雑誌みたいなシーンをつくりだす装置がなくなって、いくつものSNSとかで言語的な環境が分散してみれば、みんななんの話しているのかわからなくなる。基本的な語彙セットごと、話し手と聞き手で共有できないし期待すべきでもない。
雑誌みたいなシーンをつくりだす装置がなくなって、いくつものSNSとかで言語的な環境が分散してみれば、みんななんの話しているのかわからなくなる。基本的な語彙セットごと、話し手と聞き手で共有できないし期待すべきでもない。
ハイレ・セラシエ1世、ラスタファリアンにとっての現人神ってなにどういう信仰?っておもってWikipedia読んでると、パン・アフリカ主義と大東亜共栄圏的なものの並行性みたいなのめちゃくちゃあるな。ていうか、国外からみたときに日本の天皇にたいする態度というか信仰みたいなのって、ラスタファリアンがハイレ・セラシエ1世を現人神だと信じるのが変に見えるように変に見えるんだな。
東浩紀の観客についての哲学的考察と実践はかなり重要だと思うけど、一方で、言語環境が分断されている世界においてはゲンロンのコミュニティに参加する「観客」がどうしても内輪ノリに見えてしまう。ある語彙セットが共有されたコミュニティになってしまうと、それは内輪である。
大学いた頃(10年以上前)に「モダニズム」っていうワードが特定のニュアンスを込められて使われていて、とくに自己言及的な性格をもった作品について言われていて、あれはクレメント・グリーンバーグっぽさを指して言っているとみんな思っていたけど、実はあれは柄谷行人だったことが最近わかった。
こんなの、「リベラルから自由を取り戻せ!フリースピーチ!」みたいなのを聞くたびにイーロンの顔を思い出して笑ってしまうではないか()
これ、なかなか人集まらんな
未読でもOK!【オンライン開催】河上徹太郎ほか『近代の超克』読書会 第1回 - connpass
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