フン族やアヴァール人、マジャール人などの遊牧騎馬民族が駆け抜けた平原をゆきますね。
Magyar Államvasutak(ハンガリー国鉄)のこちらの路線は本数が少ないせいか、ÖBB(オーストリア連邦鉄道)と比べるとP&Rの自動車はまばらですね。
Budapest(ブタペスト)、第二次世界大戦末期にホロコーストに見舞われつつもナチス占領期間が短かったせいか、現在でも比較的大きなユダヤ人コミュニティが存在するようですね。
ドイツ方面での大雨の影響で、Budapest(ブタペスト)でもDuna folyó(ドナウ川)が大増水しているようですね。https://www.afpbb.com/articles/-/2949087
旧市街の中心部に古めの現代建築が建っていますと、Budapest(ブタペスト)が戦災都市であることを実感しますね。
修復されていない廃墟のような伝統的建造物のそばでカジノの建物が煌びやかに修復されていますと、何だかもにょりますね。
Budapest(ブタペスト)のアジア系観光客はWien(ウィーン)とさほど変わりないように見えますが、欧米系観光客は騒ぎたい&羽目を外したい系?な人々が結構混ざっているように見えますね。
足が滑って増水したドナウの流れに消えず、生きてアパートに帰着。ハンガリーでは当地独特のPaprika
(パプリカ)とTarhonya(タルホニャ)というオスマン帝国由来と言われる麺が有名とのことで、夕食はその組み合わせを頂きましたが、麺といってもクスクスの超巨大バージョンというかマントゥの具無しバージョンいった感じで、パプリカはソースと一体化しているのか食べた実感がしませんね。
宿泊アパートの洗濯機は朝8時から夜8時で夜中は元電源が切られてしまう…ということで、昨夕〜今朝は洗濯機争奪戦に見舞われましたが、やっとこさ洗濯が終りましたので、実質休養日ですが昼食を摂りにBudapest(ブタペスト)旧市街に繰り出すことにしますね。
政治的主張とは、事実の集合体から何を言及するか、もしくは何を言及しないかの選別であることを実感しますね。
Budapest(ブタペスト)の住民や来訪者は、どの事実に対して「選択的共感」を示すんですかねえ。https://www.asahi.com/articles/ASS4C6SW9S4CUHBI001.html
宿泊アパート近くのシナゴーグが集まる地区にあるカフェ(Tel Aviv Cafe)で昼食としますね。
リベラルの牙城たるTel Aviv(テルアビブ)にお住まいのような女性店員が笑顔で接客してくれますね。
わーい、תֵּל־אָבִיב-יָפוֹ(テルアビブ)で頂いたשקשוקה(シャクシューカ)を生きて再び頂ける日が来るとは思いもしませんでしたね。
Magyar Nemzeti Múzeum(ハンガリー国立博物館)に赴いて、古よりスキタイ人、ケルト人、フン人、アヴァール人、マジャール人などの遊牧騎馬民族に蹂躙されてきたハンガリー平原の歴史のお勉強としますね。
台湾人のようには見えない中華系の視察団?が来ていて1989年の展示の説明を受けていますが、同時期に中国で起こった出来事と関連付ける人はいらっしゃるんですかねえ…
Magyar Nemzeti Múzeum(ハンガリー国立博物館)の敷地では、ちょうど民族舞踊のイベントをやっているようですね。
Wien(ウィーン)でもSopron(ショプロン)でも見かけましたが、今日は欧州議会議員選挙があるようで、Budapest(ブダペスト)でも候補者のポスターを見かけますね。
今日も美しき青きドナウに消えず、生きてアパートに帰着。ハンガリー最期…最後の夜ですので、観光客が多い通りからちょっと離れたレストラン(Regős Vendéglő)でSopron(ショプロン)のビールと当地のスープ料理であるGulyás(グヤーシュ)とPaprikás Csirke(パプリカ・チキン)を美味しくいただきましたが、パプリカ・チキンにパプリカ本体が入っていなく替わりに小麦粉の塊のような物体が入っていることを不審に思ったか、外国人男性観光客がお店の人に何やら問い合わせをしていましたね。
中庭が広々としたBudapest(ブタペスト)の宿泊アパート(Palms Apartments Budapest)を出発しますね。
そういえば、Budapest(ブタペスト)の昔ながらの路面電車に未だ乗っていませんので乗っておきますね。
他所のヨーロッパ都市と同じく、Budapest(ブタペスト)の公共交通も信用乗車制ですが、地下鉄の出口で検札員が並んで待ちかまえていますので要注意ですね。
