文字列が見えた瞬間、MとTだけで鉄道の話と認識して「(Kってなんだろう?><)」ってなる現象が発生した><
文字列が見えた瞬間、MとTだけで鉄道の話と認識して「(Kってなんだろう?><)」ってなる現象が発生した><
・・・・・><
"35 33 35 36 35 35 33"
気象庁 | 週間天気予報: 埼玉県 http://www.jma.go.jp/jp/week/317.html
EWIもし買ったらこれやりたい><(不可能)
-- “野音であそぶ” T-SQUARE and FRIENDS LIVE IN TOKYO EL MIRAGE - ニコニコ動画 http://sp.nicovideo.jp/watch/sm5862349
整備する時の照明、手で持たないで使える懐中電灯的なというかなんというか、スポットな照明器具が重要っぽい感じっぽい><(ので家族の人そういうのわりと持ってるっぽい)
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USB Type-Cみたいな、もし人命がかかわる場面でされたら裁判沙汰になるようなデザインが受け入れられてしまうようなIT業界って、デザインの発想が何十年も遅れてると思う><
使い方がわからない人でも使えるように出来ていない=デザインが正しくない ってオレンジは考えてる><(ていうか航空機のコクピットデザインはわりとそれに近い発想><(じゃないとヒューマンエラーを引き起こしやすいので欠陥とみなされるので))
お布団だと、廃熱的にペルチェを水冷にしないとお布団が燃えそうだし、そうすると室温が体温より高いとかじゃなければ、お布団が水冷で室温に対してラジエーターって構成でも良さそうでペルチェ要らなそう><;
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「緑が輝度に一番近い(誤解を招く表現)」って覚えるのが簡単かも><(NTSCのお勉強を専門学校で受けたときに近い事を講師の人に言われた記憶><)
RGBからの明るさ、手っ取り早く考えるとYUVでの輝度(Y)って考えると簡単に直感的にだいたいあってるかも?><
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短くいうと、AndroidでもWindowsファイアウォールと似たような機能と、Windowsのパフォーマンスモニタみたいにどのソフトウェアがどこと通信してどのファイルにアクセスしているのか見れる機能くらい標準でつけて欲しい・・・><(あんまり短くなかった)
通信内容の確認がしづらいのでより危険であるという面に注目して考えると、もちろんWindowsでオフィススイートだけ使ってる状態なんかよりは、P2Pに通信し続けるソフトウェアがある環境の方が気づきにくいけど、・・・あらゆるアップデータが勝手に通信しまくったりテレメトリをMS自ら騙すような文面でインストールさせたり、
スマホに視点を移すと、どのソフトウェアがどんな通信しているか見たり、ソフトウェア毎に通信の許可不許可の設定すら出来ない環境が当たり前になってる状況で、なに言ってるんだ?><ってなるかも><
関連?><; -- 人気のFirefox拡張機能「Stylish」がポリシー違反でブロック、すべての閲覧履歴を収集か - 窓の杜 https://forest.watch.impress.co.jp/docs/news/1131143.html
現にマルウェアがそこに置いてあったので危険まで後退すると、GooglePlayとかiOS向けの・・・(いまなんて言うんだろう?><;)も、ウェブブラウザのアドオンの公式ライブラリ?も同様に危険かも><
ていうか「暴露型ウィルスがあるので危険」って、暴露先を作る手間が楽なだけで、他の環境やソフトウェアでもそれ以外は変わんないよね><
暴露された先が匿名性が高いP2Pネットワークであるとなかった事にするのが難しいのでより危険って話と、そのネットワーク上にそのマルウェアがおいてあるって話は別の話なのに><
よく分からないけど、Winnyウイルスってワクチンソフトで検出できないの?その論調でひとくくりにP2Pファイル共有ソフトは危ないって言うなら、torrentで配布してるOSディストリビューターにも言えば良いのに。
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マインクラフトのこういう、機械を作ろうとする事を邪魔する仕様に気軽に変更する方針、クリエティビティとは逆の方針だと思うしすごくムカつく><
1.13で追加された上昇する泡って、水の他の仕様の変化のせいで、泡の位置にアイテムとかMOBとかを置くことできないよね?>< どうにか送り込めそうな機構を繋ごうとすると、泡がすぐ途切れちゃう><
ウェブデザインの本質に主眼を置いたデザインガイドライン「ブルータリスト・ウェブ・デザイン」 - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20180710-brutalist-web-design/
「素人は判断不可能だよね!!!プロはすばらしいとわかるんだ。なのでこの人には肩書きがついている」って話と、素人を特に除外せずに『判断してほしい』となったら、素人はつまりプロの判断に従えという意味になると思うけど><
「戦争に行ってないお前は素晴らしいと評価しろ」は含意されないのでは……?
