【史料紹介】林芙美子の南方視察と「南の田園」(『報告・論文集』所収)
https://rjse.upstory.biz/archives/1358
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今西錦司と弟子や仲間たちの研究(梅棹忠夫や中尾佐助ら)、やっぱり大東亜文化研究的な性格があるな
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“「マネタイズ」という言葉は、「アテンション・エコノミー」というものが存在しないことを暗に認める残念な言い回しである。アテンションは交換できないし、価値の貯蔵にもならない。勘定単位(unit of account)として使うこともできない。アテンションは、いわば暗号通貨のようなものだ。トークンはそもそも無価値であって、誰かを騙してトークンと「フィアット」通貨を交換させられる程度の価値しかない。トークンで「マネタイズ」しようとすれば、つまるところ、偽金をホンモノのお金と交換しなければならないのである。”
“技術的自己決定はテックビジネスと相反するものだ、というネットヘッズは正しかった。たしかに彼らは、我々の自由、つまり話し、離脱し、つながる自由を奪うことで、大儲けしているのだから。”
テクストと読者を繋ぐものとしてプラットフォームがあり、その繋がりそのものをビジネスにする、つまりメッセージを届きにくくすることで広告価値を作りだす、というのはもっと別な議論に展開できそうな印象がある。
ヨーロッパで戦後にテクスト論的な流れがでてきたのは言語学を媒介にしているけど、アメリカでメディア論やグリーンバーグが出てきてメディアへの着目を語りはじめるのは何を契機にしているのか
キャメルケースがスネークケースに自動で変換される、みたいなクソなわかりにくい仕組みって誰が考えたの
スネークケースを見たら脳内でキャメルケースに変換して認識しないといけないとかつらいだけで、まじでなんのメリットもないような気がするのだけど...