ややっ、相変わらずエモさ全開のBudapest Keleti pályaudvar(ブダペスト東駅)より一昨日に続いてMagyar Államvasutak(ハンガリー国鉄)の旅ですが、目的のIC(インターシティ)は運休のようで、流れている案内表示によると5分後のIR(インターレギオ)に乗れとの指示に見えますね。
Magyar Államvasutak(ハンガリー国鉄)のWebサイトで確認してみますと、目的のIC(インターシティ)は運休ではなく途中駅からの発車のようで、途中駅まではIR(インターレギオ)に乗れとの指示のようですね。
指示された乗換駅では、目的のIC(インターシティ)が定刻通りに逝かずちゃんと待ってくれていましたが、前方と後方の客車で行先が異なるというトラップも待ってくれていますね…
こちらのIC(インターシティ)、国境近くになると実質IR(インターレギオ)になるようでMiskolc(ミシュコルツ)からいっぱい乗っていますが、ハンガリー北部はロマ(Roma)が多く住んでいるようで肌の色が濃いめの乗客が多いですね。
Miskolc(ミシュコルツ)から乗ってきた皆さんが降車したところで、Magyarország(ハンガリー)・Slovenská(スロバキア)国境のようですね。
Magyarország(ハンガリー)では、社会主義リアリズムに基づく建築といいますか、Budapest(ブタペスト)のごく一部を除いて共産趣味者が歓喜しそうな現代建築は少なかったですが、Slovenská(スロバキア)に入ったとたんにいっぱい出現しますね。
IC(インターシティ)は終点Košice(コシツェ)に到着したようなんですが、えらい場末感溢れるところで下ろされてしまいますね。
秘密警察に連行されず、生きてKošice(コシツェ)旧市街のホテルにチェックイン。旧市街に入りますと伝統的建造物が連なる街並みに変わり、共産趣味者にとっては残念?ですね。
Košice(コシツェ)旧市街に架線レスのトランジットモールかと思いましたが、単なる線路跡のようで昔ながらの路面電車車両がオブジェとして置かれているだけのようですね。
Košice(コシツェ)では1976年のチェコスロバキア共産党支配時に策定された現行の都市計画を時流に合わせて改変するようで、旧市街の一角にその改変概要と市民参加の呼びかけに関するパネル展示が見られますね。
パネル展示によりますとKošice(コシツェ)は住民一人あたりの緑地面積が狭いとのことで、どっからかの勧告を受けているようですが、スプロールを極める地から来ますと大いに緑豊かに見えますね。
スロバキア料理秘密警察?に連行されず、生きてホテルに帰着。Košice(コシツェ)旧市街に隣接するショッピングモール(Aupark)内にあるブッフェで夕食としましたが、ソーセージ&お豆のスープとハンガリーで頂いたパプリカチキンとよく似た煮込み料理を合わせてEUR4.5とはえらい破格ですね。
旧市街を南北に貫く目抜き通りの地下から出土した要塞跡の博物館(Dolná brána)で、Košice(コシツェ)の歴史のお勉強としますね。https://www.kosice.sk/mesto/dolna-brana
「大祖国戦争」勝利の記念碑(Pamätník vojakov Sovietskej armády)を眺めつつ、Košice(コシツェ)から消えていったユダヤ系の人々やドイツ系の人々、一部のハンガリー系の人々に思いを馳せますね。
市街地から遠く離れた工場への労働者輸送用に路面電車を建設するのは世界広しといえど宇都宮だけという先入観を持っていましたが、どうもそうではないようですので、これからKošice(コシツェ)の路面電車に乗ってみますね。
コシツェ市電(Električková doprava v Košiciach)、2010年代に導入された比較的新しい車両でも部分低床車なんですね…
1964年に開業したKošická rýchlodráha(コシツェ急行線)に入りますが、当然のことながら宇都宮に比べますとインフラが古いですね。
Košická rýchlodráha(コシツェ急行線)の終点である元国営の製鉄工場(U. S. Steel Košice)に到着しましたが、終点ターミナルのエモさは想像を絶しますが、宇都宮ライトレールの終点と異なり工場の敷地のようで、銃所持禁止と合わせて写真撮影禁止の看板がありますので写真は無しですね。
元国営工場の秘密警察にスパイ容疑で連行されず、何とか生きて路面電車で工場を脱出出来たようですね。
Košická rýchlodráha(コシツェ急行線)、市街地から遠く離れた工場への労働者輸送オンリーで路面電車を作りますと、こういうダイヤになってしまいますね。
