19:37:02
お絵かき掲示板を見かけて懐かしくなり、今まで自分がハマってきた作品は何だったかなと振り返ってみたくなっただけのオタク履歴書。
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細かく挙げればたくさんあるけど、めちゃくちゃハマったなというものを挙げるとだいたいこんな感じ。

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【2001年】
生まれて初めて漫画を読む。「名探偵コナン」
【2004年】
家にPCが来る。Flashがきっかけで「ムヒョとロージーの魔法律相談事務所」にハマる。本格的にインターネットとオタク方面に走る。個人サイト・同盟・チャット時代。
同じくFlashがきっかけで「逆転裁判」にもハマる。
【2006年】
ジャンプ作品をいろいろ読み、その中でも「銀魂」に落ちる。
【2007年】
海外ファンタジー児童書からラノベに手を広げる。「キノの旅」から電撃文庫系を中心に漁り、「デュラララ!!」を始めとして成田先生の作品に落ちる。
それまでは姉が読んでたから自分も…のパターンだったけど、「デュラララ!!」が初めて自分だけの興味で好きになった作品だった。
【2008年】
ジャンプの裏表紙に「ペルソナ4」の広告が載ってたのをきっかけに、「ペルソナ3」を遊んでハマる。その後「ペルソナ4」も。→ シリーズファンに
ここら辺からゲームをよくやるようになる。
【2010年】
「龍が如く3」「GOD EATER」にハマる。→ シリーズファンに。
このあたりの時期から一次創作も始める。忍者ブログでいろいろ書いてた時代。
【2011年〜2013年】
「デュラララ!!」「ペルソナシリーズ」「龍が如く」「銀魂」のあたりを中心にふわふわしていた時代。
精神が少し塞ぎ込んでいたため、新しいものに手を出さず、インターネットもリアルも人間関係を鎖国していた時代。
【2013年】
「GOD EATER 2」がきっかけで、オリジナルキャラクターを動かす事が好きになる。精神がやや復活する。
一次創作が加速する。
【2014年】
「館シリーズ」と出会う。推理小説を積極的に読むようになる。精神が復活してSNSの鎖国を終了する。
【2018年】
TRPGを始める。

以降は今に至るまで1(.5)次創作を中心に、好きなシリーズ作品と推理小説をちまちま追い掛けるオタクになっている。

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こうして見ると、精神が塞ぎ込んでた時代をきっかけに何か一つの作品に物凄くハマるって事は無くなって、代わりに自分で書いたり既に好きなものを掘り下げたりするようになったんだなと分かる。
言ってしまえばハブられて保健室登校だった時代なので嫌な思い出ではあるんだけど、良くも悪くも自分と向き合う時間がたくさんあったお陰で考え方やメンタルを代謝できたと思っているので、必ずしも悪い事だけではない。

書いて気付いたけど、来年でインターネットと出会って20年かあ…。

02:50:13
へそを曲げて長年読んでいなかったけど、推しが主役のスピンオフ作品と覚悟を決めて数年越しに向き合った拗らせオタク日記。(「折原臨也と、夕焼けを」「折原臨也と、喝采を」ネタバレ有り)
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もどかしい人だ。
一言で表すならそう思った。

折原さんについて考えるのは後として、スピンオフシリーズの2冊は本編「デュラララ!!」と違ってデュラハンや妖刀なんかの非現実的な物は一切登場せず、(多少の劇的な演出こそあれ)一貫して人間による話だったというところが印象的だった。
推しが主役という贔屓目を除いても、単純にサスペンス物として楽しめた。
閉鎖的な村や人間社会が織りなす話だとか、アウトロー系裏社会の創作物がすごく好きなので、特に「夕焼け」はすごく好きだった。

以下は好きなキャラについてくどくど語っているだけの文。

⚫︎「折原臨也と、夕焼けを」
9割のオリハライザヤと1割と折原臨也という感じだった。
13巻で「心が脆い」と語られてから、なんとなくスピンオフでは丸くなってるんじゃないか…?と少し不安だったのだけど、完全に杞憂だった。
しっかり折原臨也だった。歪みなく歪だった。

