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近代の超克座談会読んでいると、林房雄というひとはずいぶんな愚物にみえるんだが、このへんは一応目をとおしておいたほうがいいのかな
https://www.amazon.co.jp/dp/4122060400
近代の超克、物理学者の菊池正士と科学史家の下村寅太郎の二人は、科学は唯物論的なものではなく観念論的なんだって言っているけど、ほかの文学者とかはこれがぜんぜんピンとこないらしく、輸入した技術的な文明が機械文明だからくらいの解像度で科学も唯物論的だと考えていて、そこが妙にすれ違っているのは、まあまあ興味深い。
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ChatGPTに心がないみたいなこと言ってしまうの、テクストの自律性みたいな観念が発達していないからそうなってしまうんだろうな。テクストの背後に発話者という実在物がいる、という仮定を置いてしまう。その仮定は妥当なんだけど、発話者の存在はテクストに誘発されたものであって、「心のないAIという発話者」もテクストを読む側が勝手に読みとっているだけ。
https://sayo0911.blog.fc2.com/blog-entry-820.html
戦前の文芸評論がテクスト論の一歩手前まで歩みをすすめつつ、そこに至らなかったのは、まさに魂という概念を仮構してしまうからなんだと、「近代の超克」座談会を読んで考えていた。
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GPTの出力に学術的合理性が無いので出力結果を使用してなら無いと言う話がなぜ思考停止になるわけ?><
「とりあえず便利だから、全く正しくない文章を出力する機械だけど学問にもその出力を使おうぜ」の方がよほど思考停止では?><
学問や研究で重要なのは検証であり、検証が阻害される透明性に欠けるものが排除されるのは当然のこと><
検証を阻害するものは成果と見なされないし、実験ノートの無い研究がフェアな研究成果と見なされることもない><
(一時的にされちゃっても不正問題追求の場で暴かれる><)
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教育というものが、学問的態度を教育するものなのか、ものごとの質についての発展的態度を学ぶことなのか、みたいな違い?
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まあプロトコルがオープンでさえあればべつに……という気持ちもあり、しかしそう思うたび「ハロウィーン文書」という言葉が脳裏を過るのである
ハロウィーン文書、ぜんぜん知らなかった。なかなかすごいなこれ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%96%87%E6%9B%B8
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[第6話]漫古☆知新-バカでも読める古典文学- - 漫☆画太郎 | 少年ジャンプ+
https://shonenjumpplus.com/episode/4856001361133124253
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そもそも Mastodon って decentralized (脱中央集権) 指向ではあったけど distributed (分散) 指向ではなくない? の気持があり、公式のスタンスがよくわからん
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Federation でイメージしているのやっぱり国連とかEUとかだとおもうんだよな。複数の中央集権国家群があつまってなにかしらの統合的な活動を行う。
国連やEUが徒花かどうかの評価はしないけど。
https://docs.joinmastodon.org/
これで federated と distributed がわけられてるのは、Federated がクラサバモデルでサーバー間の federation、distributed はP2Pでクラサバがない。このとき、 distributed でイメージしているのはたぶん、世界に単一政府があってそれを直接民主制で運営する、みたいなやつだとおもっている。一時期Web3とかでいわれてたイメージがたぶんそれで、これはアナーキズムとほぼ紙一重で、モデルとしては、統一政府といっても代議士制度そのものの撤廃に近い運営が考えられているとおもう。mono-internet とでもいえばいいんだろうか。
国連とかEUとかは代議士制度と中央集権国家を前提にして、国家間の連携を設計しようとしているのであって、直接民主制を目指していない。代議士制度はクラサバモデルとかなりアナロジカルだとおもう。
1人1サーバーが理想ということになるとP2Pでやれってことになるので、Federatedが目指すところはそこではないんだろうなとはおもう。
クライアントサーバが必ずしも P2P への諦めかというとそうは思っていなくて、 IRC とかを見ていても「常時接続していてログを取ってくれる存在」みたいなのは求められていたし nostr の通信量であれこれ言われていたりもするわけで、「クライアントの代わりに常時稼働してくれるプロキシ」としての個人サーバ、という発想は自然なものと考えていいと思う
ActivityPub におけるサーバも必ずしも寄合所帯に寄せる必要はなくて、「個人の軽量端末の代わりにストレージ機能と常時接続を実現してくれるプロキシ」と捉えてもいいんじゃないですかね。
まあ既存の有名実装の大半がプロキシと思えるほど軽量ではないみたいな事情はあるだろうけど……
ActivityPubにDIDをretrofitできれば一番良いのだろうけど、実現の見込みとしてはどうなのかしらね(前にも書いたなこれ)
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感覚与件(センスデータ)は悟性によって組織されて知覚される。感覚と知覚が区別されて、感覚は認知の対象ではない。
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読んでるけど、なんかこれはカントからそうとう後退しているっぽい印象があるぞ...
https://www.jcss.gr.jp/meetings/jcss2019/proceedings/pdf/JCSS2019_O2-2.pdf
「志向説によると」とかでてくるけどこれは誰の説なのか教えてほしい...。志向説って一般にはブレンターノの概念をフッサールが現象学に流用しているやつ(意識とはつねに何かについての意識である)だとおもうんだけど、概念が混乱しているっぽい気がするんだが。「表象」もよくわからない...。