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Warszawa Wschodnia Osobowa(ワルシャワ東駅)で下車しますが、共産趣味の人々が歓喜しそうな駅前風景ですね。

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京阪趣味の人々も歓喜しそうな駅前風景ですね。

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Warszawa Wschodnia Osobowa(ワルシャワ東駅)のエキナカにマクドがありましたので朝マクドとしますが、人間がハトさんにエサをやってはいけないとのことで、ハトさんが勝手にエキナカに入ってきて朝マクドに励んでいるようですね。

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残念ながら?Miasto Stołeczne Warszawa(ワルシャワ)に1時間も滞在せず、東のターミナル駅にタッチしただけで離れねばならぬようですね。

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ボーランド国内の鉄道、国家予算が潤沢なのかどうかは不明ですが、駅などのインフラが比較的新しいですし、工事中の箇所も結構見かけるんですね。

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Warszawa Wschodnia Osobowa(ワルシャワ東駅)からのPKP Intercity(ポーランド国鉄インターシティ)の列車では座席指定の人に追い払われず、生きてBiałystok(ビャウィストク)の駅近くの真新しいアパートに到着ですね。1泊だけしかしないのに、この設備はもったいないですね。

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北方の国に向かう唯一の列車に乗るために朝早く起きずに済むようBiałystok(ビャウィストク)に宿を取ったんですが、せっかく来たんですし当地を散策することにしますね。

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Białystok(ビャウィストク)の路線バスも、Lublin(ルブリン)と同様、3扉どこからでも乗降でき、車内に現金・クレジットカード両対応多言語券売機があっていいですが、ゾーン制運賃トラップにはまって高い運賃を支払わされますね。

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Białystok(ビャウィストク)北部郊外にある、第二次世界大戦時のソ連によるポーランド人シベリア追放に関する博物館(Muzeum Pamięci Sybiru)に到着ですね。sybir.bialystok.pl/en/

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Muzeum Pamięci Sybiru
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Muzeum Pamięci Sybiru(シベリア記念博物館)、最近オープンした博物館の例に漏れず、インタラクティブな展示が多いですね。

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Muzeum Pamięci Sybiru(シベリア記念博物館)、ソ連時代のシベリア追放のみならず帝政ロシア時代のポーランド出身の探検家や自発的な移住者についても紹介されていますね。

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Muzeum Pamięci Sybiru(シベリア記念博物館)、写真撮影不可が多いですが、シベリア追放当事者の個人情報に関することならともかく、レーニンとスターリンの写真まで撮影不可になっていて、基準が分かりませんね。

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Muzeum Pamięci Sybiru(シベリア記念博物館)、全体的に暗めの雰囲気の展示になっていますが、第二次世界大戦中のポーランド軍の活躍に関してだけ妙に明るい雰囲気の展示になっていて、そのノリについていけませんね。

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Białystok(ビャウィストク)は、当地最大の観光名物と思われるPałac Branickich(ブラニツキ宮殿)が作られた17〜18世紀に基盤が整備された比較的新しい都市のようですね。

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Białystok(ビャウィストク)の旧市街、第二次世界大戦中のドイツ軍撤退時の破壊工作を免れた教会以外の伝統的建造物(ブラニツキ宮殿含む)は復元されているようですが、典型的な戦災都市ですね。

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Białystok(ビャウィストク)の旧市街にあったシナゴーグは、ナチス・ドイツによって中にいる人たちと一緒に灰となったとのことですね。pl.wikipedia.org/wiki/Wielka_S

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Białystok(ビャウィストク)、一時期は人口の6割を占めるほどのユダヤ系人口を有していたようで、旧市街の北側に隣接するゲットーはかなりの面積だったようですね。

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日常的に多言語が交錯する環境の中で国際語エスペラントを発明したLazaro Ludoviko Zamenhof(ラザーロ・ルドヴィコ・ザメンホフ)はここBiałystok(ビャウィストク)出身で、ゲットーがあった場所に生家跡や銅像がありますね。

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食い倒れせず、生きてBiałystok(ビャウィストク)のアパートに帰着。Polska(ポーランド)最期…最後の夜ですのでポーランド料理レストランで…と思いましたが、Przemyśl(プシェミシル)で体験したBar mleczny(バル・ムレチュニィ)が恋しいですので、旧市街の一角にある様々な市民が集うお店(Bar Podlasie)で夕食としましたね。

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この1週間でポーランドの食の虜になってしまいましたが、レンジでチンなPierogi ruskie(ピエロギ)とソーセージで別れを告げねばなりませんね。

