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Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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この映画、史実ベースにした伝記的作品のように見せかけておいて、後半に行けば行くほど、史実うっちゃって「現代とつなげていく」ところがミソなんだけど、そこで流れる、というか劇中人物が合唱しはじめるのがミック・ジャガーとキース・リチャーズがマリアンヌ・フェイスフルに書いたAs Tears Go Byという曲。もちろんストーンズは20世紀にはじまったので、1878年にそんな歌があるわけがないんだけど、気になって調べたら、マリアンヌ・フェイスフル、母方がハプスブルク家の血筋らしいんだよね(wiki情報)。マリアンヌとエリザベート、世紀をまたいだハプスブルク家の二人を楽曲でリンクしてるってことらしい。なるほどなーと。
後半でエリザベートはみずから自慢の髪を切り、刺青をし、イタリアで「それ現代のやつやろ」って(そう見える)フェリーに乗る。タイトルのcorsage(コルセット)を取ってからはもう完全に現代の女性だ。(刺青などは実際にしていたらしいが)
マリアンヌ・フェイスフルとエリザベートの共通点は他にもある。ドラッグだ。そして子どもを亡くしたことも(マリアンヌも流産を経験してる)。
As Tears Go By / Marianne Faithfull
https://youtu.be/_phZZgkT1Jk?si=VCGDP3I5MLfGbL_2
その日の午後
すわって見てるの 子どもたちが遊ぶのを
子どもたちの微笑みを けれども私は
すわって見てるの 涙を流しながら
お金持ちの私にも買えないものがある
私はただ聞いていたい 子どもたちが歌うのを
けれども聞こえてくるのは 雨が地を叩く音 それを私は
すわって見てるの 涙を流しながら
その日の午後
すわって見てるの 子どもたちが遊ぶのを
私が昔していたことを 新しいことだと思ってる それを私は
すわって見てるの 涙を流しながら
https://youtu.be/LzImOSVYoWI?si=b8MUjTixYdlnAixI
この曲の恐ろしいところは、人生経験によって歌に深みがでてしまうことで(ラストのDoing things I used toなど)。中年時代のマリアンヌの歌声だとこう。
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これ、自分も同じ気持ちになることあります。フードストレージをやってた頃も同じようなことあって。感謝されるとそういうのは気持ち悪いのだけど、こちらを「ツール」としてしか使ってないんだなと思わされることが頻繁にあって。もちろん余裕ない人が人の心を慮るリソースないとか、そういう理由もあるんだろうけれど、なんていうか人間ってとことん「権力」の生き物なのよ。相手が偉いとなるとひれふし、下だと見るとバカにする。丁寧さを求められるとオドオドし、ラフでいいよとなると、カップラーメン食べて、スープ入ったままゴミ箱に捨てて平気、とかなんだよね。
高松はとにかく合理的都市。街全体がコンパクトで密だし、うどんは一瞬で出てくるので「なんか今から映画でも見に行こうかな」とか「やっぱり次の電車で帰ろ。その前に飯食ってくか」とかが無計画にあっさりできてしまう。とにかく思いつきと行動と結果のネクサスがサクサク。自分にはそういうところが合ってる。
高松の駅前にある「めりけんや」のぶっかけうどん。どちらかというとハード系。つゆも甘いほうかな。シャープネスをインプレスしてくるストラクチャはまさにめりけんやシグニチャーというアトモスフィア。うどん屋にとって速度は正義。うどん県、県庁所在地玄関口の最初の一歩を務めるにふさわしい讃岐うどん。
礼儀って何のためにあるかというと「お互いを人間扱いするため」にあるんだよね。低賃金の労働でそこまで感情労働する必要なんてない。なんなら椅子にでも座ってダラダラやればいいんだけど、こちらをモノとして扱ってくる何かがあったら、それはこちらにとって人間ではなくモノだからさ。そんなんしあうのアホらしいじゃん。
