神政政治の舞台だったと思われるCetinjski manastir/Цетињски манастир(ツェティニェ修道院)を拝んでおきますが、神聖にして侵すべからずな領域だったわけでは無いようで、オスマン帝国の軍隊に略奪されたりヴェネツィア共和国の軍隊に爆弾で爆破されたりと散々な目に遭っているようですね。
神政政治の舞台だったと思われるCetinjski manastir/Цетињски манастир(ツェティニェ修道院)を拝んでおきますが、神聖にして侵すべからずな領域だったわけでは無いようで、オスマン帝国の軍隊に略奪されたりヴェネツィア共和国の軍隊に爆弾で爆破されたりと散々な目に遭っているようですね。
モンテネグロの歴史はなかなか興味深くて、キリスト教国でありながら見た目隣接するオスマン帝国と変わりなかったのに、自ら神政政治を止め列強の力を利用してオスマン帝国からの完全独立を勝ち取りといった、日本とはまた異なる近代化プロセスを見ることができますね。
Cetinje/Цетиње(ツェティニェ)では、19世紀後半に神政政治が終わりモンテネグロ公国が成立して以降に建てられた近代化遺産を見ることができますね。
Cetinje/Цетиње(ツェティニェ)では、またモンテネグロ公国が完全独立を果たして以降に建てられた各国大使館を見ることができますね。
これまで訪問した他所の国でもそうですが、Crna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)はボスのおっさん…Maršal/Маршал(元帥)率いるパルチザンを誇りにしているようなんですね。
日本で維新の名を語る変な?勢力が存在するように、Crna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)でもMaršal/Маршал(元帥)の名を語る変な勢力が存在しているんですかねえ…
離婚した?国家同士何だかんだで社会の雰囲気が似ているのか、単に外国人観光客が少ないせいかは不明ですが、(悪い意味で)素朴な子供を見かけるような気がするCetinje/Цетиње(ツェティニェ)ともお別れですね。
需要ゼロと思われますが、Cetinje/Цетиње(ツェティニェ)のバスターミナルの発車時刻表ですね。
バスの行き先を間違えて暗闇の山中にほっぽり出されず、生きてKotor/Котор(コトル)の宿泊アパートに帰着。
Kotor/Котор(コトル)でも、Maršal/Маршал(元帥)率いるパルチザンを誇りにしているようで、旧市街の門にお星さまが輝いていますね。
Kotor/Котор(コトル)、都市デザインのアンチパターンのデパートである高松を見習ったのか、もともと海に面した城(旧市街)を有していたのに、埋め立てて通過交通や駐車駐輪に溢れる空間を作ってしまっていますね。
Kotor/Котор(コトル)旧市街の外にPalačinke(パラチンケ)屋台を見つけましたのでそちらで昼食を買いますが、本場であるСуботица/Subotica(スボティツァ)が恋しくなりますね。
英語能力堪能な係員にマイルールを押し付けられるバスターミナルより、係員の英語能力が拙くてもクレジットカード対応か、現金オンリーでも高額紙幣を受け取ってくれるターミナルの方がよっぽどいいですね…
ということで、今日も今日とて都市間バスの旅ですが、Cetinje/Цетиње(ツェティニェ)の手前のBudva/Будва(ブドヴァ)のバスターミナルで降りますね。
バスターミナルの時刻表表示を外部Webサイトの自動画面遷移で実装しますと、こうなってしまいますよという見本ですね…
Budva/Будва(ブドヴァ)、アパートの建築現場がやたら多いですが、トルコからの観光客向けと思われる案内も見かけますね。
Kotor/Котор(コトル)と異なり、Budva/Будва(ブドヴァ)の旧市街は通過交通に溢れる幹線道路でなく海に面していていいですね。
Kotor/Котор(コトル)ほどではありませんが、Budva/Будва(ブドヴァ)旧市街はトルコからが中心と思われるイスラム系観光客を見かけますね。
Budva/Будва(ブドヴァ)周辺の山々は、かつては主教公の神政政治の下、スラブ系の部族がうようよしていたようですが、アドリア海沿いのBudva/Будва(ブドヴァ)はヴェネツィア共和国の統治下にあってイタリア系(ヴェネツィア方言)の言語を話す人々が大半だったようですね。
