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Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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ビートルズの新曲、「あんまりよくない」よ。でも、それがビートルズらしいなーとは思う。この人ら綺麗に終わらせられないでしょ。アビーロード、ジ・エンドで終わればいいのにハーマジェスティ入れちゃう。(個人的にはあれ大好きな曲)アビーロードで終わらせればいいのにレットイットビーが出ちゃう。アンソロジーシリーズの新曲で終わればいいのに「最後の新曲」とかいってイマイチ曲リリースしちゃう。そういう存在としてのビートルズをほんとのファンは愛すべきであって。これを「いい」と言っちゃう人たちはビートルズの何聞いてきたの?って感じ?
「最後の新曲」と言ってるけど、これは「オリジナルメンバーが参加した最後の新曲」の間違いでしょ。ポールやリンゴの死後もビートルズの新曲はで続けると思う。AIがあればそれができる。新曲発表時のポールのコメントまでAI生成して。それでも多くの人は名曲素晴らしいと言うだろうし、これ以上の「脱神格化」はないだろうなと。
「腐ってもビートルズ」とか「腐ったビートルズ」を怖がらず出すのも、出すのこそビートルズでしょ。そういう意味で「こういうてきとーリリース」、自分は嫌いじゃないです。
AIによるビートルズ生成にリスナーを慣れさせるってことでしょ。あとビートルズの概念が変わるってこと。4人がビートルズだったけどこれからは違う。ビートルズはみんなでいじくり回して好き放題楽しんでいいオモチャになる。ワオ!なんてチャレンジング!コンピュータを使ってポールマッカートニーを蘇らせるなんて!みたいになってくんだろうなと。
嫌いじゃないし、出せばと思ってるし、新曲も好き嫌いで言えば「まあまあ好き」だけど、自分はそれでおしまい。今日もスライを聞き返してる笑
次の「最後の新曲」はリンゴだけで残りはAIとかやってほしい。ポールは死んでるとか言ってない。生きててもプレイできてもあえてしない笑。「AIに素材を必死に提供したよ笑」とか言ってほしい。まさかのリンゴボーカル。リンゴのボーカル曲、少なすぎるから一曲増やすだけでも意味あるんじゃない?それくらい適当の「お遊び」でいいよ、ビートルズは。
ぼくはフリーアズアバードもリアルラブも好きです。特にフリーアズアバードはいいよね。途中のポールのパートに出す意味をしっかり感じるし、ビデオもよかった。
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あ、なんだろ。「いい曲」だよ。自分は好き。でも名曲とか繰り返し聞くかというと、まあNow and then(時には)かな。
Family Affair / Sly & the family stone
https://youtu.be/xag5RKD0VHk?si=-1PZR1MLz_5hy1PL
家族の問題 家族の問題
家族の問題 家族の問題
一人は成長して
学びたがる人間になる
もう一人は成長して
燃やしてしまいたい人間になる
ママはどちらも愛してる
血ってやつだ(血、血)
どちらもママにはいい子だ
血ってのはドロッドロに濃いもんだ
新婚だったのは一年前
今じゃお互い見張り合いだ
どちらも立ち去りたくはないが
どちらも無視されたくもない
出ていくことはできない 心はそこにあるんだから
居続けることもできない 別の場所にずっといたんだから
泣けないよな 家庭崩壊してるみたいじゃん
でもとにかく泣くしかない とっくに崩壊してんだから
家族の問題 家族の問題
家族の問題 家族の問題
スライは聴けば聴くほど『暴動』のとんでもなさにビビるわ。沈み込む諦観とともに高まりつづける怒り。怒りが高まるほど覚醒して、頭の中心が冷たくなっていく感じ。怒ってるはずなのに口角は上がっていて、まるでにやけているように見えるんだけど、気づくと頬は濡れていて、自分が今どんな気持ちなのかわからないけれど、もう一人の自分にはそれがすべてわかってる感じ。
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ドイツ語いいんだけど、少しずつ多言語干渉してしまう。Bist du Arzt?とするところ、英語だとdoが最初なのでdu bistって言いそうになったり、エスペラントが邪魔して笑、マイネではなく「ミーア」ってなりそうになる。
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あんまりにも素直でいいことばっか言おうとする世の中が気持ち悪いって意味で、自分は筒井を理解するし、そういう意味での「共感」すらできるけれど、当然のことながら同意など一切せんし、「ケッ!愛されてたまるか」という筒井の願い通りただのクソジジイ時代遅れ乙で彼の人生〆てる。
最近なんか発言や表現が「いい」か「悪い」かだけで判定するでしょう。判定だけして後何も理解を進めないでしょう。そういうあり方には自分は疑問を持ってる。「いい」「悪い」はジャッジして結構だが悪いにしてもそれが「どういう機能を持つ」のか、差別や人権に対する影響以外にも、きちんと機能を考えるべきだと思ってる。でないと(やってはいけない)表現の分析にはならないと思う。
たとえば先日もドラゴンボールの話になって。そこでのエッチ表現、今見たら問答無用でNGのセクハラ、差別のオンパレードで見るのが辛いくらいなんだが、それはそれとして「当時これがどう機能していたか」「どうい意味なのか」もきちんと分析したり理解したり、想像していくべきだと思う。亀仙人や(らんまの)八宝斎などのようなジジイが女性の下着に執着するのが「かわいらしいエロ」としてむしろ「セーフ」に働いてた状況ってどうしてなのかって考えていくべきで。
今、自分が気になってるのは漫才のハゲネタやブスネタ。ルッキズムはNG。それで終わらせる分析の「雑」。そういう人が表現とか言ってもなーと思うんだよね。「表現」に興味ないでしょ。興味あるのは「人権」にだけ。でも表現だって人権だし、人権大事ってためにも表現を「いい」「悪い」だけではなく、他の基軸でもしっかり機能を見て取っていくべきだと思う。
「いい」「悪い」【だけ】を言っていく集団での「言論」がいかに世界を痩せさせているか。言葉を奪い暴力に力を与えているか。表現規制だとかそういう次元の話ではなくて。もっと我々は考えていくべきだと思う。SNSが「こんなこと」になったとハッキリした今ではまず。
筒井康隆のは「先がない」「すべて終わった」人というのはそういうことか、と想像してしまったな。元から筒井にまともな発言期待してないが、もうそろそろ終わりの人間にとったら、世の中自体が無茶苦茶になっていく、それが不謹慎だが「おもしろい」と思ってしまうし、そんなことを言ってでも注目されたい気持ちが想像できてしまい、切なくなってしまった。
あとは死ぬだけ、小説もろくに書いてない、書いても過去の焼き直し、そもそもが「最新の小説観」が古い。今の人からしたら「誰それ」枠でしょ、筒井康隆なんて。その通りの醜い醜態晒しても「こっち見て!」してるわけで。
セーフなことばかり言って「言論」ぶってるアホばっかりなのにイラつく気持ちはわかるけどね。筒井康隆のほうがさらにアホでイラつくんだが。
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