ちなみに上の宇都宮冷凍ギョーザの味噌ダレが無くなったあとはコチュジャンとシークヮーサー果汁を混ぜてみた。美味し
ちなみに上の宇都宮冷凍ギョーザの味噌ダレが無くなったあとはコチュジャンとシークヮーサー果汁を混ぜてみた。美味し
なんつーか、そんだけ苦労して登ったブナ林。荒涼とした美しさ、みたいのに心を打たれた。下草がほとんどなくて、めっちゃ見通しがよい。ブナの枯葉だけが堆積した光景がどこまでも続いてる。こういう世界に熊さんたちは住んでんだなー、って。
きのう目を閉じたらなんか浮かんでた。一生こころに残りそうな光景。
上の大ドッケから七跳山までの 200 m アップの押し登りだが、まず足の売り切れという概念については一緒に行ったルォーディの同僚に教えてもらった。ともかく遅筋でクルクル回して速筋は温存する。心肺は回復するが足が売り切れるともうその日は回復しない。
私のは前のチェーンルィング
を前回の教訓を生かして 40 t から 32 t に戻したんだが(うしろ最大 50 t)、まだギア比の軽いのが足りないみたいで最後は完全に売り切れてました。止まるたびに腿の前側が攣りそうになり倒れ込む。最後はもぉ押し歩き。
で、そのようやく到着した大ドッケから崖みたいな急坂を荷物込みで 20 kg ありそうな MTB 押しながらどうやって登ったか。最初オーソドックスに担いで登ろうとしたら売り切れた腿がさっそく攣りそうに😅しゃーないんで、1. 腕と上半身の力で投げ出すようにチャリを押し上げ、2. 両ブルェーキで固定、3. 足だけ動かして足も追いつく。これを何百回も繰り返しましたのことよ。
最初 20 m ぐらい登ってこれ無理じゃね?と撤退が頭をよぎったが、同僚はどんどん登ってくので、おーじゃ俺もやるか、と頑張った。
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明日は数年ぶりの妻とのデートということで長沢背稜の打ち上げもせずに帰ってきたら風邪とのことでナシに。ウイルスが憎い。
なんせ大ドッケから、こんなんよこんなん
斜度30度くらいねーかこれ
これを完全に売り切れた足で押しつつ100mぐらい上昇して、ついたー、と思ったらその先にようやく七跳山が…
再度荷物つきのくっそ重いMTBを押しつつ更に100m上昇
死ぬかとオモタ
走れないトレランコースが増えるわけ 「ハセツネ」も新ルールを導入 走れないトレランコースが増えるわけ 「ハセツネ」も新ルールを導入
https://www.asahi.com/articles/ASR9T0BVYR9DOXIE023.html
「走るのと歩くのと何が違うんだ」
ほんそれ
山登りの人の特権意識なんなんやろ
先にその場を占めてた人たちがとにかく優先、という社会
ちなみに所沢に向かう電車に boriko さんとデゲメン氏とおぼしきカップルが乗ってた。
https://www.boriko.com/weblog
おー
この方のブログでけっこう MTB 購入を後押しされた。あと MTB でもラビュー輪行できると知った。
ラビューも一緒になるかなと思ったらそのまま各停に乗っていかれた。たぶん飯能まで行くかんじですかね。
タイヤも替え、もう何も怖くない。後悔なんて、あるわけない!というわけで再びラビューに乗って長沢背稜に再挑戦。
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これほんとひどい制度だよな。刑事と行政は別だからと言って、刑事で無罪になっても行政処分は取り消さないと言う。変えないといかんよなあ
読売新聞オンライン: 交通事故裁判で無罪、免許取り消し処分の撤回求めた女性に交付へ…敗訴の県が上告断念 https://www.yomiuri.co.jp/national/20231005-OYT1T50271/
ワロタ
https://youtube.com/watch?v=oESrzFAvB50&si=vdUSl3oxqnK00jkk
引っ越し業者さんによる棒玉戦法
自由だ…
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ほー
>
意外に思う人も多いと思うが、戦国時代までの中世は、平時と戦時の区別なく、通常の商取引が可能な環境にあった。
実証となるのは、応仁の乱である。10年以上もの間、東西の大軍が在京していたが、彼らが略奪で食いつないでいた形跡はない。本国から頻繁に兵糧を輸送してもいない。もしそんなことをしていたら、輸送路を狙う作戦が展開されたはずだが、そのようなことも起こっていない。
信長、謙信、信玄──彼ら名だたる戦国の軍隊はみな行く先々で兵糧を買い集めて戦争していた。金さえあれば、食料など現地で仕入れられたのだ(もちろん売ってくれない地域、孤立状態にある城には輸送した)。
理屈としては、我々が遠方のコンサート会場に行くのに、保存食を用意しなくていいのと同じである。戦国時代になっても日本の経済は崩壊するどころか発展していたことを考えれば、納得してもらえるだろう。
遠征する時は、第一に金を持っていく。ついで非常食としてカロリーメイト代わりの腰兵糧も用意する。そして可能なら、上位権力が作戦を柔軟に展開させるため、予備の資金や兵糧を用意する。
「豊臣軍は米がなくイモを掘って食べている」小田原征伐で秀吉軍7万人が深刻な兵糧不足に陥った当然の理由 圧倒的に不利な北条氏政が「勝てる」と踏んだワケ (5ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) https://president.jp/articles/-/74014?page=5
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