Košice(コシツェ)は比較的大きな都市ですので、旧市街に隣接して新しめのショッピングモール(Aupark)がありますが、市街地の縁にも別のショッピングモール(OPTIMA)がありますので至近距離の路面電車の電停から来てみましたが、路線バスも充実しているようですね。
ショッピングモールの売り場案内でも、路面電車や路線バスの直近の発車時刻が表示されていていいですね。
Košice(コシツェ)郊外のショッピングモール(OPTIMA)でカフェ休憩としますが、当地の生クリームたっぷりのデザート(Halušky)がありましたのでコーヒーと一緒に頂きますね。
Magyarország(ハンガリー)ではクレジットカードを使いまくって独自通貨のクレジットキャッシングor両替をせずに済ましたが、Slovenská(スロバキア)ではユーロが使えるのはいいですがトイレのチップなど現金オンリーなところがあるようですので注意が必要ですね。
夜のKošice(コシツェ)旧市街は市民や観光客が程よく繰り出していて、高雄のように架線レスの路面電車が走っていますと郊外住民の利便性向上と相まってもっといいんですが、もったいないですね。
食い倒れせず、生きてホテルに帰着。早くもSlovenská(スロバキア)最期…最後の夜ですので、Košice(コシツェ)旧市街のレストラン(Central Pub&Restaurant)で昨日フードコートで頂いたソーセージとお豆のスープの洗練バージョンとPirohyという見た目は餃子に似た料理を頂きましたが、餃子の皮の中にクリームコロッケのクリームが入ったような料理でかなり違和感を感じてしまいましたね。http://www.chiipoyo.sk/blog/slovak-meal10/
今日は移動日ですので昼食を摂らずに済むよう無料朝食をしっかり摂取せねばなりませんが、野菜がトマトと胡瓜しか無くいけませんね。
Košice(コシツェ)の宿泊ホテル(Pension Horse Inn)をチェックアウトしますが、Wien(ウィーン)に着陸した日は暑いくらいでしたが、今日は長袖シャツ一枚では寒いですね。
長距離バスターミナルを中心市街地から離れた郊外に設置して旅行者の都市間移動コストを押し上げる、大韓民国や偉大なる中華民族の国家、偉大なるトルコ民族の国家は、つつましき小国?のスロバキアの爪の垢を煎じて飲んだ方がいいですね。
今日はKošice(コシツェ)の鉄道駅からŽSR(スロバキア国鉄)の旅ですね。一昨日は場末感溢れるホームに降り立ちましたが、今日は人道的な?ホームでのんびり列車が来るのを待てるようですね。
一昨日のBudapest(ブダペスト)〜Košice(コシツェ)間はかつて各種遊牧騎馬民族が駆け抜けたハンガリー平原を走行し山々は遠くに見えるだけでしたが、今日はKošice(コシツェ)を出発してすぐ山々の間を走行しますね。
Slovenská(スロバキア)にも、ロシアのダーチャ的な家庭菜園&別荘があるようですね。
Zilina(ジリナ)でIC(インターシティ)からEC(ユーロシティ)に乗り換えて、ぼちぼちビロード離婚相手との国境のようですね。
Slovenská(スロバキア)からČesko(チェコ)に入ったようですが、離婚した同士あまり変わりないようですね。
Český Těšín(チェスキー・チェシーン)の駅前から、かつて路面電車が通っていたという通りを行きますね。
国境警備隊に連行されず、生きてPolska(ポーランド)のCieszyn(チェシン)のホテルにチェックインできたようですね。
今朝のSlovenská(スロバキア)のKošice(コシツェ)もちょっと寒かったですが、Polska(ポーランド)のCieszyn(チェシン)は一段と寒くて凍えますね。
Polska(ポーランド)のCieszyn(チェシン)とČesko(チェコ)のČeský Těšín(チェスキー・チェシーン)は、第一次世界大戦後に川を挟んで分割されるまで一つの都市で、ハプスブルク家の支配下とはいえチェシン公国の首都だったようで、旧市街のあるポーランド側は壮麗な建築が見られますね。
路面電車が両岸を結び、ポーランド系やチェコ系以外にユダヤ系やドイツ系の人々も住んでいた時代に思いを馳せますね。
シェンゲン協定で国境管理が廃止されて久しいせいか、Polska(ポーランド)のCieszyn(チェシン)とČesko(チェコ)のČeský Těšín(チェスキー・チェシーン)は歩行者の行き来が多いようですね。
