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大晦日だねえ(旧暦の)。とりあえずニコ生で春节联欢晚会(勝負のない、ただただ盛り上げるだけの紅白歌合戦的な大晦日番組)のタイムシフト予約をした。リアルタイムではどこまで観ていられるか分からない(毎年脱落する)。

YouTubeなどでも配信されるけど、ニコニコはMCに日本語同時通訳がつくから……(中国語学習者にあるまじき発言)。

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武田砂鉄『なんかいやな感じ』(講談社,2023年9月)

1982年生まれの著者が、昭和の終わり頃からの個人的な記憶や目立った事件の記憶を時系列で掘り起こして綴っていくと同時に、自分の立ち位置からそれぞれの時期に否応なしに感じられていた気分のようなものを抽出してみせてくれる。反復横跳びのように、「いま」への言及もおこないながら。

その横跳びの幅は当然、話が進むにつれ徐々に小さくなっていくのだけれど、そのことを意識すると、読んでてじりじりとした焦りのような気持ちが湧いてくるのだった。ここまでのさまざまな事象の蓄積は、たしかに現在のこの世界における、出口の見えない不穏さと地続きであるのだろうと思えて。

中盤で、記憶の残り方について突き詰めた章が出現する。記憶には必ず「編集」が入っており、たとえ人には言わない「黒歴史」だとしても、覚えてはおけるものと、都合よく抜けてしまうものがある。「記憶」として認識される過去は、あくまでも自分が「現在」考えている過去である――というような話。

それを敢えて、あらためて念押しせずにはいられなかった著者に誠実さと生真面目さを感じる。

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話題の「東京大学における性的指向と性自認の多様性に関する学生のための行動ガイドライン」
u-tokyo.ac.jp/ja/about/actions

問題のある言動の具体例が挙げてあってすぐに実地で役立ちそうなところに作った人たちの志を感じる。そしてさらには終盤の

 
“〔よくない事例の項を読むと〕結局は人に対して、また人について、何も言えなくなるのではないかとか、何も言わなければいいのではないとかという「守り」の姿勢に入る可能性が想定されます。〔中略〕人に対して、人について、何も言えない、何も言わないというのは、自分のなかに閉じこもることにほかなりません。自分に閉じこもることなく、人とのコミュニケーションにみずからを開くという態度は、自分が無自覚的にいだいている「無意識的な偏見」を自覚化し、みずからの心の構えを相対化する意味でも必要なことです。”
 

……のあたりが、読んだ人への暖かくも力強い励ましを感じられてよかった。逃げずに実践しつづけていくには、それなりに根性が要るよなと思うけど。

Web site image
東京大学における性的指向と性自認の多様性に関する学生のための行動ガイドライン | 東京大学
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ニコニコ生放送ではちょうど、去年の大晦日番組を再配信しているところみたいです。今年の番組は21時からなので、その頃、眠くなければ観よう(ちょっといま、自信ない)。

去年の春节联欢晚会(春晚)と言えば、この演目がとても好きで、この1年、切り出された公式の動画を何度も再生していました。
youtube.com/watch?v=ZRoH1IZutq

さまざまな中国伝統色をテーマに、古装に身を包んだひとたちが、ひらひらと演舞をしてくれる。すっごく、ひらひらする!

Attach YouTube
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そうそう、あおぞらアカウントいちおうあります。
bsky.app/profile/narano.bsky.s

どのように運用していけばいいのか迷っていて、もてあまし気味なのですが、オープンな場になってこれから参加する人が増えていけばなんか方向性が定まってくるかも、と他力本願なことを思いながら、とりあえずほかの皆さんの書き込みを拝読しています。

旧Twitterで見ている(いた)ひとたち、だいたいみんなマストドンには来ないから……。

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ならの (@narano.bsky.social)