ドトールのインスタントコーヒーを買って飲んでるがドトールに行ったことがないので再現度のほどがわからない
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ほしいな|Lets-get-arrested tee tシャツ
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subsubsectionくらいのレベルで見出し名・そこで証明されなくてはならないこと(demonstrandum)・そこで取り上げられるべき文献やなされるべき引証をセットにして目次順に並べた状態まで来ると,あとは小分けにされた作業をこなしていくだけなので納期までの工程を組み立て見積もるのが容易になるが,そこまでもっていくのがしんどい.
#執筆フロー見直し
「京都府警は除く」とことわった上で「田舎警察」を揶揄している人々の「田舎」という言葉の使い方には別の正しさもある(ない)
大体δήと同じような意味でθήνというenclitic particleもあるがあんまり見かけない(ホメーロスかテオクリトスくらい)
探したらθεόκλητοςという形容詞があったけどθεόςとκαλέωだから《神に呼びかけられた》のような意味なのでておくれにあるまじき仰々しさ
ノンノスにのみ出てくる単語らしくLSJはsung by godsとだけ,Montanariはもう少し詳しくchiamato o voluto da Dio; chiamato con il nome di Dio; cantato con invocazione agli dèiと三通り分けている.
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今の印刷されたテクストで読んでいると「sitをfitに変える」という提案をされると「文字の形が違うじゃん」となってしまうがいわゆる「長いs」を想定するとſitとfitはとてもよく似ている
張華の博物誌的著作(小澤建一訳『張華の博物誌』ブイツーソリューション, 2013)について,アリストテレース『動物誌』やプリーニウス『博物誌』と比べると,それらは「分類という概念によって整理され,ある体系性を保ってはいるが,張華の『博物誌』は,空想と現実存在の分別さえままならぬ,前分類の地点に留まって,自然史的知の世界を構築しているとも言える」という訳者の言葉が紹介されている.
|書物だけから情報を取り込む博物誌 - akihitosuzuki's diary http://akihitosuzuki.hatenadiary.jp/entry/2019/03/17/175902
アリストテレースとプリーニウスの間の差異についてはこの前のConteの研究が触れていたのを思い出したのでメモしておこう,曰く,「アリストテレースの生物学・動物学的著作の,理論的・批判的で問題を提起する構成la struttura critico-speculativa, problematica, delle opere bio-zoologiche di Aristotele」と比べるとプリーニウスの著作は「データの目録の形態la forma del repertorio di dati」をとっていると(Generi e lettori, 2012: 90-91).
3月の新刊.詳しい目次が読める.|坂井 建雄編『医学教育の歴史:古今と東西』法政大学出版局
http://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-37127-1.html