SNSではアメリカ人でもないのに○○○○信者が歓喜の投稿を上げていますが、次の任期では彼を止める存在は何もないかと思いますので、任期が来る前に行けるところは行っておいたほうがいいかと思いますね。
SNSではアメリカ人でもないのに○○○○信者が歓喜の投稿を上げていますが、次の任期では彼を止める存在は何もないかと思いますので、任期が来る前に行けるところは行っておいたほうがいいかと思いますね。
中欧〜東欧諸国の鉄道と同じく、線路脇を普通に歩いている人を見かけますし、先程は踏切でもないのに自転車を引いて線路を渡るタイミングを見計らっているおばちゃんを見かけましたし、日本と異なり線路内立ち入りに大らかなんですかねえ…
今日も昨日に続いてHŽPP(クロアチア鉄道)の旅ですが、宿泊アパート最寄りの駅(Zagreb Zapadni)を7分遅れで出発し、のんびり休み休み走行して、目的の駅(Zaprešić)には16分遅れで到着しましたね…
Zaprešić(ザプレシチ)の鉄道駅前から、Meštrović prijevozという路線バス事業者の404系統兼411系統のバスに乗車しますが貸切のようですね。
…と思っていましたら、Zaprešić(ザプレシチ)中心市街地のバス停から伝統市場帰りと思われるいっぱい荷物を持った年配の人々が多く乗ってきて賑やかになりますね。
小川の向こう岸はSlovenija(スロベニア)領土のようですが、2022年末までシェンゲン圏のカーテンが下ろされていたようですね。
Zaprešić(ザプレシチ)中心市街地から乗車した人々は三々五々降車し、自分もKumrovec(クムロヴェツ)の村で降車しますね。
今日の目的地はKumrovec(クムロヴェツ)の村の中心部、Muzerj Staro Sero(スタリ・セロ博物館)にあるようで、そのまま入ってもバレないような気がしないでもないですが、ちゃんとチケットを購入してから中に入りますね。
Maršal(元帥)の生家を見て約1時間後のバスでとんぼ返りしようかと思っていましたが、生家を含めて19世紀後半〜20世紀前半の当地Kumrovec(クムロヴェツ)の民家や民俗を展示するMuzerj Staro Sero(スタリ・セロ博物館)が大変興味深く、展示に見入ってしまいますね。
Maršal(元帥)ゆかりの民俗博物館も、スマホでQRコードを読み込ませて、音声ガイド提供や翻訳機能を使っての多言語対応を行うご時世のようですね。
Kumrovec(クムロヴェツ)周辺でもパルチザンに参加した人々がいたようで、慰霊碑が建てられていますね。
Kumrovec(クムロヴェツ)の一角に石段がありますが、メンテナンスされていなく、あちこち壊れていますね。
Kumrovec(クムロヴェツ)の高台、Jugoslavija(ユーゴスラビア)の時代には記念館(Spomen-dom boraca NOR-a i omladine Jugoslavije)があったようですが、現在は閉鎖されているようですね。
とはいえ、記念館(Spomen-dom boraca NOR-a i omladine Jugoslavije)があった建物は廃墟化しておらず監視カメラが設置されているようですし、建物の周囲はきれいに除草されていますし、巡回の人も来ているようなんですね。
Kumrovec(クムロヴェツ)の高台にあった記念館(Spomen-dom boraca NOR-a i omladine Jugoslavije)、Jugoslavija(ユーゴスラビア)の時代には生家と合わせて聖地観光の人々で賑わっていたんでしょうね。
お腹が空きましたので、Maršal(元帥)の生家のお向かいにあるレストラン(Kod Starog)に入りますが、近隣住民の憩いの場となっているようですね。
Maršal(元帥)が愛したというKumrovec(クムロヴェツ)周辺の郷土料理(Titovi Zagorski štrukli)を美味しく頂きますね。
Kumrovec(クムロヴェツ)は、Muzerj Staro Sero(スタリ・セロ博物館)の外にある民家も美しいですね。
クロアチア系のお父さまと小川を挟んで向こう側のスロベニア系のお母さまの下、民族関係無く協力して難事に立ち向かう精神を育んだと思われるMaršal(元帥)の生まれ故郷のKumrovec(クムロヴェツ)ともお別れですね。
路線バスや電車の行先を間違えて見知らぬ地にほっぽり出されず、何とか生きてZagrebački Glavni kolodvor(ザグレブ中央駅)に戻ってこれたようですね。
