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Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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無料ウェブメディアが無料にするために広告収益に頼るんだけど、そうなると「元記事探して読もうとすると広告まみれ」になる。他方、SNSで紹介されたリンクだけ見てれば広告が発生しない。いちいち元記事確認するほうがクオリティ、リーダビリティ下がるってのが「フィルタリングをフィルターで解除したフィルター」みたいな世界への過渡期だなと。
とかなんとかM1について話してたら、松本人志に文春砲。中身は読めないので何とも言えないが、なんていうか。こういうことが出てくること自体が「もうお前の時代じゃない」って話なんだよな。
SNSの人間はほんと気楽でいいと思う。次から次へと、津田大介から松本人志から、とにかく攻撃対象が見つかるのでそれに何か言ってりゃいいと。批判をするなとかそういうことではない。ただ、時代の変化や「老いるとはどういうことか」についてまるっきりわかってないんだろうな、呑気でいいなと思うだけである。
シシガシラがM1でハゲネタをして「今時ハゲネタて......」ってなったけど、今、王谷晶『完璧じゃないあたしたち』を読んでたら、ハゲと人物を侮辱する表現がフツーに作中入ってるし、「頭おかしいんじゃない?」のような表現も入ってるし。もちろん作者の思想なのではなく、作中登場人物の発言ではある(作者がそこへの価値観や言葉遣いにコミットしているとは限らない)んだけど、2018年の本でこれかあってのと、確かにシシガシラの言うことには一理あるなとなったんだよね。(一応言っておくが、この「ハゲ」は作品内で実は非常に重要な、作劇上必要な使用である。興味のある方はぜひ読んでみてください)
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そういえば『ケイコ 目を澄ませて』を観ました。大変素晴らしい映画で、ほんと静かに、力強く、丁寧に「ろうの女性ボクサー」を描く作品で。本当にいい作品だと思ったんですけど、岸井ゆきのがろうの女性を演じてるんですよね。岸井はろうではないので。当事者の役は当事者がすべきの原則、ちっとも守ってないんですよね......。あと、作品内でケイコの弟がケイコに向かって「あたまおかしいのかと思った」ってセリフが。こういうのも引っ掛かりますね。
> 監督の元に話が来たときは既に主演のキャスティングが決まっていたとのこと。その上で、ろう者の他の役があればそれは当事者を配役することで監督を受けたとのこと。https://ashita.biglobe.co.jp/entry/2022/12/14/110000
これを誠実と取るか、ウォッシングととるか......。キャスティングは既に決まってたので私は悪くないって言ってるとも言えるので。
私は正直、当事者キャスティングが常に正しい判断なのか疑問を持っている(「疑問を持っている」と言っただけで差別者と認定されるのがSNSだろうけど)。アイヌの映画撮るのに主演にアイヌを使わないのは言語道断のようにも思うが、ドラマ版ハートストッパーでのアウティング騒動などもあった。当事者の雇用を拡大していく方向に進めていくべきなのは論をまたないが、今、すぐにすべてできるかというと現実的に難しいしさまざまな問題も出てきそう。日本の場合は「キャスティングありき」の企画も多いんだろう。
この投稿、Threadsだと70いいねなんだよね。特定の話題をすると、アルゴリズムが働くのでスレッズだとバズりやすいのと、Mastodonは「お笑いがわかる、というか好きという人が少なく、っていうか、お笑いを(特に吉本的な笑いを)憎んでる人が多い印象。
松本人志の芸のことを、特にロジックもなく「つまらない」「おもしろいという人の気がしれない」と言う人見るといつも「黙ってろ」と思う。発言や人格が気に入らないから芸を否定するんだろうが、それはやったらあかんのですよ。なぜかってそれ逆に「おもろいんやから黙っとれ」にされるでしょ。松本人志はおもろい。が、許されない行為は許されないしダメな発言はダメなの。
「悪いことしたから才能がない」ってやっちゃうと「才能があるんだから悪くない」になっちゃう。そっちの方が「困る」ってんです。
高松の名店、まほろばさんからボイチャしています。よろしければお入りください。https://discord.gg/nAhrcttx
てか、ダウンタウンが「おもろない」とか「手塚治虫がわからない」レベルでしょ。じゃあ語るのやめたら?って思うよ。別に好きである必要ないと思うよ。自分も特に好きではないし。でも、明らかにボケの質がクオリティ高いって。わかんないことについては黙ればいいのよ。で、松本の人格だけ否定したらいいのよ。
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真空ジェシカ、そもそもジェシカって希崎ジェシカ(AV女優)を川北が好きなので選んだとか、そういう理由だし、松本人志よりそういう意味では「古い」ですよ。
松本人志が「わからない」という人がこんなに増えてることに自分はびっくりしてる。でも、増えたとか世代とかよりも、たぶん「テキスト型SNSである一定の偏りしてるような人にはこの手のアドリブ的とんち笑いをずっと楽しめなくて、それが顕在化した」だけなんだろうけど。
