Wien(ウィーン)、ハプスブルク帝国の都だけあって新旧市街地の歴史的建造物の厚みが凄く、昔ながらの路面電車や最新式LRVの競演も相まって大変エモいんですが、旧市街は日本を除く各国団体観光客に溢れていますし、旧市街から外に出ますと自動車に溢れていますし、自分にとってのイスタンブールのように寄ってたかってぼったくられても永遠の恋を誓うぐらいにならないと厳しいですね。
Wien(ウィーン)、ハプスブルク帝国の都だけあって新旧市街地の歴史的建造物の厚みが凄く、昔ながらの路面電車や最新式LRVの競演も相まって大変エモいんですが、旧市街は日本を除く各国団体観光客に溢れていますし、旧市街から外に出ますと自動車に溢れていますし、自分にとってのイスタンブールのように寄ってたかってぼったくられても永遠の恋を誓うぐらいにならないと厳しいですね。
ハプスブルグ帝国期のWien(ウィーン)はヨーロッパ随一のユダヤ人人口を抱えていて、帝国末期の反ユダヤの社会的雰囲気の下、アドルフ・ヒトラーを育んだ地ということで、Jüdisches Museum der Stadt Wien GmbH(ウィーン市立ユダヤ博物館)やシナゴーグ跡をさらっと巡りましたね。
ということで、Wien Hauptbahnhof(ウィーン中央駅)地下のやけに奥行きが広いコインロッカーに投げ込んだバックパックを回収して、再びユーレイルパスでÖBB(オーストリア連邦鉄道)の旅としますね。
ことでんさまやJR四国さまが跋扈される島から来ますと、路盤や保線、車両の作りがいいのか、揺れが無さ過ぎて、文明国家のローカル鉄道を見せつけられますね。
Österreich(オーストリア)領土からかつての鉄のカーテンを越えてMagyarország(ハンガリー)の領土に入り、最初の街Sopron(ショプロン)で下車しますね。
へぅ〜、行き倒れせず、生きてSopron(ショプロン)旧市街のホテルにチェックイン。大きいところは観光公害で苦しみ、小さいところは大きいところばかり観光客が集まることに苦しむんですかねえ。
Sopron(ショプロン)、第一次世界大戦後の住民投票によりオーストリアでなくハンガリー領になったようですが、第二次世界大戦後に追放されるまではドイツ系住民がかなり多かったようで、ドイツ語ではÖdenburgと呼ばれているようですね。
Sopron(ショプロン)はローマ帝国時代に都市が作られたようで、旧市街を囲む要塞跡の傍らにローマ道や建屋が残っていますね。
Sopron(ショプロン)は飲食店が少なめでケバブで夕食難民を免れましたが、明日の夜はどうしましょうね。
今日は宿泊ホテルに紹介してもらった老舗ホテル(Pannonia Hotel Sopron)で自転車を借りて、Sopron(ショプロン)周辺のサイクリングとしますね。