This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
土日にエネルギーを使い果たしたので今日はしんどい。家に帰ってから色々と片付けようと思っていたが、やる気が出ない。
TODO だけでも Remember the Milk に登録しようか。
昨日の鹿柵点検作業。
集落をぐるりと囲む鹿柵(イノシシも対象なので、正確には害獣防止柵)を点検して補修する作業です。年に3回行う。
昨日の宮普請(2)
「宮普請」と言うからには、村の神社の美化・整備作業もしなくてはならない。ということで、参道や境内の立木の剪定作業も行った。
区長(集落の自治会長)にとっては、昨日の鹿柵点検や宮普請など、定例化している集落年間行事の段取をするのは非常に重要な仕事である。
やらなければならない仕事はけっこう沢山ある。
まず、当日までに、
・日程の周知
・参加人数の確定
・休憩時の飲物の準備
・慰労会の食事の手配
・作業用資材の準備
当日に、
・出欠簿の記入
・作業の割振り
・開始の号令
・補助金申請用写真撮影
・休憩の号令
・終了の号令
後日に
・自治会活動保険に関わる報告書作成・提出
・補助金に関わる報告書作成・提出
と言ったところかな。
ただし、毎回、全部をやる訳ではない。今回は、補助金には関係がない。また、鹿柵点検にかかる資材準備などは山林係が担当してくれる。
「宮普請」ということで、かつては、作業を終えた後にいったん皆自宅に帰って風呂に入ってから、公会堂に集って慰労会をしていた。貧しい田舎においては、数少ない娯楽の場であったと思う。神さんのことをしたんだから、ちょっとは楽しんで良いよね、と。
昨日は、作業終了後に弁当を配布して、そうしたい人は公会堂でお酒を飲みながら食べてね、という形だった。
昨日の宮普請の場合、参加者13人に対して、公会堂での慰労会参加者は4人だけだった。
コロナ禍によって、こういうコミュニティの酒食の場が減ったことは確かなのだけれど、それだけが原因では無い。むしろ、今まで多少の無理をしながら続けてきた恒例行事を廃止したり縮小したりするための恰好の理由付けをコロナ禍が提供してくれたという面が大きいと見ている。
うちの集落の場合、かつては宮普請に出てくるのは一家の家父長であるのが当然だった。それが今では女性も出てくる。更に、集落以外に生活の場を構えている人が出てくる。集落内に田圃がある以上は集落の付き合いをしなければならないという理由で、年老いた夫あるいは父親に代って、集落の賦役に出てくる人がいるのだ。(集落は今も自治活動を家単位で考えている。)そういう人たちにとっては、慰労会で酒を飲んでうだうだと語り合うよりも、さっさと自宅に帰って風呂に入って寝たい、という場合も十分に多い。
だから、最近では弁当の配布が普通になった。これは、うちの集落だけでは無いだろう。
田舎の集落では、損得勘定は非常にシビアである。
自分が一方的に損をする、ということに対しては必ず異議申し立てがなされる。また、誰かが一方的に損をして不平を言う、という事態が生ずることをリーダーは非常に嫌う。
だから、慰労会への参加を強制せずに、弁当を配布する。
その意味では、民主的な自治が行われている、と私は思う。「家単位での」という大きな制限があることは事実だが。
また、集落に馴染めない人への排撃が非常に苛烈であることも事実だけれど。
私、区長としての住民からの評価は悪くない筈だと思っています。
頭が良いだけの生意気な子どもであったこともよく知られているし、世間で名の通った大学に入ったは良いが卒業できずに尾羽打ち枯らせて帰って来たこともよく知られているし、相変わらず、なまけもので、気分屋で、変な所のある難しい人間であることも皆知っていて、その割には良くやってくれているよな、ぐらいの事ですけれど。
去年一年間、何に注力したかと言うと、次の3つかな。
・公会堂周辺の草刈をすること
・詳細な議事予定を準備して役員会にのぞむこと
・役員や住民を酒食でもてなすこと
最後のは、前にもどこかに書いた気がします。何か、保守的家父長の心得その第一、みたいな感じですけれど、これ、実際に効果があるんですよね。役員会の後半は飲み会と決っているし。一番評判が良かったのは、夏の暑い日にお寺の掃除をしていた婦人会の人たちに差し入れたアイス・キャンデーでしたけど。
私は自分の言葉を凶器にすることが出来る、相手を追い詰めて傷を負わせることが出来る。
怒りにまかせて言いつのっていたら、いつの間にか相手がおびえた顔をしていた、そういう経験が何度かあって、これは気をつけなければいけないと思っています。
何でもらんさんからその名前が出るのか知りませんが、良いですよね、稲垣足穂。
This account is not set to public on notestock.