Zagreb(ザグレブ)まで来ますと、典型的な中欧の都市に戻ってきたという実感がしますが、19世紀に作られた市街地を改めて見ますと、歴史的経緯でオーストリア=ハンガリー帝国でもハンガリー側の影響が濃いことが分かりますね。
気温が0℃近いというのに、Zagreb(ザグレブ)の人々はオープンカフェに集っていて、控えめに言って頭がおかしいんですかねえ…
…と思いましたが、屋外にしか席の無いお店では暖房設備に力を入れているようで、思ったよりポカポカですね。
Hrvatska(クロアチア)最期…最後の夜ですので、Zagreb(ザグレブ)市街のこちらのお店(Millennium)でSamoborska kremšnita(サモボルスケ・クレムシュニテ)の食べ納めとしましたね。
Zagreb(ザグレブ)の夜の街に消えず、生きて宿泊アパートに帰着。トラン○世界が到来する前にもう一度現状の世界を見ておこうということで(と言っても3月末にANAさまのマイルが大量失効する前に購入したANA国際線特典航空券でですが)、事前準備のため早々に帰国するためのeチケットお客様控えが発行されましたね。
今日はZagrebački Glavni kolodvor(ザグレブ中央駅)から国際列車の旅ですが、どうも別々の行先の列車が併結されているようで車両を間違わぬよう注意が必要ですね。
この前のSplit(スプリト)からZagreb(ザグレブ)までの列車と異なり座席指定は必須ではないようで追加料金での指定はしていませんが、そもそもガラガラですのでコンパートメントを独占できますね。
昨日は路線バスでニアミスしただけで入国しませんでしたが、今日は列車でHrvatska(クロアチア)からSlovenija(スロベニア)に入国しますね。
列車はSlovenija(スロベニア)に入ってすぐのDobova(ドボヴァ)という駅で2つの編成を切り離すようですが、えらい待たされますね。
列車は、今回訪問したZagreb(ザグレブ)、Jasenovac(ヤセノヴァツ)、Béograd(ベオグラード)を経由してDonava(ドナウ川)に至るSáva(サヴァ川)沿いを走行しますね。
Hrvatska(クロアチア)と異なり、Slovenija(スロベニア)は線路の脇を通行したり踏切でないところで横断してはだめのようで、文明的?ですね。
寝過ごしてオーストリア方面に運ばれず、Železniška postaja Maribor(マリボル駅)で降車できましたね。この前のSplit(スプリト)からZagreb(ザグレブ)までのコンパートメントでは6席のうち4席が埋まって足のやり場に苦労ましたが、今日は2両編成なのに乗客が少なく、終始コンパートメントを独占できて天国のようなひとときでしたね。
ややっ、Železniška postaja Maribor(マリボル駅)、社会主義リアリズムな建築の極みのようですね。
これまで訪問した都市と異なり、Maribor(マリボル)は旧市街の広場に第二次世界大戦の犠牲者を祈念するSpomenik(スポメニック)が作られたようですね。https://www.spomenikdatabase.org/maribor
Slovenija(スロベニア)は第一次世界大戦時までオーストリア=ハンガリー帝国のオーストリア側に属していて、ドイツ語でMarburg an der Drau(マールブルク・アン・デア・ドラウ)と呼ばれていたMaribor(マリボル)ですが、バルト三国とよく似た構図で、都市にドイツ系(とおそらくドイツ化したスラブ系)、田園地帯にスラブ系の人々が多く住んでいたようなんですね。
行き倒れせず、生きてMaribor(マリボル)旧市街のホテルにアーリーチェックイン。これまでの国と異なり、Slovenija(スロベニア)はホテルが多くなる分アパート物件が少なくなるようで、久しぶりのホテル宿泊ですね。
旧市街のMariborski grad(マリボル城)にある地域博物館で、当地Maribor(マリボル)の歴史のお勉強としますね。
Mariborski grad(マリボル城)、どうもヒトラーが訪問した時に地元のドイツ系の人々との晩餐会が催された会場のようなんですね。
オスマン帝国の軍隊に2回攻められながらも支配はされなかったMaribor(マリボル)ですが、オスマン帝国内の現Kosovës/Косово(コソボ)Gjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)あたりで製造されたと思われる銃は流通していたようですね。