「行ってないからわからないだろうけど、これは戦争経験者であればすばらしいと判断する作品なんだ。なので戦争に行っていないお前はすばらしいと判断しろ」みたいな事を実力で評価って言う?><;
例えば、「実際に戦争にいった人じゃないと見ても意味がわからない作品を評価してほしい」って場面で「実力で評価してほしい」って、それって実際に戦争にいった人に対してのみ言ってるのではなければ、なんというか、意味不明になるかも><
自分が戦争経験者であることを活かすのはおそらく "実力" なわけで、そういった手持ちの文脈を一切考慮しない評価も可能なんでしょうけど、それって極めて表面的な評価になるのではと思わなくもないです
作品の文脈上、評価時点から見て過去の事象も含めて(というか普通は全て過去だと思うけど)判断してほしいという時に、それはあくまでその作品の範囲としての現在でしょ?><
意図の面ではそりゃそうでしょ?>< でも、それに対して実力って言う?><;
その例示に限って言い換えると「戦争経験者であること」って実力?><;
たとえば「戦場の悲惨さを知っている人が描いた」とかのような。この場合、「戦争経験者」という肩書きは作品の評価に十分影響を与えうる
"「この絵がうまいか見てくれ!」"って話で"「この絵は偉大な画家が描いたんだ!それも考慮して評価してほしい」"
ってそれは、描いた人が偉大であったかを評価してるんであって絵がうまかったか評価しているのでは無い><
地位的な現在と、その試合なり作品なりという意味での時間軸上の現在は、現在ではあっても指してるものが違う><
「今なおその地位にいる」とか「脱落していない」という情報は現在についての評価を示唆していると思いますが
絵で言うなら「この絵がうまいか見てくれ!」って話で「この絵は偉大な画家が描いたんだ!それも考慮して評価してほしい」ってそれってその絵がうまいかどうかと無関係じゃん?><
で、共有され得ないのであればそれは受け手の価値観の問題なわけで、実力と肩書きの区別は第三者が行えるものではない
はい、で、その価値が肩書きに左右されうるのであれば、「純粋な実力」のような概念は共有され得ないかもしれないという話です
"肩書きに頼ってる奴はズルい、俺はそんなことしないぞ"って話でしょ>< その上で、らりおさんが肩書きも実力ではみたいな意味不明なことをいってるからその定義の話になるし、元の人の文脈上も、「肩書きも含めて実力って言ったら実力って何を表しているのか?」って話でもあるわけでしょ?><
肩書きに頼ってる奴はズルい、俺はそんなことしないぞ、みたいなことを言っているように見えましたが、これは「(万人が認める)実力なんてものはない」という観点での「実力を見てほしいなんて言うな」という話とは全然違うような
ていうか評価者の人的な独立の面で言うと、"多数の人間で共有される統一的価値"って最初の方で言ってる専門家の意見とほぼ同じものだよ?><
なので!><; であれば、”自分は実力で勝負してるしあくまで実力を見て欲しいとか言”うなよって事でしょ>< ;
それって多数の人間で共有される統一的価値を定めようとしているわけで、こと芸術関連分野においてそのような試みに本当に意味や実効力があるのかは疑問です
何がおかしいかというと時間軸上、周り(人的に集合)の評価の各要素(この場合は各個人)は、評価が無い所から評価を出す事になるしそれは矛盾するかも><
現実にはそれは単に評価不能になるので、議論のようなもので評価されるという事になるかも><
その人的な?範囲での話でも、普通「自分(たち =この言葉を言う相手)で見るんじゃなく周りの人が多く「良い」といってるかどうかで判断してほしい」みたいなのを指して実力って普通は言わないと思うけど><
そもそも作品が評価されるというのが「高評価をする人が多数いる」という巨視的な話なのか「特定少数の対象の人々が高く評価する」という微視的な話なのかがわからないし、文脈が共有できていない
