03:15:05
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京都学派、けっきょくヨーロッパ近代個人主義憎しで「総力戦」という観念のもとに、専門分化した各領域に統制的な介入をしていく国家というものを秩序だと考えていて、当時のイデオロギーそのものなんだけど、それはともかくとしても、なんというかそういう統制的な秩序しかイメージできなかったのはやはり彼らの限界だなと感じる。マイケル・ポランニーとかが彼らよりちょっと上の世代にいるけど、彼は生命の創発的な特性を社会に敷衍して考えていたわけで、京都学派の面々が新しい哲学が必要だって言っても、古いモデルしかもってこれていない。

04:55:54
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いや、ぎょっとするわ...。どんな顔でこんな発言をしていたのか。

「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」p.392の画像。高坂正顕が、ヨーロッパがもたらした近代世界は真理性がなかったわけではなく、近代科学などはもっと研究する必要がある、日本は近代化して科学を受容できたが、「日本古来の清く正しい精神力」によって近代科学の誤謬を見抜いた、と主張している。
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12:33:08
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art since 1900をバラバラに裁断しとる人いたけど、あれいいかもしれん

18:43:23
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近美の常設展見に行ってきて企画展は見てないけど、チケット売り場で隣のおじさんが「企画展は何やってるの?ああ、あの流行りの鮭?」って言ってた。流行りの鮭。
https://jmapps.ne.jp/geidai/det.html?data_id=4126

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[ID:4126] 鮭 : 収蔵品情報 | 収蔵品データベース | 東京藝術大学大学美術館 The University Art Museum, Tokyo University of the Arts
22:51:18
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大島康正「大東亜戦争と京都学派」を読む。西田ら京都学派は海軍と繋がって陸軍の暴走を牽制する、もしくは始まってしまった戦争を望ましい方向(早期終戦)にもっていく、ということを背景に座談会を雑誌に出していたという話。テキスト読解難しい...。

23:27:50
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おもしろかったと言っていいのかわからないが、当時関東と関西の知識人では戦争と言論に関する温度差がかなりあり、著者の大島によると、京都学派の連中は戦争がマシになるように糞真面目に座談会などをしていたらしい。大島らは、関東に行った際に三木清の家を訪ね、三木は戦争の行方については完全に悲観的で、雑誌などに発表していた自身の原稿などいっさい信じてなかったということを知り、温度差に愕然としたと。その温度差はたしかにいろいろ読んでいて感じていたところだったのでやはりそうなんだな。