今日の日記。チンチラかわいい。

友人を誘って動物と触れ合い、猛毒展も付き合ってもらった。

お金を貯めてペット可のマンションに引っ越してチンチラを飼うという野望がある。チンチラが好き。
ふわっふわでものすごく手触りの良いチンチラ様だった。買ったばかりの毛布みたいな感じ(?)
他にもフクロウとかハリネズミとも触れ合ってきました。
なんかハリネズミには妙に懐かれていた。

猛毒展ではかわいいマカロンも買ったのだけど、暑さでチョコペンのデコレーションが残念な感じになってしまったので写真は割愛。
その後は友人とご飯を食べた。
とても良い休日だった。
機嫌が良いので珍しくコンビニで缶チューハイを買って来て、飲みながらノートを書いている。(普段あんま家で酒飲まない)

15年くらい付き合いのある友人なのだけど、気の置けない存在は本当に貴重だしありがたいなと思う。
一人称が俺でも普通に喋れる相手、この人くらいなので。

以下は「暗黒館の殺人」の話。
フクロウと一緒にミミズクもいたので中也くん…と思ったし、猛毒展にめちゃでけぇムカデがいたので中也くん…と思ったし、普段から黒いロングカーディガンを好んで着るので今日の自分は実質浦登玄児だったかもしれん。

今日の日記。

今朝は派手に寝坊したと思って飛び起きたのだけど、壁掛け時計が壊れていただけだった。
少し損をした気分になって、電波の再受信だけして二度寝した。

明日からの3連休はほぼ引きこもりだけど、明日だけは友人と出掛ける予定があるので楽しみ。
チンチラと触れ合ってから水族館に行きます。

陽が落ちるとあまり暑すぎなくてベランダで煙草を吸うのにちょうどいい気温。
頻繁に吸う訳ではないけど、吸う時は5〜6本吸ってしまうのはあまりよろしくないなぁと思いつつ吸いながらノートを書いている。止める気は今のところない。

涼しそうな写真…。5年くらい前に新潟に住んでた頃にアパートが埋まった写真です。
あと4年ほど前に作ったミニハーバリウムは涼しげな色味です(
:twitter:のフォロワーのオリジナルキャラクターをイメージして押し付けた物)

TLを見ていて、洋楽も聴くようになったのはいつだったかと思いを馳せた。

思えば、10代の頃は音楽の好き嫌いを歌詞で決めていた。
誰に言われた訳でもないのに、歌詞で決める事が当たり前だと思っていた。
その基準も、共感できるというより歌詞のストーリーを気に入った物が多かったのだけど。

今はどうかと言えば、どちらかというとメロディで好きになる事が多い気がする。
その証拠に10代の頃に聞くインストゥルメンタルは酷く退屈でアルバムを聴いていてもスキップしてしまう事が多かったが、今はむしろ好んで聴いている。

ピアノや吹奏楽をやっていたにも関わらず、音楽は歌詞が主役だと思い込んでいた。
昔から曲にして聞くと日本語が日本語として頭に入って来ず、必ず歌詞カードを見なければ何を言っているのか全く分からない。
だから歌詞が重要だと思い込んでいたのかもしれない。(10代の頃は自分にとって難解なものや隠された物に価値があると思っていた。難しい数学の問題は配点が高かったし、問題文に隠されたヒントを正しく拾うことが得点に繋がったから。)

明確に変わったと自覚しているきっかけというのが、音楽の授業で見た「天使にラブソングを……」だったと覚えている。
日本語ですら聴いても歌詞が分からないのに、英語なんて聞いただけで分かるわけがない。さらに言うと歌詞を見ても意味をすんなり理解できるわけでもない。
それでも「Hail Holy Queen」や「I Will Follow Him」が好きだと思ったし、今でも好きだ。
もっとも、映像やストーリーによる効果が大きかったのかもしれないが。
それでも歌詞が分からなくても音楽は好きになれると気付いた出来事だったし、「音楽が好きだから歌詞も知りたいと思って目を通す」というように順序が入れ替わったきっかけだった。
それまで躍起になって日本語の歌詞を追いかけながら目と頭で聴いていたが、音楽を耳で聴くようになった。耳で聴くようになると不思議と好きな音楽が増えた。
当時使っていた256MBのSDカードなんかでは到底足りなくなって、1GBのSDカードを買ったことを覚えている。