店のスタッフがこちらを客ではなく、ただのATMとして扱うなら、こちらもそっちをただの配膳ロボや質も性能もクッソ低い注文タブレットとして扱うからさ。そうすると互いを機能でしか認識できなくなるし、尊厳なんてなくなるからな。そんなことして何が楽しいのと。
自分は人と人、対等でいたいのに、「上から」な話し方するやついるとそもそも対等にならないんですよね。そしてこちらが「下」に出ると「上から」くるやつってめっちゃたくさんいるので、こちらも上から行くしかなくなる。
「教える」ってのは本当に難しいよ。こちらが完全な準備をしても、たまたまその日、学ぶ側が「そのタイミングじゃなくなった」とかめちゃくちゃある。
ボランティアに対して「申し訳ない」と感じると向こうが上、こちらが下。上下ができてしまうから、そうならないように、下にされないようにと「上から」扱ってきたり、マシン扱いしてくるわけでしょ。その心理はわかるけれど、こちらも下になると不条理をとことん押し付けられるからさ。だから最低限相手を増長させないミニマムな「上」を演じたりしなきゃなんない。もうそういうのがどんどん疲れてくるから人間って嫌だし、犬って最高だよ。
交通事故のもそう。相手がこちらにケガさせてんだから相手のほうが負債負ってんだけど「下」になると相手を「上」にする、相手が「上」になるとこちらがどんどん「下」にされてしまうからそうならないように「上」からくるんだけど、それするならこちらだってケガした上に下にされたらたまんないから「上」をやんなくちゃいけない。もうこういうのほんと疲れるよね。
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世の中のいろいろでみんなストレス溜まってるのかなんなのか。ほんと人間がキレやすく腐りやすく鬱りやすくなってる感じする。
Mikako先生のドイツ語講座の動画より。日本語とドイツ語の母音の違い。同じなのはaとIだけでドイツ語は日本語にはない母音が10個はあるっていう。こんな状態でシャドーイングなんかしても聞き分けられるわけがない。
Duolingo、最初は自分含めてザコばかりなのでランキングやレースも笑って楽しんでたけどレベル上がるにつれてだんだんダルくなってきた。これ、ランクオフにするモードないんかな。いちいち「抜いた」とか「抜かれた」とかうるさい。目的違うしさ。
パワハラとかもそうだよね。こちらが下に出てしまうと向こうもどんどん上からくる。それがエスカレートしてしまう。
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英語も伸び悩んでるの、発音きちんとやってないからでは?ってなってる。発音はネイティブと同じになるにはものすごく鍛錬がいるし「通じりゃいいのよ」からすると後回しにされがち、コスパ悪いと思われがちなんだけど、きちんとした発音を理解してないと聞き取れないからヒアリングもできないし、読む時も書く時も「母国語の音への読み替え」コストが発生して処理速度が落ちる。だから結局、急がば回れで発音を丁寧にやるのが大事なのでは?という仮説を立てている。
Schachとか「なんでこんな綴り長いのに音短いん」って感じでしょ。綴りメインで覚えないほうがいいと思った。そしてこれが不思議なんだが音メインで覚えてなんとなく綴りも見る感じにすると、綴りのほうもだいたい書けてるのよ。
コロナとかそれ以前の問題。体調悪くて咳してるんだったらマスクつけようよ……。無理せず休も?それってコロナ関係ないし、あなたたちが大好きな「経済回す」上で絶対したほうがいいことじゃん。
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別にお笑いのセンスがとかそういうことではなくて「会話が楽しめる」エリアとそうでないエリアがある。今住んでるところ、ほんとどうやっても話が弾まないというか「え??それで弾んでる認識なの????」っていう。
