる特定サービス・特定コンテンツのブロッキングの例とかでは、検閲を目的としていたがために通信の秘密を破る必要があるという話になっていた。これと出版における検閲の問題を混同することはできない(通信ではない)。
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映画じたいを見ていないけど、素晴しい批判だった。
【FUCK②③】生活支援員が観た映画「月」評~後編~|東京ニトロ https://note.com/tokyonitro/n/n44f6aa6caa2a
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勝手に出版取り止めたものを圧力に負けたとかいう話にしているのが大量にいるの、まじでびっくりしている
沖縄の美術について調べて、改めてこの人すごいなとなった。
https://note.com/poststudiumpost/n/n2ad44b828240
これだけ優れた美術批評を書く人が、どうしてあんな凡庸なマティス論を書いたのか謎である。
梅津ってテキストから参照項が見え透きすぎていて、ほんとに凡庸な書き手だな。単純に無知なんだけど粉飾だけうまい。
https://bijutsutecho.com/magazine/review/14030
梅津の話法って前から思ってたけどひろゆき話法だよな。攻撃したい対象を適当に権威らしきものと仕立てあげて歯に衣着せぬ物言いをするだけで、その権威ががらがらと崩れて溜飲を下げることができる。でっちあげた神殿だから崩れるのあたりまえだが。こういう手合いが重宝がられてしまうのもひろゆきと同じ。
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W3C has posted that we are no longer active on X/Twitter and have directed all our followers here to Mastodon.
We are encouraging all W3C-related accounts to do the same.
Encourage your friends to follow us here!
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うーん、ボイコットが成功するために必要な条件ってなんだろうか。
https://note.com/bdsjapan/n/nf1ee9a929adb
アベプラってすごいな...。左=リベラルはあさま山荘事件以降は低調だが、いまはネットを主戦場としてそこで過激な攻撃をしている。「ほんとうに自民党は腐っている」「国葬にかけた税金返して欲しい」というコメントがリベラルの「過激な攻撃」であるらしい。
アベプラすげぇとおもったけど、「自民党は腐っている」が「過激な攻撃」であると感じる層がたぶん大量にいるから番組が成り立ってるんだろうな。
明治30年代初頭に高山樗牛、坪内逍遥、綱島梁川らによって展開された歴史画論争、主観客観論争だろうなと予想していたけどその通りで、端的に言えば、美は題材のほうに宿るか(美の客観説)、絵画そのものもしくは主観に宿るか(美の主観説)ということになる。ざっくりとはそうなのだが、高山説の「絵画そのものもしくは主観に宿る」が、レッシングを根拠にメディウムスペシフィックな議論を展開しており、「絵画そのものの美」というのがイコール「主観的な美」であるとは言えない。批判者である坪内はシェイクスピアのなかにまったく「主観的な美」を認めない(没理想)から高山を抽象論だとするのだが、現在の観点からすると高山の議論のメディウムスペシフィックな性格はよくわかる。議論の整理がめちゃくちゃめんどくさい領域だ。
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客観説だと、歴史其物、山水其物、動物其物、みたいな、客体に美が内在しているという説になり、またそれゆえに歴史画、山水画、動物画なるものはその客観的な美を純化していくことを旨とする議論になり、つまりジャンル論になる。
これが、抽象絵画の登場および諸メディウムとの区別において絵画について考えるいわゆるメディウムスペシフィシティの議論以降で見ると厄介なものに感じられる。どちらが厄介なのかという話ではあるけど。
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高山論で気になるのは、歴史画(というより物語画と言ったほうがよさそうだけど)が絵画という特性上事象の瞬間しか切り取ることができないと論じる点で、これはレッシングが根拠になっているからではあるんだけど、これだと幕末には菊池容斎が異時同図の絵を描いていることなんかは議論できなくなる。絵画の時空間は新古典主義的に組織されなければならない、ということが特に批判なく受け入れられている。菊地容斎の異時同図からは50年くらいか。
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板橋区美の「東京←→沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村」展、おかけんの論考読んで「あー近くに住んでたのになんで見逃したんだろ」と思っていたが、図録買ってみて「あれ、この絵見たことあるな」みたいなのばかりで、いろいろ思い出してみると行ってた
たぶん「池袋モンパルナス」で覚えてしまっていて、「ニシムイ美術村」の印象を持っていなかった。そのへん我ながら本土人だった。