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Białystok(ビャウィストク)の鉄道駅至近の新築間もないと思われるきれいなアパートを出発しますが、エアコンがついてないのはいいとして、シャワー&トイレ&洗濯機用の部屋に換気設備はおろか窓さえ付いていないのは、ポーランドの新築アパートの標準仕様なんですかねえ…

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Białystok(ビャウィストク)の鉄道駅からPKP Intercity(ポーランド国鉄インターシティ)の最期…最後のお世話になって日1本の列車で北方の国へと向かいますが、こちらの列車、始発のKraków Główny(クラクフ中央駅)を午前4時台に出発するようですね。

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こちらの列車、(少なくとも)ユーレイルパスでは座席予約が必要とのことでしたが、日頃の行いの良し悪しが指定座席に反映されるのか、窓側なのに真横に窓が無く前方の窓はブラインドをいっぱい下げられ通路側にも人がいるという拷問席が割り当てられてしまいましたので、景色を見るためにデッキに逃げ込みますね。

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ポーランドに限らず、ヨーロッパの人々は自転車をそのまま列車に持ち込めていいですね。

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ワンちゃんもそのまま列車に持ち込めていいですね。

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ややっ、何か変なSMSが入っていますが、列車の中ですので引き返すも何も自分の思い通りにはなりませんね。

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そういえば、ポーランドの北東端、Suwałki(スヴァウキ)の近隣にロシア領土に不法侵入できる?スポットがあったようですが、今は出来なくなっているようですね。

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ということで、列車はРэспубліка Беларусь(ベラルーシ)領土に接近して武器を持った兵士に襲撃されず、生きてPolska(ポーランド)領土からLietuva(リトアニア)領土に入ったようですね。

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PKP Intercity(ポーランド国鉄インターシティ)には散々な目に遭いましたが、Lietuva(リトアニア)最初の鉄道駅Mockavaでようやくお別れできますね。

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旧ソ連の支配地に入って、標準軌からロシアと同じ軌間の広軌に変わり、LTG(リトアニア鉄道)のお世話になりますね。

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Polska(ポーランド)側も結構な平原だったはずですが、Lietuva(リトアニア)側に入るとますます平原に磨きがかかるといったところですね。

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ポーランド側と比べますと車両や車掌のサービスは洗練されているように見えますが、駅ホームなどのインフラは昔ながらのように見えますね。

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平原から次第に起伏の大きい地形に変わり、終点Vilniaus geležinkelio stotis(ヴィルニュス中央駅)に到着のようですね。

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行き倒れせず、生きてVilnius(ヴィリニュス)旧市街近くのアパートに到着ですね。ポーランド側の交通インフラの洗練度と比べますと、こちら側は昔ながらのヨーロッパといったところですね。

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昔ながらのトロリーバスがえらい縦揺れしながら走っていて何という整備不良と思いましたが、最新鋭の低床式バスも同様に縦揺れしていて、路面の凹凸が大きいからのようですね。

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Vilnius(ヴィリニュス)、第二次世界大戦による伝統的建造物の戦災は少なかったようですが、民族構成は入れ替わりに近いレベルで変化しているようなんですね。

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かつて「北のエルサレム」と呼ばれ、ユダヤ系の文化の中心地だった頃を偲びますね。en.wikipedia.org/wiki/Great_Sy

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食い倒れせず、生きてアパートに帰着。朝食以降何も食べてなくお腹ペコペコなのと週末は混みそうですので、リトアニア料理レストラン(Bernelių Užeiga)でビーツの冷製スープであるŠaltibarščiai(シャルティ・バルシュチャイ)と当地のえらいでかい餃子であるところのKoldūnai(コルドゥーナイ)を美味しくいただきましたね。

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完全休養日の予定でしたが、明日〜明後日は雨天の予報が出ているとのことで、どないしましょうね。

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Vilniaus autobusų stotis(ヴィルニュスバスターミナル)から、Калининград(カリーニングラード)行きの昼行バスと夜行バスが出ているようですが、ターミナル内の自動券売機では行先の地名が出てこず買えないようですね。

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Калининград(カリーニングラード)行きの昼行バスの運行事業者(Ecolines)の営業所がバスターミナルそばにありましたので、こちらでチケット購入できるかもしれませんね。

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晴れている今日のうちに近隣都市の旅ですね。昨日と同じく、Vilniaus geležinkelio stotis(ヴィルニュス中央駅)からLTG(リトアニア鉄道)のお世話になりますね。

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Vilniaus geležinkelio stotis(ヴィルニュス中央駅)から約1時間30分で、昨日は素通りしたKauno geležinkelio stotis(カウナス中央駅)に到着のようですね。