そういう意味での範囲が広くなるかは、
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/100346384749948728
でいうと、1試合では無く1大会で見てほしいみたいなのもあると思うけど、それでも範囲を区切り、過去の評価に依存せず評価してほしいという意味は変わらないかも><
わかりづらかったかもしれませんが、ここで最高なのは単体で読むとつまらない話であって、つまり文脈を自然な方向へ切り替えたとき評価が反転する場合の話をしています
それでいう、評価されたい話の範囲である作品が、その場合で言う実力と称されるものでしょ?><
「過去に何とか賞を取った人が書いたんだから偉大な作品名はずだ」みたいなのを実力っていう人あんまりいないと思うけど><
「この話単体だとクッソつまらないが、後に続く話まで読むと最高に最高」という例を思い付いてしまった、この場合単体でつまらない話はつまらないと言えるか
一般的に、実力って言葉って、時間軸上限られた範囲を示す言葉として使われることが多いでしょ?><ってオレンジは言ってる><
結局都合のいいように「実力」というラベルを「おれのかんがえたさいきょうの測定方法」に貼り付けてるだけとしか思えない
「今回の試合は散々だったけど、でもこの前の試合ではスコアが良かったので『この試合もすばらしいと』評価してほしい」みたいな意味不明な事になってしまう><
一般的に、スポーツ選手とかが「実力で評価してほしい」って言ってる場面、多くの場合、時間軸上切り取られた範囲(=つまり競技であれば競技時間内)で評価してほしいって文脈で使ってるように感じるけど・・・><
元の人の話の文脈では、「実力」と「肩書き」で分けてるんだから少なくとも肩書き以外のものであろうし、肩書きとは過去の評価なんだから、時間軸的に「過去の評価を流用(? 援用)するのは実力か?」みたいな話になるかも><
もちろんその通りで、それを踏まえて「実力」というのは果たして客観的指標として定義しうるかといえば、おそらくそうではないということがわかるので、であれば相手にとっての主観的「実力」を(肩書きの説得力などによる相手の価値観の調整なしに)個々のケースで定めることにどこまで意味がある?
「専門家じゃなければ評価が出来ないではないか?」という問題を、とりあえず仮に常に真であるという事にしても、専門家でも「ブランドが無くても、優れていると評価されるか?」って問題は別問題として残る><
ピカソの例え( https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/100346228321230589 )で言うならば、「それ、ピカソって名前は言って無くても売れるような絵?><」みたいな時間軸的独立の問題は、例えばそれが専門家が対象(評価者の独立の問題を無視しても)でも起こるかも><
評価者の独立の問題もあるし、対象物の時間軸的独立の問題もあるかも>< さっきのAppleの例えで言えば、それリンゴマークつけなくても売れるか?><みたいなのは主に後者かも><
まあこれは抽象化が過ぎるかもしれませんが、結局のところほとんどあらゆる価値観は相対的かつ主観的であるわけで、だからこそ「私のなかではこうなのだ」「あなたのなかでは違うかもしれないが、それはそれ」という自他の分離と相対化が大事なのではと思うわけです
実力を言う言葉をあえて使ってるという事は、当たり前だけど「実力」と「それ以外」が話の想定上あるということかも>< それをわける文脈上の基準って何だろう?><
ていうか、らりおさんの解釈で進めると、なんでも「これも実力だ!」って言えちゃうので実力というものにポジティブな影響を与えられる全てのものを含めることが出来ちゃって、おしすすめると実力という言葉に全く意味がなくなっちゃうかも><
