好きなキャラと描きたいキャラ必ずしも一致しない問題
好き過ぎると知らない間にハードルが上がって「駄目だ,この絵は存在を許されねェ…→振り出しに戻る」が発生する辛さがある
未来形には結論的な部分に用いて単なる言い切りとは異なる趣きを持たせる用法がある.Gildersleeve-Lodgeの242.3.
Sunt illa sapientis; aberit igitur a sapiente aegritido (Cic. Tusc. 3.8.18)
《それらのことは賢者に属する.それゆえ賢者は苦悩からは免れてあることだろう》
@ncrt035
格言的未来(gnomic future)という用法もこれとつながっている.
aequom esse putat, non reputat laboris quid sit, | nec aequom anne iniquom imperet cogitabit. (Plaut. Am. 172-173)
《(自分の考えは)正しいと思っていて,どんな骨折りか思い直すこともない.自分の命じることが正しいか正しくないか考えることもないだろう》
格言的未来についてはHofmann-Szantyr 310も.
古典とされる著作を読むにあたって「とりあえず全部読みきりたい」という路線が取られたので少なからず驚かされてしまった.
去年D'Intino教授のレオパルディ講演を聞いたからはやいものだ.
当時の記録をこちらにも移植しておこう.
これですね.|Leopardi, Zibaldoneの特徴とその翻訳(英訳)について
https://sites.google.com/site/associazionestudiitaliani/conferenze/di31huiyanjiuhui2017513
2017年5月13日|D'Intino教授の講演から帰宅.レオパルディの生涯についての一般的なことから『雑録』(Zibaldone)英訳プロジェクトでの難しかったことなど面白い話をたくさん聴けました.
『古代人の錯誤…』について私が拙いイタリア語で質問したのにも丁寧に答えて下さったので有難いことだ…
https://twitter.com/ncrt035/status/863358917832695808
レオパルディと『古代人に共通の錯誤について』|
ジャコモ・レオパルディ(1798-1837)はイタリアの詩人.イタリア中部のレカナーティに生まれ,幼少期から父親の所有していた厖大な蔵書を通じて古典を読みふけり,14歳で「もう教えることがない」と家庭教師の手を離れた.
その彼が17歳のときに書いたのがこの『古代人に共通の錯誤について』で,古代人が抱いた空想や迷信といった様々な「錯誤」を,ギリシア・ローマの古典をメジャーなものからマイナーなものまで夥しい数引用しながら論じるという驚異的な内容で,古典文献学と詩,厭世的世界観などレオパルディの作品を形作っていく諸要素が見出される点でもとても興味深い.参考:脇功・柱本元彦訳『カンティ』(名古屋大学出版会,2006)
https://twitter.com/ncrt035/status/862697791771951104