このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
論文の要約とかをざっとフォローするみたいな作業を最近あまりしていなかったので気になったあたりをl'annee philologiqueから眺める.
Gaerner, J.F.(2014), `Law and Roman Comedy', in The Oxford Handbook of Greek and Roman Comedy, 615-633.
ギリシアの法律の翻案とプラウトゥスやテレンティウスにおける法律用語の用い方に着目.
Karakasis, E.(2003), `Legal language in Plautus with special reference to «Trinummus»', Mnemosyne Ser. 4 56(2): 194-209.
プラウトゥス『三文銭』(Trinummus)に特に焦点を当てて,詩人が当時の法律用語や実践を自らの喜劇の目的に合わせてどう用いているかを考察する.婚姻解消に関する言及を検討した後,mandatum, sponsio, dosというこの劇の中心になる3つの法的問題を取り上げる.
Carey, C.(2000), `Comic Law', Annali dell'Università di Ferrara. N.S. 1: 65-86.
アリストパネースの喜劇に繰りかえし現れる法律用語や主題が,法律への懐疑的・敵対的な態度を表すものであること,そうした態度が一部では喜劇というジャンルに相応しい奔放で祝祭的な雰囲気から,他方では同時代のアテーナイの社会的状況から説明される.
Nuti, A.(2010), `Having something that you don't own : «apud» possessive constructions in Latin and a comparison with locative possessive sentences in Irish', Studies in Classical Linguistics in Honor of Philip Baldi, Leiden, Brill: 57-74.
ラテン語では所有は普通habeo hoge《私はhogeを持っている》やmihi est hoge《私にはhogeがある》で言うが,プラウトゥスやキケローあたりにはapud me est hoge《私のところにhogeがある》式の表現も見られる.この偶然的な,法律上のものではない所有を表す言い方についての研究.apudを用いるとlocative的な表現をすることになるが,今日のアイルランド語でも同じような意味合いで同種の表現をするらしい.
なんか「大地にくまなく敷物を拡げることはできないが靴を履けば同じ効果が得られる」というような趣旨の格言を読んだ記憶があるがどこでかしらん
あったあった『ヒトーパデーシャ』だった.
「心の満てる者にとり,
すべては幸に充ち充てり.
靴を穿きたる足にとり,
大地は革もて覆われつ.」
(岩波文庫,金倉・北川訳.p.59)