Macからもssh接続できるようにした
アーケードゲーム誌『ゲーメスト』のSSR級誤植「インド人を右に」はなぜ生まれたのか? https://www.redbull.com/jp-ja/why-was-it-born-misprint-of-gamest
宇宙を命ある,生きた存在と捉える見方からすると当然(?)それが老い衰えていくイメージ(mundus senescens)も出てくるわけで,そうした表象は,キリスト教時代も含め古代文献に広く現れるらしい.面白そうな話題なので機会があれば調べよう.
工学部でもそういうものなのか
「工学部などでは、大学院修士課程修了後に民間企業に入社するのが一般的で、博士課程に進学する学生は多くなかった。
「企業で研究部門に配属され、研究開発を行う。研究がまとまれば共同研究などで関係がある大学に論文博士を申請する。吉野さんのように、企業人生の集大成のような形で論文博士を取得する人もいる」
ノーベル化学賞吉野彰さんのキャリアにみる論文博士の価値(榎木英介) - 個人 - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20191010-00146107/
WEB特集 アメリカの若者に広がる ソーシャリズム なぜいま社会主義? | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191011/k10012121891000.html
「11月10日(日)午後1時〜、京都大学人文科学研究所4F大会議室にて、人文研アカデミー2019研究集会「現場から考える天皇制」が開催されます」
研究集会「現場から考える天皇制」 – 自由と平和のための京大有志の会 https://www.kyotounivfreedom.com/news/20191110/
BI30万とは言わずとも10万以下くらいからでも実現すれば,これだけ正義マンと嫉妬駆動型私刑が幅を利かせているマインドセットも多少は変わるのではと思うが,そう単純でもないのか.
🤔
さようなら、Twitter|樋口恭介|note https://note.mu/kyosukehiguchi/n/n8e1d6877ff83
nusquamを単にneverと訳している例を見て,直訳は《いかなる場所においても~ない》だよなーと思いつつ辞書を引くと,「場所」の意味合いが抽象的・比喩的なレベルに移って《いかなる場合にも,決して~ない》にまで意味が進みうるらしい.OLD s.v. nusquam 3 '(with idea of place purely metaphorical) In no person, object, activity, etc; also, to nothing', s.v. 4 'at no juncture, never, under no circumstances'.
OLDを見ているとどうもこの「能動的」というのにあたりそうなのはs.v. vastus 3 'awe-inspiring by reason of size, force, etc.; (esp. of wild animals, superhuman beings, and sim.)'だがちょっと捉え方が違うので,Ernout-Meilletの言っていたような「荒廃させる,破壊する」という意味における「受動・能動」的な枠組みについては慎重になった方がよい気もする.
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ぼんやりTLを眺めていたので「『アンコモン』,そんなデジモンいたっけ」と考え込んだが,全然違う話がなされていることに気づくのに時間がかかってしまった.
https://mstdn.maud.io/@babukaru/102949399113933454
忙しくなくても忙しいふりをした方がいい時もあるし,忙しくても忙しくないふりをした方がいい時もある.
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ラビリィにへそピアス空けててほしいとか言ってる人がいて性癖歪みすぎだろ…となるが正直めちゃくちゃわかってしまうんだよな…
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今日のお昼に出てきた胡瓜と茗荷の酢の物に白いのが入っているから「山芋かな」と思って食べたら梨だった.胡瓜と茗荷と梨の酢の物という大変しゃれた代物だった.
梨やいちじく,柿などの果物を和え物で上手に使えるとすてきですが難しいですね(何になろうとしているのか
『和文独訳のサスペンス』を読み直してるけどとても面白い本だ.『和文仏訳のサスペンス』の方は持ってなかった気がするが…
同じ日本文を,日本人とドイツ人がそれぞれに独訳して,その違いや解釈の詳細を互いに批評し合うという形式の本で,ドイツ語の勉強になるばかりでなく,もっと一般に「翻訳する」とはどういうことか,訳すために原文をどのように読み解くのかという技法を学ぶことができる.
たとえば,「隅田川のほとりを歩いた」という主語の無いいかにも日本語的な一文をどうするか.「まあ『私は』ということだろうな」と考えれば,著者の一人である田中先生の Ich spazierte den Sumida-Fluß entlang. と同じようにとはいかずとも近いものが頭に浮かびうるが,そこからもうお一人のSchlecht先生の Mein Spaziergang führt mich zum Ufer des Sumidagawa. を見て「あ~!」と膝を打つ,みたいな体験が毎頁できる.
先にMein Spaziergang usw. の独文を見せられてその意味を理解するのは造作もないだろうが,「散歩した」という日本文を訳せと言われて「『散歩』を主語にする」という発想が我々にはなかなか出てこない(主語がデカい
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