だから久し振りに1巻や2巻を最初に読んだ時に感じたような得体の知れなさ・気味の悪さを感じて、そうだこれがオリハライザヤだぁ……と思っていたのだけど、要所要所に人間らしさが散りばめられていて、あぁそう言えば折原臨也だったぁ…と。

彼を象徴する台詞と言えば1巻の「人、ラブ!」なんだろうけど、その後に付け加えられる「だからこそ、人間の方も俺を愛するべきだよねえ」が本音なんじゃないか?とは読み始めの頃から思っていて、同時にそんな単純な話だろうかとも思い続けてきた。
でもついにそれがほぼ確定したのかなと思う。
特にドタチンの「あんたの方から、奴を愛してやればいい」「あいつの事をもっと良く見てやれよ」のあたり。
ただ13巻で語られたように、彼は「吹き流しや鯉のぼりのように受け流す」のだろうから、それがもどかしい。

あとは彼がはっきり平和島静雄に「負けた」と認めた事は少し意外だった。
てっきり致命傷を負わせたのはヴァローナだからあの怪物ではなく人間に負けたくらいの理屈を捏ねると思っていたのだけど、「怪物の人間らしさに負けた」と認めるんだな…と。
意図的に足は直さないけど、「いつかまた、自由に跳ね回れる日が来ると思うかい」という言い方は、また自由に跳ね回りたいと言っているように思える。
彼が足を直す日が来るとしたら、それは感情を受け流さずに受け止めたり、人を観察するのではなく見る事ができるようになった時なのかな。

最後のページの挿絵は立って歩いているようにも見えるし、車椅子のままのようにも見える。
画集でヤスダ先生のコメントにあった「仕掛け」はこの事かな。
また跳ね回ってくれるといいな…と思うけど。

⚫︎「折原臨也と、喝采を」
公式で「左利き」が明記されたの初めてかな?と思ったし、とても解釈一致。
左手でナイフ持ってるイラストが結構多かったけど同じくらい右手使ってるイラストもあったから、今までは「左の方が得意な両利き」くらいのイメージだったんだけど、左利きが確定したなぁ。

「夕焼け」で見せた彼の一面がちょっと切なかった(死に場所を探しているように感じた)分、かわいい部分が印象的だった。
バットの握り方を知らなくて知ったか振ったりね。
「手首外れたんだけど!?」って取り乱す場面は新鮮だった。こんなにやられてる折原さんが書かれるの初めてじゃないか…?

それでもやっぱりもどかしい部分はあったけどね。
「誰か一人の人間に恋心でも抱けば何かは変わるのであろうが……」「君は自分自身を心の底から褒める事ができない」とか。
これは昔から勝手に想像している事なのだけど、折原さん小さい頃あんまりご両親の愛情を受けられなかったんじゃないか…というイメージがある。
彼自身が「ネーミングセンス以外は普通」と言っているから分かりやすい育児放棄とかでは無かったのだろうけど、単純に夫婦2人がものすごく仲が良くて2人だけの世界が完成されていて、そこに子どもが入る隙がないような家庭を想像してしまう。
周りの人の顔色を窺うような子どもで、それが今の異常な好奇心の土台なんじゃないのかな…と。

あとは勝手なイメージとして「折原さんは(人前では)アルコールを飲まない」というのも予てよりあった。
たとえほんの僅かでも、アルコールで正常な思考ができなくなるというのが嫌いそうだと思っているから。周りが全員酩酊してる中で自分は素面っていう状況の方が好きそうでさ。
「夕焼け」では麦茶だったし、「喝采」でもウーロン茶だったし。実際そうなのかなぁ…。

読み終わった後にヤスダ先生の画集を見返していたら、第2弾の表紙で飛び跳ねてる折原さんが目について妙にセンチメンタルになった。
彼の精神的な理由によるものなのだろうけど、やっぱり自分の足でまた歩いてほしいなあ…。

それにしても、自分は服とか靴とか鞄とか小物とかを選ぶ時はつい黒を選んでしまうのだけど、黒が好きだから選んでると思ってたけど折原さんに影響されてこうなった訳じゃないよな…?とややビビっている。
怖いのよ、自分の深層心理に潜む折原さん。彼のキャラクター性を考えると特に。
初めての3000字ノートが折原さんの事になるのはなんか癪なのでこの辺にしておこう。