ややっ、Maribor(マリボル)旧市街にはKino Partizanという映画館があるようですね。
低体温症により行き倒れせず、生きてホテルに帰着。圧縮できて洗濯機丸洗いできる化繊綿のジャケットは持ってきたんですが、やはりそれだけでは生きていけそうにありませんので、とりあえずH&Mでニット帽と手袋を調達しましたね。
Maribor(マリボル)旧市街の南を流れるDrava(ドラヴァ川)、今回訪問したOsijek(オシエク)を経由してDonava(ドナウ川)に至るようですね。
Kosovës/Косово(コソボ)でもSlovenija(スロベニア)でも民間セクターが経営する大型商業施設に入ればぱっと見同じような空間が広がりますが、一歩外に出ますと公共セクターが関与する度合いが大きい公道の歩行環境は雲泥の差がありますね。
Kosovës/Косово(コソボ)でもSlovenija(スロベニア)でも大型商業施設に入ればぱっと見同じような空間…というのは単なる印象論に過ぎなくて、流通環境も人々の嗜好も異なる双方では入っているテナントも手に入れられる商品も異なりますね。
Maribor(マリボル)の大型商業施設(EUROPARK)にはハイパーマーケット(INTERSPAR)併設のブッフェがあって、サラダバー有り日替わりの温かい食べ物有りで、市民が羨ましい限りですね。
美しき青きDrava(ドラヴァ)?に消えず、三度生きてホテルに帰着。他の構成国もそうですが、Kosovës/Косово(コソボ)とSlovenija(スロベニア)双方の社会を垣間見ますと、1990年代まで同じJugoslavija(ユーゴスラビア)の構成国だったとは思えぬくらいの相違(特に子供やティーンエイジャーの洗練度)を感じますが、どうも1981年時点で現在と同様の経済格差があったようなんですね。
Maribor(マリボル)の博物館で行きたかったところは昨日行きましたし、未だSplit(スプリト)の旅の纏めも終わらぬ体たらくですので、今日は市街地を散歩のみとしておきますね。https://www.sng-mb.si/event/plameni-pariza/
昨日夕方4時台に行ったのに満席で振られましたので、今日は朝11時前にこちらのバルカン料理を謳うお店(Baščaršija)に来ましたが、この手のお店とは思えぬくらい店内が凝っていますね。
ことことよく煮込まれたSarma(サルマ)とTurška kava(トルコ・コーヒー)を美味しく頂きますが、ちゃんと金属容器に入っていてポイント高いですね。
Maribor(マリボル)はワインの産地のようで、ワイン販売のイベントが開催されているようですね。
Slovenija(スロベニア)ともなりますと、おフランスのように自動昇降式のボラードを導入して、優雅に自動車通行コントロールを行うようですね。
Maribor(マリボル)旧市街の南を流れるDrava(ドラヴァ川)北岸に真新しい遊歩道があって人々が散策したり日向ぼっこしていますが、どうも少し高台にあるワインイベントを行っていた通りと合わせて通過交通に溢れる自動車道を歩行者専用道路に変更したもののようですね。
Maribor(マリボル)はおそらく幹線道路だったと思われる道路を歩行者専用にするという確実に物議を醸すであろう変更を行えるほど公共セクターに実行能力があるのに、多数のバス路線のバス停がある幹線道路にある高松の生き写しのような地下道はそのままのようですね。
Maribor(マリボル)のバスターミナルは、鉄道駅からさほど離れていない上に、市内バスや近隣地域向けのバス、長距離バスが統合されていていいですね。
シェンゲン圏外(EU圏外)の訪問国のように個人商売の延長のようなバス会社やツアー会社が何の調整も行わず好き勝手?にバスを走らせているところと異なり、シェンゲン圏内(EU圏内)のHrvatska(クロアチア)やSlovenija(スロベニア)では公共セクターがサービス水準を策定しオープンアクセスで民間事業者に委託するシステムが運用されているようですね。
Maribor(マリボル)市当局の駐車コントロールは郊外住宅地にも及んでいるようで、おかげさまでこちらの市民はCrna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)他の都市の市民のように歩道に駐車しないと死ぬ病を罹患していないようでいいですね。
