上記の件は、たとえば吉良智子さんのこういう記事です。 https://artnewsjapan.com/article/1495
このインタビューのなかでも
「そうした体系的な美術教育があったにもかかわらず、女性アーティストが活躍できなかったのはなぜなのでしょうか?」
という質問に対して
「女子に美術を積極的に教えようという議論はあったものの、その目的が「嫁入り道具」だったからですね。」
と答えてしまっている。それで、活躍した女性画家は「例外的」だとしている。
自分が知っているだけでも、明治の中期ころから上村松園がいて、それから明治後期に池田蕉園、島成園がでて、彼女らは「三園」と呼ばれてけっこうメディアにもでていたし院展などにもでていた。それ以外にも、市川秀方とか歌川若菜とかいる。 「活躍できなかったのはなぜなのでしょうか」という問いの立て方がまちがっているのに、それを否定もせずに理由付けして肯定してしまうのは、図式的な見方で見ているだけで、個人的にはけっこう許しがたい。
歌川若菜などはこの記事で知ったけど、もともと歌川派の家系であり、どこからどうみても花嫁修業ではない。 http://artistian.net/wakana_utagawa/
展覧会記録にも彼女らの記録はあるし、「女性画家の存在自体が想定外」だったわけでもなんでもない。
こんな思い込みで話すと、図式から外れたものを黙殺することになり、まさに「ジェンダー美術史」というものこそが「見落とされた芸術家」を作りだしてしまう当事者になっている。その史観こそが当時の女性芸術家たちの主体性を隠蔽しているんじゃないか。