高松の居酒屋での会話、昔の野球の話とかキャバクラの話とか皇族の話とかだもん。別に話題がいいとか、めっちゃ笑いとってるとかそういうことじゃないんだよね。掛け合いがありグルーヴがある。そこは盛り上げる手はずになってるってところをフツーに盛り上げるってだけなんだけど、それが同じ四国の「こちら」ではまったくできない、できてないことに気づいてないっていう。わかりやすく「なんでやねん」的にツッコミでいいところを「ほうなんやね」とか言われるっていう。
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徳島の、この「会話をしない」カルチャーマジでなんなのか。おもしろとかを期待してるわけじゃなくて、ボール投げたらフツー取るし、取ったら投げ返すやろ。「仲間うち」では打ち返すんだけど、仲間じゃないから……。あと、仲間になると今度はウェット。じめってるのは好かん。もっとカラッと、サラッとパッと。させてくんないかなあ……。飲食店も毎回お金払って感想が「楽しくなかったな」なの一体なんなのか。
まあ仕方ないんだよね。高松や松山は四国支社があるから、大きな企業のサラリーマンが単身赴任や出張でやってくる。そういう人相手にしてきた洗練と、徳島の「地元で身内に愛されるのが勝ち」で全然違う。
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徳島、そもそも商売の基本である「知らないご新規さんと接点持つ」がまったくできてないとこ多い(する必要がない)のがもろ出ちゃってんだよな。
今回高松で飲んでたら、お店の大将が「オレも昔徳島で飲んでたのよ。そしたらお客さんが入ってきてるのに一杯ですって断るの。もうオレたちもその店に何時間かいたから、いいよもう出るよって言ったのよ。そしたらそんなことしなくていいっていうのよ。見たら奥にまるまる座席空いてんの。あそこ空いてるよ?って言ったら、いや、疲れるけんええんじゃって言うからびっくりしたよ」と。それ聞いた客たちみんな「信じられない……」「商売じゃないのか」と。
狭い土地、資源もそんなにあるわけじゃない(水を徳島からおすそわけ)からとにかく回転率上げてくしかない香川と、だだっ広いところ、特に他所から競争相手もあんまり入ってこんところでダブダブに豊かな資源あるから身内だけでのんびり回しとったら不労所得と助成金の徳島じゃ全然違うんだよな。(香川もどこも助成金だらけはそうだろうが
高松でも大阪でも、お店入るとだいたいすぐ「お兄さんええなー」「また来てや」となるのに、徳島だけはそうならないからな。
地方って言うても一緒にしないでくれる?ってのはめちゃくちゃあって。福井や和歌山あたりの人から「地方はどこも同じですよ」と言われたら「まあそうかもしれん」となるが、熊本とか仙台とか大都市だし、高松、松山、高知ですら「そら往年よりかは元気もないだろうがいうてもテンション高くて羨ましいな」だよ。
シーシャ屋もそうで、別に何もこちらから話しかけようとかはしてないけど、スタッフの女性が「どちらからですか」「手、ケガされてますね。どうされたんですか?」って話しかけてくるんですよね、こんなおっさんに。なんていうか「お互いにモノじゃなくて人間ですよね」の確認だけしてるわけ。それしとかないとシーシャだけ黙って吸うのは気持ち悪くない?みたいな感覚なんだけど、そういうのがあんまりないのだよな。
先日、千原ジュニアの金属バットへのインタビュー見てたけど、下手すぎて、というかなんか圧が気持ち悪すぎて見ていて辛かった……。
「スタッフも話しかけたりしてくる気さくなお店」「別に店に批判的とか冷たい目線向けてるとかではないんで」ってことにするためだけの会話みたいなのある。「処理」って呼んでんだけど、その手の「処理」みたいな発想、みんなあんまりないらしい。
地元で「ウケる」の意味が違うんだよね。マジでなんでそんな店が流行んの???ってとこが流行る。まあ理由は把握してるし理解はしてるけど、理解すればするほど「合わねー」ってなる。
Mein Hund ist sehr nett und klug.
Cxi tiu estas mia hundo.
飼ってる犬。このカットもいいなあ。