ああ、件の人に実力云々を言った人が言うところの「実力」は確かに過去の成果を引き継がないという意味なんでしょうね(文脈)
そりゃそうだけどそれは内容で勝負してるんじゃなくタイトルというか肩書きの勝負でしょ><
極端に言えば馬鹿みたいな内容でも数字が大きい方が馬鹿によく売れるでしょ?><
もうちょっとマシな例を思い付いた、「IQ80の人が書いた『頭がよくなる方法』」と「IQ130の人が書いた『頭がよくなる方法』」、たとえ全く同じことが書いてあっても説得力は(受け手の価値観で調整されて)大きく違うだろうし、説得力を評価軸とするなら書いた人の IQ は明らかに作品の評価に影響を与えてますよね
だったら、”自分は実力で勝負してるしあくまで実力を見て欲しいとか言”うなよって事でしょ>< それって目の前の作品の評価に、過去の評価を流用させるなって言ってるのと同じだろうし><
そもそも、もの(特に創作)の評価というのは一般に受け手ごとに定まるものだし、たとえば「芸術のプロにとって価値があり素人にとって価値がない」ことは、その作品の価値があらゆる人にとって低いということにはならない。はっきり言えば、価値がわからない人間はそのような作品に関わる必要はないしそれを恥じる必要もない
べつに「私がものを評価するうえで肩書きは一切考慮しない」という価値観は何らおかしなものではないと思うし尊重しますけど、件の人の物言いは僻みにしか聞こえなかったので
例えば、ジョブスがプレゼンで画期的な製品って言って、スタバでドヤ顔しそうな人が飛びつくリンゴのマークがついてる商品でも、デザインがゴミであればゴミなんですよ・・・><
例えばこれとか><
https://www.gizmodo.jp/2009/03/ipod_shuffle_3.html
であれば、特にそのようなケースについて、肩書きが実力に含まれないというのは真であるとは言い難い
肩書き、名声、そういったあらゆるものが作品や活動をアピール或いは補助することに使えるかもしれないし、それらを行使した結果何かが(たとえば鑑賞者や利用者による解釈なんかが)変わるのであれば、それもまた作品や活動に組み込まれた一部であると考えるのは妥当なことであるといえる
でも、芸術も「専門家が見れば評価高いんですよ!」って、「そうなのかもしれないけど落書きだしそんなの飾りたくないんだけど」といわれたらそれはそうだしそれは納得させるまでの表現力が無いとも言えるかも><
誰が見ても文句のつけようのない客観的な指標と評価関数を以て「実力」を評価できるのであれば、実力アピールに肩書きを使うなというのも一理あるけど……多くの分野(芸術を含む)はそうではないですよね
評価する側から見た場合、とりあえずの手っ取り早いものとして使うのは手っ取り早いのでいいけど、ちゃんと判断したければそれ自体を学ばないと無理だし、判断(評価)したいのであれば学ばないと駄目だよねって思う><
肩書きと実績は似てるけどちょっと違うというか、実績に肩書きも含まれることは含まれるけど1要素でしかないよねみたいな><
変な(そしてたぶんあまり的確でない)喩えになるけど、ピカソの描いた抽象画を "かの有名な画家ピカソ" という肩書きを使わずに高く評価させてみせろ、みたいな妙なことを言っているように見える
肩書きに有効性を認めないのもまたひとつの価値観だと思うけど、だからといって肩書きが実力の一部でないという価値観を押し付けて "実力見てほしいなら肩書き使うな" などと宣うのは全く妥当ではないですよね
この人の考え方丸ごとは?><;って思うけど、オレンジは微妙に近い考え方をしてて、オレンジ流で言うならば「肩書きを直接尊敬してはいけない」って言ってる><
たぶん言いたい事のメインはここでしょ><
"自分は実力で勝負してるしあくまで実力を見て欲しいとか言う。実力見て欲しいなら肩書き使うなよって思う"
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。