今も音楽を聴くときは歌詞を深く追ってはおらず、好きだと思ったら歌詞を調べるようにしている。
自分にとっては歌詞との距離感はそれくらいが丁度良い気がする。
英語の歌詞は比喩やスラングがある事も多くて調べても難しい事があるけれど、それはそれで楽しいし、解釈の余地があるという点は言語の壁がある人種ならではの楽しみ方のような気がして、少し得をした気にさえなれる。

音楽に限らなければ言語の壁がもどかしいと感じる事は多々あるが、それは別の話。
(「ハリー・ポッター」の翻訳版との差を知った事がきっかけで、翻訳という他人のフィルターを通さなければ好きな物語を読めないことを悔しく思い、「バーティミアス」や「シャーロック・ホームズ」を辞書を引きながら読んだ思い出。当時使っていた中学生用の辞書では全ての単語をカバーできる訳はなかった。)

今日の日記。(「暗黒館の殺人」「デュラララ!! ×9」のネタバレを微妙に含む)

(この2つの話題が両方通じる方がどれだけいるのかという点は置いといて。)
唐突に夢に出てきた事がきっかけで最近読み返している昔好きだった作品というのがライトノベルの「デュラララ!!」で、自分の好きなキャラクターというのが折原臨也なのですけれど。
最近は「双子館の殺人」に備えて「暗黒館の殺人」を読み返していた事もあって、双子の妹がいる痩身で真っ黒い服の男性キャラを好きになるのは実は2人目だったのだなぁと気が付いた。
「おぉ、恐い」みたいな戯けたような喋り方もそうだし、人を食ったような性格のキャラクターが好きなのだなあ(玄児さんに「人を食ったような」という慣用句を当てるのはやや気が引けるが)。
何故か玄児さんのイメージが赤い瞳になってしまっていたのも、折原さんのせいだったのかもしれない。

関係ないけれど、中村青司が"得体の知れない風変わりな建築家"でいてくれるのは「時計館の殺人」までだし、折原臨也が"得体の知れない素敵で無敵な情報屋さん"でいてくれるのは8巻までだと思っている。

本当、なぜ唐突に折原さんを夢に見たのかと思っていたけど、もしかして「暗黒館の殺人」を読んでいたせいで、知らず知らずのうちに玄児さんを通して思い出していたのか…?
それか今週末に友人と池袋に行く約束をしたからか。
どちらにしても無意識に食い込んでくる男、折原…。おそろしい…。

IT方面に興味を持ったのも彼がきっかけで、当時は一過性の興味だったけど回り回って結局今の仕事にしてしまっている訳で。
もしかして今の自分が好きなあらゆる物の根底に折原さんの影があるんじゃないか…?!と思ってやや戦慄した日だった。

アニメの承転結は全然見ていないので、そのうち見ようかなあ。

今日の日記。

体調を崩して金曜の夜からまともに食べていませんでしたが、やっと固形物を食しました。
そのせいかややお腹を壊しています。

10年以上前に大好きだったアニメのキャラクターが、なぜか唐突に土曜に見た夢に出てきたのがきっかけで、原作の小説をぱらぱらと久し振りに読み返しています。
感性が変わって昔は好きだったけど今はそうでもないな…と思ってしまうんじゃないかと何となく不安だったのですが、好きなものは今もしっかり好きでした。
久しぶりに読むとやっぱりおもしろいし、好きなキャラクターは好き。

しかしストーリーが進むにつれてキャラクターの過去が明かされるという事はよくありますが、最初に読んだ頃は得体の知れないキャラクターだったのに、もう一度読み返すともう得体の知れないキャラクターではいてくれないものですね。
得体の知れない期間というのは貴重なものだったんですねえ。