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北野新太記者


 84年から参加した順位戦では最下級のC級2組に5期停滞した。4期目には、自分の後で棋士になった羽生の昇級を目の当たりにした。

 「昭和63年でした。5期目、22歳の順位戦で、もう今期上がれなかったら永久に上がれないだろうと思ったんです。A級じゃないですよ。永久にC級1組に上がれないと思ったんです。絶望感と恐怖感だけでした」

 自分を追い込んだ森下は、もう勝つことしか、昇級することしか考えられなくなった。

 「順位戦の前夜になると恐怖で一睡もできなくなるんです。で、戦い終えた後は対局の興奮で一睡もできない。1回戦から10回戦まで2徹(2日連続の徹夜)を繰り返したんです」

 開幕8連勝で迎えた9回戦。勝てば昇級が決まる一番だったが、小林宏七段に逆転負けを喫し、再び絶望の淵へと追いやられる。

 「最後の最後まで、今期上がれなかったら自分はどうなってしまうのだろうか、という気持ちが付きまとっていました。で、最終戦で何とか上がれて……。震えたままの手で指していたことを覚えています」

 それからの森下はC級1組を2期、B級2組も2期、B級1組を1期で駆け抜けていく。名人挑戦権を10人で争う最上位のA級に27歳で上がったが、不思議と達成感はなかった。そして、以前のように情熱が燃え上がることがなくなっていることに気付いた。

 「もう22歳の頃のようにはなれなかった。もうどんなふうにしても、将棋だけに生きるという気持ちは戻らなかったんです」

 94年度、初参加のA級を7勝2敗の首位タイで終えると、中原誠永世十段(現・十六世名人)とのプレーオフも制した。羽生善治名人への挑戦権を得た。当時の将棋界は、六冠を保持する羽生が七冠独占を達成するかどうかが社会的な注目を集めていた。羽生から名人を奪取するための七番勝負という生涯最高の舞台に上がった森下だったが、周囲が寄せる期待と自らの意識には大きな隔たりがあった。

 「もう俺は、ただ将棋に勝つために生きている俺じゃない、と感じていました。もしかしたら挑戦者にはなれるかもしれない、とは思いましたけど、どこか違ったんです」

 名人戦第1局のことは今も語り草になっている。森下の勝勢で終盤を迎えたが、挑戦者の思いは盤上の深部まで潜っていなかった。対局室内に飛んでいた羽虫の煩わしさに気を取られ、感想戦が終わったら当時交際していた女性に電話を掛けよう、ということすら考えた。名人戦史上最大とも言われる逆転劇はそんな時間帯に生まれた。

 「馬鹿みたいな負け方をした将棋で、当時の自分を象徴していたと思います。私はもう、将棋に勝つためだけに生きていられる人間ではなくなっていたんです。将棋には、将棋で勝つことだけが全てなのだと思える奴(やつ)だけに勝つ資格があります。私は全然思えていなかった。思おうと思っても、自分ではどうすることもできないんです。自分が勝てていた時は、人が眠っている時も将棋に取り組んでいた。目いっぱいに将棋に向かって、ようやく勝てるんです。もう目いっぱいができなくなった自分の限界だったんです」

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森下システムの森下卓。
水垢離してたという伝説は聞いてたが、改めて読んで鬼気迫るな。なんかしょうじき笑っちゃう部分もありつつも心を打たれる。。

「勝つために生きられたなら」誇りある千勝を 棋士・森下卓の40年
asahi.com/articles/ASR7F6FL8R7

朝、目覚めるとまず頭から冷水を浴びた。さらに鏡に向かって「お前は勝つためだけに今日一日を生きていけるのか」と問い掛けるのが日課になった。夜、眠る前に「勝つためだけに今日一日を生きたか」と自分に語り掛けた。

 「もう、何が何でも勝つんだ、しかなかったです」

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「勝つために生きられたなら」誇りある千勝を 棋士・森下卓の40年:朝日新聞デジタル
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今日も飲み会なのでシェファードちゃんで

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