Polska(ポーランド)のCieszyn(チェシン)では、寒さにもかかわらず旧市街の広場やオープンカフェで憩う人々が多かったですが、Česko(チェコ)のČeský Těšín(チェスキー・チェシーン)は広場はあるんですがオープンカフェは無く閑散としていますね。
先程は時間が合わず徒歩で国境を越えましたが、Česko(チェコ)のČeský Těšín(チェスキー・チェシーン)とPolska(ポーランド)のCieszyn(チェシン)を結ぶ一駅だけのかわいい列車がありますので乗っておきますね。
この周辺の鉄道は、国境付近だけ線路はあるのに旅客列車を設定してなかったり、あっても国境付近だけ別系統で本数が著しく少なかったりと、ローカル鉄道愛好者に厳しいですね。
空腹により行き倒れせず、生きてホテルに帰着。宿泊ホテル近くに大型スーパーがありましたので、明日朝のパンと合わせてクスクスとサラダを調達して夕食難民を免れましたね。
宿泊を予定していた激安のところが銀行送金が必要でしたので、懐を痛めて変更したチェーン系ホテル?(Hotel Liburnia)を早々にチェックアウト&荷物預けして、昨夕に続いてポーランドとチェコスロバキアの係争の地を散歩としますね。
Polska(ポーランド)のCieszyn(チェシン)側にあるお城(Zamek w Cieszynie)を見ておきますが、川の対岸のČesko(チェコ)のČeský Těšín(チェスキー・チェシーン)側がよく見えますね。
Polska(ポーランド)のCieszyn(チェシン)、都市の規模的には、今回最初に訪問したMagyarország(ハンガリー)のSopron(ショプロン)と同程度と思われますが、旧市街の生活感が全然違いますし、市民のための小売店や飲食店も多いような気がしますね。
旧市街に隣接して真新しいショッピングモールがありますし、大型スーパーやホームセンターもあって、徒歩でアクセスする人も多いですね。
Polska(ポーランド)のCieszyn(チェシン)の広場に面した、ハプスブルク家支配下のチェシン公国時代から存在するらしいカフェ(Pod Merkurym)に入ってみますね。https://podmerkurym.pl/
未だ国境線が引かれていない川の両岸を路面電車が結び、いろいろありながらも複数の民族が共存していた頃の街の写真や絵画が飾られていますね。
懐を痛めて、Česko(チェコ)のČeský Těšín(チェスキー・チェシーン)&Polska(ポーランド)のCieszyn(チェシン)に来た甲斐がありましたね。
Polska(ポーランド)の地域輸送系の鉄道事業者、ユーレイルパスが使えないところが多くどうしようか迷いましたが、同一事業者の便を乗り継げば今日の目的地まで安く行けることが分かりましたので、当地の鉄道事業者(Koleje Śląskie)のWebサイトでQRコード付きの乗車券を購入し、乗車することにしますね。https://www.kolejeslaskie.com/
昨晩、Cieszyn(チェシン)の駅に鉄道事業者(Koleje Śląskie)の自動券売機があるのを確認していたんですが、時折タッチパネルが反応しなくなる不具合に見舞われネット予約に切り替えた次第ですね。
どうも、乗車後早々に車掌さんに申し出ればその場で乗車券を購入でき、信用乗車制でよくある有無を言わさない高額な罰金は無いようなんですが、乗客の皆さんを見ていますと、Webサイトやスマホアプリで購入したQRコード付きチケットをスマホで見せている人が多いようですね。
長距離輸送での鉄道のオープンアクセスはともかく、日々の通勤通学等で使われうる地域輸送でオープンアクセスをやられますと、ドイツ語圏の運輸連合のような複数事業者での同一運賃体系を導入しない限り、弊害の方が大きいような気がしますね。
へぅ〜、Cieszyn(チェシン)からKatowice(カトヴィツェ)を経由してKraków Główny(クラクフ中央駅)までたどり着き、宿泊アパートまではもう一駅乗らねばなりませんが、鉄道事業者がKoleje ŚląskieからKoleje Małopolskieに変わりますので、Webサイトやスマホアプリであらかじめ購入しておきませんと、一旦ホーム階から降りて当該事業者の券売機に赴いて乗車券を購入してから再度ホーム階に上がらねばならず、大変ですね。
へぅ〜、ややっ、行き倒れせず、生きてKraków(クラクフ)旧市街に程近いアパートに到着しましたが、直前割引により今回の旅行で日あたりの宿泊費が一番安いのにも関わらず設備がえらい充実していて、引きこもりになってしまいそうでいけませんね。