たとえば自分は真空ジェシカに今めっちゃハマってるんだけど、冷静に見れば少なくとも漫才は基本駄洒落なんだよね。それこそほとんどボキャブラみたいな駄洒落。戒名で歌をつくる「死んだーソングライター」の「かいみょん」だの、「クローン澤明」だの、「冗談はたておき」だの「Z務所」だの「検索エンジン」だの……。ただの駄洒落をそれと思わせないところが新しいけど、実は全体的にセンス、実は古いんだよね。逆にヤーレンズのほうが新しいんだけど、しかしそんなこと、政治のことにしか興味がない、つまり政治に興味がない連中の溜まり場みたいなSNSで書いてもどうするんだとは思うが。
松本人志やダウンタウンの時代は終わるし、令和ロマンが新しい芸人と芸人関係築いていくんだろうなってなんとなく思ってる。
マジで松本人志やダウンタウンの笑いが「好きではない」とかではなく「わからん」くらい言う人がなんで自分に笑い語れる能力があるのか全然わからん。
私はもちろん政治的な正しさや正義の観点からもお笑いを見てるけど、それだけでは見てないよ。もちろん前者の観点から安心して見れない人がいるのはわかるし、私もそうだし、それこそ「笑われる」側になることもいくらもあるけれど、言いたいのは「おもしろさ」それ自体を理解したり論じたりしないのに前者だけの話に縮減するのは、前者の話する上でも非常に問題だと思う、ってことなんだけど、こういう話がもう「図式対立化して言葉の細かい解像度を潰す物言いばっかして喜んでる」SNS的言説で理解されたりシェアされたりすることはないと思う。
お笑いや芸能自体が「蔑視される」ことと不可分である、みたいな発想や、知識ベースもあんまりなさそうだし。
お笑いっていうか、そもそもこの国自体がこの国のシスヘテ男性仕様でしょ。しかもそのシスヘテ男性ですら幸福度が低い、マジうんこ仕様のクソ国だからなー。
なんていうか「政治でしか語らない」「正しさ【だけ】でしか語れない」ことの政治的なマズさや、正しくなさって問題意識がないのよな。もう自分はそこにまったくついてけないわ。
「出版されるべき」と明言することの重い意味を津田氏はわかっていないようだ。
KADOKAWAで出版予定だった当該本は、公権力で出版を規制されるべきではないが、出版されるべきではない本だ。出版する自由はもちろんあるが、それは当事者の命に関わる責任の重い行為である。
「出版されるべきではない本だが、KADOKAWAは自分の責任において出版する自由を持つ」とでもいうべきだった。結果としてKADOKAWAは自社の責任において「出版しない」という判断をした。
https://bsky.app/profile/sakuradaella.bsky.social/post/3khdtuwllcd2c
津田氏は、しばしば家族が敵になるというトランスジェンダーの苦境をちょっとは考えるべきだ。あの本は、トランスジェンダーの当事者の家族を、トランスジェンダーの無理解者/敵対者に育ててしまう可能性が強い本だ。
津田氏の日常の仕事には意味のあるものも多い。だからこそ、津田氏が「出版されるべき」と口走ったことの意味は重い。そこを切り取って「津田しがお墨付きを与えている」と受け取る人も出てきかねない。再度考え直すことを期待したい。
https://bsky.app/profile/sakuradaella.bsky.social/post/3khdtuwllcd2c
津田氏への批判はよくわかるけれど、彼レベルをヘイター扱いしてる人とか、もうそうやって言葉の微妙な差異を潰すことが一体何をつぶしてることになるのか多分一生理解しないんだろうし、それが誰を利することになるのか、懸念を抱くことも一生ないんだろうなとは思う。
「ネタだろ」「おふざけだろ」で相手の反応を無化しつつ嫌がらせやハラスメントができてしまうのは本当にその通りなのだが、でも実際にそれでめちゃ得したり助けられてる例ってすごいあるでしょ。その区別がつかない人たちばかりでなんか言ってもなあとも自分は思ってる。
自分が最近言いたいこと、とても問題だと思うこと、SNS、ネットで伝わるわけないと思ってる。プラットフォームの問題ではなくてそれが伝わる言説資源を、自分も一緒になってぶっ壊してきたからだ。
自分で言うのもなんだけど、自分が今、すごく面白いこと書いてるな、思いついたなということってあって。それをポップにわかりやすく出したつもりでも、でも全然ウケない。でも、これ、退屈だけど反応あるだろうなってことが反応ある。
山田邦子に関する投稿は自分はすごくいいこと言ってると思ってる。Threadsだと70いいね。Mastodonだと2いいねかな……。これがThreadsとMastodonの違いかなと。Threadsは人は勘違いのいいねが多い。Mastodonは人がいない。
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さや香がやってるの、あれクリプケンシュタインなんだよね。そしねクリプケンシュタインのほうが圧倒的にラディカルなので、「シュール!」とはならず「何を退屈なことを大声で叫んでんだ?」となってしまうという。
何か対象があった時に、自分の見方をすばやく変化させてその対象がおもしろく見える見え方に視点をチューニングできる方が、圧倒的に「かしこい」と思うんだが、お笑いにおいては「わからん」「あんなのおもんない」と自分の頭の硬さをアピールするほうが賢いと思ってるバカが無数に湧くのなんでだろう〜。
別にマジでダウンタウンも松本人志もどうでもいいんですよ。特に思い入れない。だけれど、堂々と「あんなんおもんない」と言い切って「わかる」努力をしない=自分の今の「見え方」だけがすべて=教養の否定ってだけのえらそーなど素人(なのはいいけど、おもろいことろくに言えた試しもない)とか一体何なのかと。そっちのほうが「手に負えないわ」ってなるんですよね。
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あ、もちろんどんだけダウンタウンや松本人志がおもしろかろうが、つまらなかろうが、性加害の有無とか是非とかまったく別だから。見れなくなってもまったく何とも思わない。てか、うちテレビないし。