hogeとかならいいけどfugaだと「何から逃げるんだ…」と一瞬なる
なるほど「変化させて違和感ありそうなら、元から違和感たっぷりの曲にしとけば演出上の変化も違和感ない」|
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドのサントラを買う人が知らないゼルダBGMの裏側|じーくどらむす|note
https://note.mu/geekdrums/n/naeac6465b1a5
現状の説明では何が何やらな感じなのでἀνυπόκριτοςの修正案.
ザックリしたところではὑποστιγμὴ ἐνυπόκριτοςがprotasisとapodosisを句切るのに対して,こちらは挿入句を句切るためのものということのように思われる.
https://github.com/ncrt035/lexiconGrammaticum/issues/18
Stoppelli, P.(2008), Filologia della letteratura italiana, Roma: Carocci.
写本によって伝承されるものから手稿が残されているもの,印刷出版時代に入ってからのものまでイタリア語文学全般の文献学への入門・概説書.
基礎的な概念をはじめ,文献学とりわけ本文批判に関わる議論を的確にカバーした上で多くの具体例と図をまじえて書かれており非常に便利.要点や重要語が欄外にも書いてあるので教科書風でとても見やすい.
このStoppelliの本(https://gnosia.info/@ncrt035/99743707183439979 )からcritica degli scartafacciについての説明を見てみよう.
「ジャンフランコ・コンティーニに負うこの表現は原著者の文献学(※写本の筆写などで伝わる作品の文献学と対照して)の目的を上首尾に言い表している.草稿を再整理し,ある作品の生成過程を再構成することで理念的に著作者の製作現場へと入っていき,生き生きとした形で創造的メカニズムの動きを観察し,テクストとの最も近い接触を確立することができるようになる.」
Questa formula, dovuta a Gianfranco Contini, esprime felicemente le finalità della filologia d’autore. Riordinare le carte, ricostruire il percorso genetico di un’opera permette di entrare idealmente nell’officina dello scrittore, di osservare dal vivo l’andamento del meccanismi creativi, di stabilire col testo un contatto ravvicinatissimo. (p. 118)
『現代数学』(2019年4月号)三浦先生の「歴史から見る数学 数学史から見る歴史」が今回はコレージュ・ロワイヤル(コレージュ・ド・フランスの前身で1530年に人文学者ギョーム・ビュデの助言のもとフランソワ1世により設立)における数学教授職について.
設立当初のコレージュ・ロワイヤルはギリシア語教授,ヘブライ語教授,数学教授の布陣で,ラテン語修辞学とかは後から加えられたというのは知らなかった.ここに数学が加えられたのは「数学によってフランスが繁栄し,周辺の他国や他民族を科学の領域で凌駕するため」で,当時はドイツの方が数学教育は先行していたので,フランスの大学の数学教育を促進する狙いがあったと.
メインに取り上げられている数学者オロンス・フィネの仕事も(エウクレイデース『原論』出版など)実用数学教育という性格が強かったらしい.ちなみに彼はルフェーヴル・デタープルの弟子だったりと,知っている古典学者の名前が色々出てくるのでおもしろい.
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食事時に「こうやって呑気に昼ごはん食べてる間も遠隔地ではサーバが働いてくれてるんだなうふふ」となることはある
完全に隣の芝生事案なのは百も承知だがそれでも,エンジニア界隈はオタク(もっとも広い意味におけるそれ)が多くて羨ましい,っていうのによくなる
Education and Science Giant Elsevier Left Users’ Passwords Exposed Online https://motherboard.vice.com/en_us/article/vbw8b9/elsevier-user-passwords-exposed-online
306年から1583年までの地震記録262例を月ごとに分けて,発生頻度に季節による不均衡があるのではないかと論じる1841年の記事(A.Perrey).
Comptes rendus hebdomadaires des séances de l’Académie des sciences, t. 12, pp. 1185-1187.
https://archive.org/details/comptesrendusheb12acad/page/1184
ダンテ『神曲』「煉獄篇」で,魂が浄化されたことを自ら悟った際に地震が起きるという記述がある.
「おそらく下界では小さな,また大きな地震が起きているのでしょう.
しかしそれは大地に封じられている風によるものです.
理由はわかりませんが,この上で地震が起きたことはありません.
「ここが揺れるのは,自身が清められたことを悟って,
誰かの魂が上へと昇るために
起き上がるか動き始めた時であり,あの歓声はそれに続きます」(Pur. 21.55-60. 原訳)
この少し前には煉獄にいかなる気象の変化もないことが言われていて,古代より地震は気象現象との関連のもとに考えられてきたから,煉獄の「地震」も地上的なそれとは異なるもの(ところでダンテは,「乾いた蒸発気secco vapor, 52行」のような言葉遣いや地下の風を地震原因とすることからして,アリストテレース以来の気象理論を踏まえている).