Polska(ポーランド)から先ですが、北方のとある国家への唯一と思われる列車、来週の月曜〜水曜はバス代行になるようですが、どうしましょうね。
今回の宿泊アパート、部屋に洗濯機が付いているのはいいんですが、洗濯物を詰め込みすぎたのが悪いのか洗濯ネット付きで洗濯したのが悪いのか、凄まじい騒音を発した後に故障してしまい洗濯物も取り出せなくなってしまいましたので、スタッフの方に連絡して見てもらっているところですね…
宿泊アパートのあまりもの快適さに外出する意欲が薄れ、昨晩はイートイン用のこぢんまりとしたスペースはあるものの持ち帰りメインと思われる餃子…ピエロギ(Pierogi)やさん(Przystanek Pierogarnia)を持ち帰りしましたが、スロバキアで頂いたコロッケのクリームが中に入っているのとは違い、餃子の本場の人々にとっても違和感が少ないであろう肉系の具がはいっていて美味しく頂きましたね。
こちらのピエロギ(Pierogi)やさん(Przystanek Pierogarnia)、直近で日本人観光客も来ているようですね。
洗濯機のテクニシャンが夕方以降に来るとのことで、とりあえずウェルカムドリンク券を頂いた、ポーランド的には今風と思われるお店(Sady Bistro)でブランチとしますが、えらい量が多いですね。
英語圏など欧米の他所でもそうでしょうが、性的指向に限らずアレルギーや食事に対する信念などに出来る限り対応しようというのが、当地のおもてなしと思われますね。
Kraków(クラクフ)の中心市街地、対路面電車の歩行者信号機以外に信号が無く、自動車信号機が付いているところも消灯していますが、路面電車以外の車は大変つつましく、横断歩道の前で歩行者が渡るのを待っていますね。
これまでに訪問した都市の自転車先進国のオランダやデンマークを見習って作りました…な連続性に欠ける自転車走行インフラと異なり、Kraków(クラクフ)のは明らかに車道を削減した感じの自転車走行インフラで、戦略的に作っているように見えますね。
Kraków(クラクフ)旧市街の中央広場(Rynek Główny)、ウクライナ人と思われる人々が国旗を持って立っていますが、もう2年以上経過しているんですね…
中央広場(Rynek Główny)に隣接するMuzeum Krakowa - Pałac Krzysztofory(クラクフ歴史博物館)でクラクフの歴史のお勉強としますが、中央広場は人でいっぱいなのに、こちらは一人もいませんね。
静的な展示が続くかと思いきやインタラクティブな展示が出現し、古い文物の展示が続くかと思いきや現代アートのインスタレーション的な展示が出現し、時系列に当地の歴史を紹介する感じで無く、当地に関する教養をある程度持っていることが前提でテーマ別に掘り下げているといった感じで、教養を持たない身にはチンプンカンプンでしたね。
中央広場(Rynek Główny)には、Muzeum Krakowa - Pałac Krzysztofory(クラクフ歴史博物館)以外に、Muzeum Krakowa - Rynek Podziemny(クラクフ地下博物館)でもクラクフの歴史のお勉強ができるということで、街に繰り出す前に入ってみますが、こちらはこちらでインタラクティブ展示ばかりで何じゃこりゃ…ですね。
この手のインタラクティブ展示では、えらい暗い空間がつきものですが、せめて文字くらいはちゃんと読めるようにしてほしいですね。
Muzeum Krakowa - Rynek Podziemny(クラクフ地下博物館)、展示内容の発掘風景も21世紀なのにセピア色で彩られていますね…
Muzeum Krakowa - Pałac Krzysztofory(クラクフ歴史博物館)の展示の趣旨に従って、街に繰り出してみますね。
昨日から宿泊アパート近くで路上販売しているソーセージ売りが気になっていましたので行列に並んでみますが、肉汁ジュルジュルでえらい本格的ですね。
お部屋に電子レンジがあるアパートに滞在する特権で、大型スーパーでポーランドの発酵ライ麦スープであるŻurekを調達して夕食に頂きましたが、松屋の限定メニューで提供してほしい味わい深さですね。
お部屋にキッチンとナイフとお皿があるアパートに宿泊する特権で、パン屋さんでバゲットを調達し、大型スーパーで生野菜を調達して朝食としますね。
昨晩は洗濯機のテクニシャンがやってきて洗濯物の救助活動に従事した後、当地の洗濯機の正しい使い方を厳しく…フレンドリーに指南頂きましたが、洗濯物が乾いたようですし、宿泊アパートや博物館に引きこもらず、Kraków(クラクフ)の街に繰り出すことにしますね。