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残酷な過去がときに「笑い」を誘うこと。|渡辺豪
https://note.com/yuukaku/n/n097e9e416bce?sub_rt=share_pw
大吉原展はプレスを読むかぎり、おもに外しているのは宣伝の仕方で、他はふつうの美術展でしかないとおもう。
明治期に入って江戸文化の消失という古田氏の視点は、最近おなじことを考えているのでふつうによくわかる(古田氏の参照先が鏑木清方なのを見ても、この企画の背景はほぼ推察できる)。
https://museum.geidai.ac.jp/exhibit/file/%E5%A4%A7%E5%90%89%E5%8E%9F%E5%B1%95_%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B90131_4-%E7%B5%90%E5%90%88%E6%B8%88%E3%81%BF.pdf
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これは検閲の要求でなくてなんなのか。内容がどう問題あるかすら言っていない。
https://twitter.com/kenichiromogi/status/1754707365025427728
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この輸出産業とかインバウンド重視施策ってクールジャパンにおけるセルフオリエンタリズムとおなじだなぁ。というか明治期の殖産興業時の輸出戦略路線がそうなので、近代日本の骨髄まで染み込んでいる気がするけど...。
https://gendai.media/articles/-/75477
村上隆が岡倉天心を自覚的に反復するのはまさにそういう事情を反映しているとおもわれる。
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大吉原展はまじでタイトルのつけ間違えで、企画はどうみても浮世絵展なんだけど、いままで浮世絵がただの美術館芸術として処理されてきたところから、その成立背景を明らかにしながら絵を展示するという、文脈復元的な展示だろうと思っている。その意味で重要な展示になるはずなんだけど、ボタンのかけちがえがある。
それで、ここは1984年MoMAで展示された「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」で起きた論争と近い性質がありそうに思う。MoMAの展示も純粋に学術的な関心からアフリカ美術やオセアニア美術を扱ったが、美術史および美術館という近代の学術装置そのものが植民地主義の忘却のうえに成立している。
学術装置としての美術史や美術館が、社会と関わるときに何が必要になってくるのか。MoMAの展示では美術館という制度の批判がクリフォード・スティルとかからでてきたけど、こういう批判が今回のでは出てくるのだろうか。
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