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戦間期に臨時首都になり、当時建てられたモダニズム建築が2023年に世界遺産登録されたばかりのKaunas(カウナス)ですが、郊外の住宅地においても領事公邸などのモダニズム建築が点在するようですね。

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戦間期に整備されたKaunas(カウナス)新市街に入りますね。

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Kaunas(カウナス)新市街の公園にモスクがあって金曜礼拝を行っていますが、こちらはもともとクリミア・タタール由来のリトアニア国民意識を持つイスラム教徒(リプカ・タタール人)のために作られたようですが、現在は外国人移民や外国人労働者と思われる人々が多く礼拝に来ているようですね。

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Kaunas(カウナス)新市街のモダニズム建築、よく言えばバリエーションがあって、悪く言うと同時期に作られたテルアビブの白い都市や戦後に作られたクラクフのNowa Huta(ノヴァ・フタ)のようなバリエーション豊かな中に一貫したコンセプトがあるといった感じで無いんですね。

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あと、ヨーロッパの他都市のように個別の建築だけでなくエリア全体での景観保護を行っている雰囲気でなく、ソ連時代の作りかけの建築がそのまま放置されたりしていますね。

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とはいえ、Kaunas(カウナス)新市街は東西を貫く緑豊かな遊歩道が長く続いていて、魅力的な中心市街地ですね。

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Kaunas(カウナス)新市街を東西を貫く遊歩道沿いにあるパン&カフェチェーン(Prezo kepyklėlė)に、遥か昔クリミア・タタールから移住したトラカイ人由来のKibinai(キビナイ)があるとのことで休憩としますが、ロシア帝国に追われてクリミア・タタールからトルコのエスキシェヒルに移住した人々由来のÇiğ Börek(チー・ボレイ)とは小麦の生地の中に具が入っているということ以外に共通点を見い出せませんね。

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当地ではにんじんやその他野菜&果物をミキサーにかけてスムージーを作るのが流行っているのか、こちらのチェーンでもお店の人が大量のにんじんをミキサーに投入していますが、うさぎさんと異なり生のにんじんは好物ではありませんので、無難にりんごジュースを頂いておきますね。

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東西に長いKaunas(カウナス)新市街を抜け、ようやく2つの川が合流する地点に形成された旧市街に入ってきたようですね。

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かつてはポーランド系やユダヤ系の人々が都市に、リトアニア系の人々が都市以外にという棲み分けがされていたのと、身分が高い人々や知識層が文化的にポーランド化するということで、第一次世界大戦まではKaunas(カウナス)でもリトアニア系の住民は非常に少数だったようですね。

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これまで訪問した諸都市と同じく、ここKaunas(カウナス)でも、第二次世界大戦時にゲットーが形成されユダヤ系の人々が消えていった歴史を有していますね。

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ほな、Kaunas(カウナス)からVilnius(ヴィリニュス)に帰りましょう。Kaunas(カウナス)の路線バスは最新鋭の3扉でも一番前から乗車せねばならず、交通ICカードやスマホアプリを持っていない人は運転手から切符を購入せねばならず(現金オンリー)、昔ながらのヨーロッパですね。

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これまで訪問したポーランドの諸都市では自動車や歩行者が交錯するところでも信号機無しの横断歩道(自動車一時停止必須)が目立っていましたが、リトアニアのKaunas(カウナス)では鉄道駅やバスターミナル前、歩行者専用道路と幹線道路が交差するところで歩行者を地下に潜らせる交通処理をやっていて、高松が乗り移ったみたいですね。

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Kaunas(カウナス)のバスターミナルにある売店で、遥か昔クリミア・タタールから移住したトラカイ人由来のKibinai(キビナイ)と、これまたクリミア・タタール人由来の旧ソ連で広く食べられているČeburekas(チェブレキ)を購入して夕食としますが、クリミア・タタールからトルコのエスキシェヒルに移住した人々由来のÇiğ Börek(チー・ボレイ)と併せて、小麦の生地の中に具が入っているということ以外に共通点を見い出せず、食文化は移動した先で変化を続けるということですかねえ…

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Kauno geležinkelio stotis(カウナス中央駅)からLTG(リトアニア鉄道)ワープで、生きてVilnius(ヴィリニュス)のアパートに帰着。Kaunas(カウナス)では、Sugiharos fondas ,,Diplomatai už gyvybę"にも行ってきましたのでメモっておきますね。sugiharahouse.com/

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Sugiharos Namai - Muziejus: Japonų Diplomato Chiune Sugiharos Atminimas | Sugihara namai
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ふぇ〜、昨日は時折にわか雨が降る完全休養日ということで、宿泊アパートでゴロゴロ…旅行で見聞したものの纏めをやっていましたね。

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