Kotor/Котор(コトル)もそうですが、Budva/Будва(ブドヴァ)もUlcinj/Улцињ(ウルツィニ)と同様、1979年の地震で大きな被害を受けたようで、ヴェネツィア共和国時代より後の19世紀に建てられた正教会のフレスコ画が真新しいですね。
残念ながら、Budva/Будва(ブドヴァ)旧市街からは、ぎりぎりJadransko more/Јадранско море(アドリア海)に沈む夕日を望めぬようですね。
高松も内陸ばっかりに自動車を望めるカフェを作ってないで、海を望めるカフェを作らないですかねえ。
Crna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)最期…最後の夜ですので、Budva/Будва(ブドヴァ)の海沿いの日本語メニューもあるレストラン(Jadran/Јадран)に入って、お魚のスープと弾力が残っているタコさんを美味しく頂きますね。
お隣のテーブルにトルコ語を話す家族連れが入ってきましたが、お店の人も簡単なトルコ語なら理解出来るようですね。
乗車バスを間違えてСрбија/Srbija(セルビア)のНиш/Niš(ニシュ)に戻らず、生きてKotor/Котор(コトル)の宿泊アパートに帰着。Budva/Будва(ブドヴァ)のバスターミナルはクレジットカードが使えますし、各乗り場ごとに案内表示がありますし、クレジットカードも50ユーロ紙幣も受け付けないKotor/Котор(コトル)のバスターミナルは爪の垢を煎じて飲んだほうがいいですね。
需要ゼロと思われますが、Budva/Будва(ブドヴァ)のバスターミナルの発車時刻表ですね。
今朝も、Kotor/Котор(コトル)旧市街前の岸壁に停泊中の豪華客船から、人々が蜘蛛の子を散らすように飛び出していきますね。
かつてCàttaro(カッターロ)と呼ばれたKotor/Котор(コトル)やBudua(ブドゥア)と呼ばれたBudva/Будва(ブドヴァ)に限らず、アドリア海沿岸にはヴェネツィア共和国支配に由来するイタリア系の人々が広く住んでいたようですが、ハプスブルク帝国以降のスラブ化政策や第二次世界大戦以後のイタリアへの脱出などで現在は数えるほどしか住んでいないようなんですね。
カルスト地形の影響か、Kotor/Котор(コトル)湾は海岸近くで湧水が多いようなんですね。
Kotor/Котор(コトル)のバスターミナル至近の宿泊アパート(Vicky Apartments)…といっても昔ながらの石造りの一軒家を出発しますね。
今日も今日とてKotor/Котор(コトル)のバスターミナルから都市間バスの旅ですが、Budva/Будва(ブドヴァ)始発のバスは発車時刻の約30分後に到着し、約40分遅れで出発しますね…
乗車しているバス、窓ガラスが二重構造になっていて断熱性・気密性に優れているんでしょうが、おそらく熱線吸収でないのと施工品質のせいか結構な割合で内部が結露していて外の景色が著しく見にくいですね…
日頃の行いのせいか、シェンゲン圏のカーテンに弾き飛ばされず、ノークエッションでHrvatska(クロアチア)に入国できましたが、SNSの投稿を見ますと厳しい時は全員細かく質問されるのと荷物検査もあるようなんですね。
Hrvatska(クロアチア)に入国しても、しばらくの間はシェンゲン圏のカーテンが目の前の稜線に下ろされているようなんですね。
行き倒れせず、Dubrovnik(ドゥブロヴニク)のバスターミナルから旧市街寄りに約30分歩いたところにあるアパートに到着ですね。
市当局の建築規制が機能しているのか、Crna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)の観光都市にはあった街並みの乱雑さが、こちらには全くありませんね。
とはいえ、山の向こう側のBosna i Hercegovina/Босна и Херцеговина(ボスニア・ヘルツェゴビナ)と異なり、干からびてなくしおれてもなくシャキシャキしている葉野菜パックがスーパーに大量に並び、Crna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)と比べても心なし安くなったように見え、使い捨てフォーク付きのサラダパッケージも並ぶようになりましたのでそちらで夕食としますね。