魂の浄化という喜ばしい出来事に対して,古代以来専ら災害や凶兆として捉えられてきたであろう地震のイメージが用いられているのはなぜだろうと思ったが,聖書ではイエスの復活の際に地震があったとしているのだった.
「さて,安息日が終わって,週の初めの日の明け方に,マグダラのマリアともう一人のマリアが,墓を見に行った.すると,大きな地震が起こった(καὶ ἰδοὺ σεισμὸς ἐγένετο μέγας).主の天使が天から降って近寄り,石をわきへ転がし,その上に座ったのである」(マタイによる福音書,28.1-2. 新共同訳)
でも十字架にかけられて息を引き取った際もやはり「地震が起こり,岩が裂けκαὶ ἡ γῆ ἐσείσθη καὶ αἱ πέτραι ἐσχίσθησαν」(マタイによる福音書,27.51)たのだった.聖書における地震の例をもっと見ないとわからないが,吉兆とか喜ばしいものとして現れているとは言いづらそう(神に由来する超自然的な,畏怖すべき出来事の一例くらい?).
仏教における瑞兆としての地震の特殊性はまた別に考慮する必要がある(https://gnosia.info/@ncrt035/101101413248045918 ).
地震はそれ自体が一つの災害であるため多くの場合凶兆として取り扱われるが,仏典においては吉兆とされる解釈が目立つのは興味深い.そういえば仏語の六種震動も仏が説法するときの瑞相(吉兆)とされる.
「地震は一種の自然現象であって,良いものとか悪いものとかと言うことはできない.しかし,地震はしばしば人類に多大な危害をもたらしたため,地震を一種の厄災とすることが一般的である.少なくとも,地震を吉祥とみなすことはないであろう.しかしながら,仏教においてはその一般的地震観と違い,地震は必ずしも災難とはみない.もちろん,厄災とみなす地震記録もみえるが,ある種の吉祥とみなす地震の方が多い」(p.189)
読めるようになっていたので再び.高津先生の書評本文からJacksonの紹介となる部分を抜粋すると,
「これは世にかくれた學者の遺著である.Jacksonは言うところの學者ではない,オクスフォドのQueen’s Collegeを出て間もなく彼は家庭の事情からイングランドの西北隅,湖水地方で名高いCumberlandのCaldbeckに母親と共に暮しつつ,その農場の面倒を見なければならなかつた.日々の激しい仕事の裡に讀書にさき得るのは夜のみであつた」
「發表する積りなしに,ただ自分の興味のために覺えのノートを書き溜めた.荒涼たるCumberlandの農場で,近くに利用すべき圖書館もなく,夜毎に唯一人古典に沒入していた彼の手許には新らしい校訂書も殆んどなかつた.原典批判に必須の參考書もなかつた」
という中で三大悲劇詩人とアリストパネースの喜劇の本文批判について価値の高い仕事をした人物です.
古典文献学者で詩人のA.E.ハウスマンは,後々ロンドン大学やケンブリッジ大学の教授職に就くけれども,学士試験に失敗して大学を出た後,ロンドンで特許局の役人として働きつつ,仕事の後大英図書館で古典研究を行っていたという人なのでちょっと変わった経歴ではある.
プヨグラミングしてるときは括弧の数があってなければちゃんと弾かれるが,自然言語で無茶な挿入句を連発して長い書誌情報までぶち込んだ結果終わりの括弧を書き忘れていても特にその段階でエラーが出るわけではないので,後で詳しく校正させられる立場の人間が泣きを見る(今見ている)
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アラートループ家宅捜索(いわゆる「兵庫県警ブラクラ摘発」)事件に関する寄付の呼びかけ - 一般社団法人日本ハッカー協会 https://www.hacker.or.jp/alertloop/
「自分の興味ある事柄を一方的に延々と話し続ける」人の相手をする方が,「大して面白くもないし何なら本人すら大して面白いとも思っていない話題を方々へ転がし,それに対して然るべきリアクションを然るべきタイミングで繰り出すことを強い,剰え自分たちを多数派と信じて疑わぬが故にデリカシーを欠いた言動を常とする」適法生存者たちに引きつった笑顔で話を合わせるよりはるかに楽というのはいつも思う.
そういえば以前,某先生が,「決して悪い人ではないんだけれども,話をしていると妙に疲れるというか緊張感のある人がいて,何故だろうと思って観察していると,とにかく相手へのリアクションが否定的な切り口から始まる人だったんですね」という話をしていた.
E.g. 「今日は寒いですね」に対して「そうですね」とかではなく「いや,寒いなんてもんじゃない」と返して主導権を持っていってしまうみたいな例だったと思う.
三浦つとむのことは恥ずかしながら知らなかった.マルクス主義者で言語学者(日本語学)の人だったのか.
三浦つとむ - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E3%81%A4%E3%81%A8%E3%82%80
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時は大水商売時代だ!