湿度が比較的高いせいもあるでしょうが、Google Mapsを見ますと空気質があまり良くないようで、下界の視界がよくありませんね。
Maribor(マリボル)は文化予算が潤沢なのか、中心市街地や公園の路上で古の写真展示やアート展示をやっているようなんですね。
Maribor(マリボル)の歩行者信号機は、残り秒表示に加えて、赤信号の場合は地上に赤を照射していて完璧?ですね。
行き倒れせず、生きてMaribor(マリボル)のホテルに帰着。Slovenija(スロベニア)はオスマン帝国の支配を受けたことがないにもかかわらず、Čevapčiči(チェバプチチ)やPljeskavica(プレスカヴィツァ)を扱うスタンドが多いようですが、Jugoslavija(ユーゴスラビア)という一つの国の下で人的交流が行われてきた故ですかねえ。
Maribor(マリボル)の宿泊ホテル(ROOMERS)を出発しますが、Slovenija(スロベニア)ともなりますと、Нови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)の宿泊ホテルのように見映えはやたらいいのにあちこち壊れていて…みたいなことがなくて安心して泊まれますね。
Slovenija(スロベニア)のように経済水準が高くなりますと海外旅行に出る人が増えるのか、イタリア料理以外のエスニック料理店が増えるようですね。
今日も一昨日に続いて、Slovenske železnice(スロベニア鉄道)の旅ですね。今日はコンパートメントでない車両で最高速度200km/hのようですが、最高速度で走行可能な区間はあるんですかねえ…
Slovenske železnice(スロベニア鉄道)、基本単線のようですが、インフラの更新や交換線の新設はやっているようなんですね。
HŽPP(クロアチア鉄道)の列車と異なり、Slovenske železnice(スロベニア鉄道)の列車は休み休み走行せずキビキビと走行し、とはいえ200km/hで走行したという実感のないまま、Maršal(元帥)終焉の地Ljubljana(リュブリャナ)に到着のようですね。
Železniška postaja Ljubljana(リュブリャナ駅)、ホームから駅舎までえらい遠いですね…
Ljubljana(リュブリャナ)にも交通ICカードがあるようなんですが、カード残額を気にしなければなりませんし、そもそも販売場所やチャージ出来る場所を見つけなければ話になりませんし、一見客には手持ちのクレジットカードorデビットカードで決済できるに越したことはないですね。
乗車バスを間違えて見知らぬ田園地帯にほっぽり出されず、生きてLjubljana(リュブリャナ)郊外のホテルにチェックイン。地下と聞いていましたので、窓が無くジメジメした部屋を想像していましたが、カラッとしていて一応窓もあるようでいいですね。
社会主義リアリズムな建物が並ぶLjubljana(リュブリャナ)郊外を散歩しますが、Dubrovnik(ドゥブロヴニク)市内のJugónostalgíja(ユーゴノスタルギヤ)な博物館で展示されていたキオスクを見かけますね。
旧Jugoslavija(ユーゴスラビア)、南の端のマケドニアから北の端まで各地のスーパーで見かけるArgetaは、Slovenija(スロベニア)のメーカーで作られているようですね。https://www.argeta.com/en/our-story
Muzej novejše in sodobne zgodovine Slovenije(スロベニア近現代史博物館)で、Jugoslavija(ユーゴスラビア)成立前後からの当地Slovenija(スロベニア)の歴史のお勉強としますね。
Slovenija(スロベニア)の歴史なのに、全てはSarajevo/Сарајево(サラエヴォ)から始まるようですね。
Maribor(マリボル)の博物館と同様、Ljubljana(リュブリャナ)のMuzej novejše in sodobne zgodovine Slovenije(スロベニア近現代史博物館)も物量で攻めてきますね。
現在はHrvatska(クロアチア)やSlovenija(スロベニア)領土になっているイストニア半島は第二次世界大戦前まで多数のイタリア系の人々が住み、逆にスロベニア語でTrstと呼ばれていた現Italia(イタリア)のTrieste(トリエステ)やその周辺には多数のスロベニア系の人々が住んでいて、第二次世界大戦前後はいろいろあったようなんですね。