@Ksyzr この前アイス・キャンデー食ったのいつだったかな。またそろそろ食べたくなってきた。ミルク金時とか、宇治金時とか、かちんかちんの小豆バーとか。
This account is not set to public on notestock.
https://www.youtube.com/watch?v=ev8pYm5xYHo
Bob Dylan - Heart of Mine
Bob Dylan - vocals, piano
Ringo Starr – drums
Ronnie Wood – guitar
Donald "Duck" Dunn – bass
アイスキャンデーのストックは無い。最寄りのコンビニは車で10分ぐらいの所にある。よし、明日、買いに行こう。
夕食を済ませてマストドンを見ていた時に、アマゾンで昨日注文した物をクロネコさんが届けてくれた。
え、こんな時間に、こんな山奥まで来てくれたの? と思った。
自分から荷物を送る時、いつもクロネコを利用している。自宅のパソコンで送り状を印刷して、最寄りの集配センターに持ち込むのだけれど、てきぱきと対応してくれて気持ちがよい。ブラックな印象は無いのだけれど、表面を見るだけでは分らないのかな。
今夜、先ほど届いた荷物は、充電式ハンディ・チェーンソーのガイド・バーとソー・チェーンのセットで、「たいていのハンディ・チェーンソーと互換性があります」と謳っているものだ。
コメリで買った B-Share ブランド(コメリのオリジナル・ブランド)のハンディ・チェーンソーがこの前の日曜日に故障して使えなくなった。ガイド・バーが破損したのだ。はぁー、やっぱり安物買いの銭失いということなのかなあ、とがっかりした。
本来なら、コメリに対して修理なり交換用部品の提供なりを要求すべきだと思うが、コメリはそういう事が得意ではないような感じだ。ある先輩も、電動工具のACコードが断線したので修理を依頼したら一ヶ月もかかった、と呆れていた。
そういうことなので、若干の不安はあったが、自分で何とかしようとした訳だ。
夜だけれど、さっそくガレージで部品交換を試みた。今夜は思ったより暖かい。
うまく行った。完全に互換だった。ソー・チェーンは換える必要が無かったので、予備として保管することにした。
ということで、にんまりしておりまする。
This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
@Ksyzr 22時からだと思ってあわてて跳んできたんだけど、そうか、23時からか。ちょっと用事をすませてくる。
This account is not set to public on notestock.
This account is not set to public on notestock.
今シーズン初めてトラクターを動かして田圃を鋤いた。
草の緑がだんだん目に入るようになってきた。
名前と言うと、昔々、
野に咲く花の名前は知らない
だけども野に咲く花が好き
という歌詞のフォークソングを聴いて、いい加減なことを言うなあ、好きなものに対してそんな態度で平気な奴なんぞおらんやろと思ったことを思い出す。
人の名前を覚えられなくて困ったという経験はあまり無いが、それは、名前を覚えられる範囲の人たちとのみ関わるような職業であり生活であったからだろう。
それに今はもう名前を忘れていても加齢のせいに出来るので安心である。
昨夜のおうどんでの話を聞いて知ったのだけれど、生きていくために SNS を必要としている、または、SNS を使えば生きていくのが楽になる人がいるのだな。
私自身も SNS 無しでは毎日の生活が物足りないに違いないことは分っている。
でも、物足りないというような段階を超えて、クリティカルなレベルにおいて SNS を必要とする、または、利用すべき人がいるということ。依存ではあるが、中毒ではなくて。
何とも間抜けな感想だな。