SNSにおける”人気商売”について考える|es/江藤俊司(鳩)|note https://note.com/esfeb0103/n/n4120b47f67c0
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数万人、数十万人、それ以上の人々が自分を「フォロー」している状態でその全員に対して「人を人と思」うのは健康を害しそうな気がする(だからSNSはよくない、と結論付けてもよいが、しかし……)
この場合、個人を当人が交流対象として扱える・人間関係を築ける規模を超える人々から見えるようにするシステムはSNSでなくともよくないということになる
「目垢がつく」=「多くの人に見られることで物の価値が下がる」という考え方
https://gnosia.info/@ncrt035/102510615166188608
朱墨したたる厚生労働省の看板が画として最高すぎる
「年金に不満あった」70代男が厚労省看板に赤い墨汁|テレ朝news https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000179890.html
beamerのスタイル,以前はCopenhagenを使ったけど,metropolisがおしゃれでいいですね.
スライドの場合はギリシア語はやはりGFS Neohellenicがよいかな.和文と比べてやや小さく見える気もするが.
XMLにもstanzaという用語があるのか.韻律学で使うくらいかと思っていたが,「一定数の行のまとまり」くらいの気持ちなのだろうか.
@ncrt035 XML ではなく、 XML を利用したチャットプロトコルである XMPP の用語です
皆「スタンザ」というのはイタリア語からではなく英語から取り入れたからで,前者からならばスタンツァ.
XMPPの用語ということだった
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/103884202931190617
英語版のWikipediaにはStanza(computing)の項がわざわざ設けてある.
https://en.wikipedia.org/wiki/Stanza_(computing)
Twitterが同一IPアドレスからアクセスしたアカウントをおすすめユーザーに表示して大炎上した回 #思い出すシリーズ
Tu si te di amant, agere tuam rem occasio est. (Plaut. Poen. 659)「あなたは,もし神々の寵愛があれば,ことを行うチャンスだ.」
最初の tu が主格だが,直後の si 以下の条件文を挟んだせいで後の文章と関係が切れて遊離している.
文法書見てたら Naucratem, quem convenire volui, in navi non erat (Plaut. Amph. 1009)「私が会いたかったナウクラテースは船にいなかった」みたいなのが目に入って「ぶらさがり対格もあるのか」ってなったけど,これは格の牽引が起きたと考える方が自然なんだろうな…
ルクレーティウスの exstantisque procul medio de gurgite montis | classibus inter quos liber patet exitus ingens, | insula coniunctis tamen ex his una videtur (Lucr. 4.397-399)「沖合に聳える山々は,その間に艦隊が自由に通れる道があいていても,それらが連なって一つの島に見える」の最初の対格は Bailey の言うように主題呈示的な遊離した対格と考えるのが穏当な気もするが,依然悩ましいな.
キャンセルカルチャーここに極まれり,だ.
来年NHK大河「鎌倉殿の13人」時代考証・呉座勇一氏が降板 ツイッターに不適切投稿 自ら降板申し出(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/e5dcd56c2b8c9c72841c5e86e30a46930820b2ef
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「価値観をアップデートォッ!!!」そう絶叫すると全裸中年男性はだしぬけに自らの陰茎を引き千切りそのまま絶命した
ウ,直接的にいやらしい二次創作が封じられているために抑圧されたオタクの性欲から,シットリテイオー,タキオン怪文書に加え,成人男性を優に凌ぐその膂力に壊されたい勢などヤバめの性癖が次々と爆誕しており興奮を抑えることができない.
テイオーはふだん半角カタカナでしゃべるからだよ(「半角カナでしゃべる」って「明朝体でしゃべる」みたいな synaesthesia だな…
RT @nodawep@twitter.com: ガッツリ締切過ぎているのに著者がずっとウマ娘の育成をしているぐらいのことで動揺してしまうようだとこの仕事はやっていけない。 https://twitter.com/nodawep/status/1374713591404711937
帯広の「ばんえい競馬」売り上げ 過去最高の483億円|NHK 北海道のニュース https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20210322/7000032061.html
×:文系と理系が対立していて理系ばかりが偏重されている
〇:いわゆる「文系」の中で何とは言わないが胡乱な分野が幅を利かせているために正統的な人文学が割を食って死にかけている
@manzyun 人間ないし人間集団の営為を研究対象とするという点では経済学や社会学も広い意味で人文(科)学に入り得ますが,研究手続にしばしば計量的手法が用いられるという点では理科系に近いという側面もあるでしょう.
ウマ娘アプリ,既に同じことを言っている人がいたが,スマホの縦長画面だとレース最終版で見える範囲が限られるのが却って緊張感を高めてよい
タイ語で自宅警備員に近い表現としてบริษัทพ่อแม่จำกัด 「有限会社両親」ってのがあるらしい。使っていくか。 https://twitter.com/ivetren/status/1374555949181018119