Muzej novejše in sodobne zgodovine Slovenije(スロベニア近現代史博物館)、Maršal(元帥)は功罪相半ばする、愛憎相半ばする存在として描いているようですね。
夜のLjubljana(リュブリャナ)の街に消えず、生きてホテルに帰着。ホテル近くにある飲食系テナント以外全て日曜休業と思われるショッピングモール(ALEJA)のフードコートにあるマクドで夕食難民を免れましたね。
宿泊ホテルそばのお店で朝マクドと思いましたが、よくよく考えますと昨晩ショッピングモールのマクドで食べたばかりですね。
宿泊ホテル近くにピッツェリア(Pizzeria Napoliš)があることが分かりましたので昼食としますが、若い男性店員さんがえらいフレンドリーな接客かつ懇切丁寧な説明ですね。
ややっ、EUR7.99でモッツァレラチーズがえらいようけ入っていて下のトマトソースが見えないマルガリータを美味しく頂けるとはえらいお得ですね。
こちらのピッツェリア(Pizzeria Napoliš)、店内は自分以外に来客一人だけですが、店外にはピザを待っている宅配の人が行列を作っていて、自宅の近くにもぼったくり米帝ピザチェーンで無くこちらのお店が欲しいところですね。
Titoizem(チトーイズム)の負の遺産か、よくよく見ますとLjubljana(リュブリャナ)の幹線道路にも高松仕様の嫌がらせ地下道を見かけますが、横断歩道が併設されていて対策しているようですね。
Zagreb(ザグレブ)のような路面電車バージョンではありませんが、Ljubljana(リュブリャナ)にも路線バスバージョンのトランジットモールがあるようですね。
Ljubljana(リュブリャナ)旧市街の伝統市場は、食品ロスの削減とか意識が高いですね。
Ljubljanski grad(リュブリャナ城)、人間の良心に従い?トイレのチップを徴収しなくなったようでいいですね。
とある勢力が跋扈する大阪方面の公園や宮殿遺跡と同じく?市当局が公共空間であるLjubljanski grad(リュブリャナ城)の民間事業者への切り売りを行っているんですかねえ。
Ljubljanski grad(リュブリャナ城)、オーストリア・ハンガリー帝国時代の20世紀初めには刑務所、第一次世界大戦時にはイタリア人中心の捕虜収容所となっていたようで、監獄跡ではパスタやリゾット、エスプレッソのひとときを愉しめず禁断症状に苦しむイタリア人捕虜と思われるうめき声の演出がなされていますね。
Ljubljanski grad(リュブリャナ城)、Ljubljana(リュブリャナ)市街を見下ろせる塔だけでなくSlovenija(スロベニア)の歴史博物館もあるようですが、昨日訪問したMuzej novejše in sodobne zgodovine Slovenije(スロベニア近現代史博物館)のような物量で攻めてくるタイプでは無く、展示品は控えめにインタラクティブな演出で攻めてくるタイプのようですね。
Ljubljanski grad(リュブリャナ城)の歴史博物館、旧Jugoslavija(ユーゴスラビア)の他所と異なり、オスマン帝国の侵攻や支配についてスルーしたり自民族中心な展示にしたりということがなく、比較的客観的な展示になっていますね。
Ljubljanski grad(リュブリャナ城)の歴史博物館、Maršal(元帥)のゲームで遊べるようですね。
Ljubljanski grad(リュブリャナ城)にも、第二次世界大戦の犠牲者を祈念するJugoslavija/Југославија(ユーゴスラビア)時代の石碑が残っていますね。
手持ちのLjubljanski grad(リュブリャナ城)のチケットで、Slovenija(スロベニア)の人形劇に関する博物館(Lutkovni muzej)にも入れるようですので、入っておきますね。
ややっ、Jugoslavija(ユーゴスラビア)時代のSlovenija(スロベニア)人形劇、えらい前衛的な人形を用いて劇をしていたんですね。 http://lutkovnimuzej.si/Home
第二次世界大戦末期~大戦直後には、パルチザン人形劇(Partizansko lutkovno gledališče)が現在のSlovenija(スロベニア)各地で上演されたようですね。 https://www.muzej-nz.si/znameniti-predmeti/partizanske-lutke/