オルテガの新訳が出るのか
「スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセット(一八八三─一九五五)による痛烈な時代批判の書。自らの使命を顧みず、みんなと同じであることに満足しきった「大衆」は、人間の生や世界をいかに変質させたのか。一九三〇年刊行の本文に加え、「フランス人のためのプロローグ」および「イギリス人のためのエピローグ」も収録。」
大衆の反逆 - 岩波書店 https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b505582.html
オルテガの新訳が出るのか
「スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセット(一八八三─一九五五)による痛烈な時代批判の書。自らの使命を顧みず、みんなと同じであることに満足しきった「大衆」は、人間の生や世界をいかに変質させたのか。一九三〇年刊行の本文に加え、「フランス人のためのプロローグ」および「イギリス人のためのエピローグ」も収録。」
大衆の反逆 - 岩波書店 https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b505582.html
"それでも価値観の違う相手とやりとりするには、何か同じものに取り組んだときの「共通な言語」を作っていくしかないと思う。"
高齢の母との言い争いがなくなったきっかけは、意外にも「パソコンとスマホ」だった|tayorini by LIFULL介護
https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/column/kaaigamon/
これ Blender なのすごいな、実物のフィギュアにしか見えない https://twitter.com/witchy_h/status/1249819654232526850
「共に栄える」と言うが不倶戴天では
「印鑑とデジタル化について問われ、「共に栄えるためにはどうすればいいかということに知恵を絞っていきたい」と述べていた。」
IT相「しょせんは民間の話」 はんこのデジタル化:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASN4G6D4CN4GUTFK00W.html
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「さまざまな境界線が滲み合い……」が575なので後に77が続いて紹介文も歌になっているのかと思った.
現代歌人シリーズ29 『リリカル・アンドロイド』 荻原裕幸|書肆侃侃房
http://www.kankanbou.com/books/tanka/gendai/0395
先日のやつはとりあえずcloseしたのでまぁぼちぼち…
https://github.com/ncrt035/lexiconGrammaticum
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インド関係書は全部実家に送ったと思っていたが中村元『インド思想史』が残っていたのでジャイナ教の動向に関するところを読んでいる.
不殺生(アヒンサー)の他に無所有の戒律もあるので,厳格な教徒は衣服すら纏わない裸形を通すというのは聞き知っていたが,白衣派と裸形派の分裂が前300年ごろの飢饉に発するらしいことは知らなかった.
「伝説によると当時中央インドに大飢饉があったために,一部の京都は一時南方インドに移り,そこで厳格な苦行を行じ,その後中央インドに帰った.ところが他方,中央インドに残留していた教徒は,恐らく困難な生活状態のゆえに,宗教上の規律を守り得ず,また聖典を完全に保持し得ない事情に陥った.そこで彼らは白衣を着用したりなどし,また新たに聖典を編纂した.これに対して南方から帰還した教徒は残留教徒の始めたことを否認した.そこで両者の間に分派・対立の萌芽が生じ,後に西紀一世紀の終わりには両派は明確に分離するに至った.」(中村元『インド思想史』pp.79-80)
ジャイナ教徒は厳格な戒律ゆえに就きうる職業が限られる.
「在家の信者にも不殺生戒の厳守を要求するので,信徒は農業ないし一般に生産に従事することを好まず,職業としては商業を選ぶ傾向がある.ジャイナ教徒は商業(とくに金貸業と販売業)に精励し,正直であるため信用もあり,富裕であり,前世紀までのインド民族資本の過半数はインド全人口の〇・五パーセントにすぎないジャイナ教徒の手中にあったといわれる.ジャイナ教は宗教と資本主義との関係について問題を提起するインド最初の事例である.」(同,pp.51-52)
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今,佐々木隆治『カール・マルクス――「資本主義」と闘った社会思想家』(ちくま新書,2016)を読んでるんだけど,著者の佐々木先生は新MEGAの編集委員なんですよね.
何でMEGAの編集を日本の研究者も分担しているのだろうと思って文献を探していたら,
竹永進「日本におけるMEGA²の編集」『経済研究』23, 71-90, 2010.
がマルクス・エンゲルス全集の編集の歴史と日本がそれにどうかかわっているかを俯瞰しているようなので,日本における編集作業のところを読んでいる.
https://ci.nii.ac.jp/naid/40017103550
http://www.daito.ac.jp/research/laboratory/economics/publication/laboratory/file/economic_review2009_takenaga.pdf
へー!
「日本には,マルクスとエンゲルスおよびその他のマルクス主義著述家の著作のおよそ一世紀にわたる導入・翻訳・研究の伝統が存在する.彼らの理論と思想を受容するための努力は大学の研究者によっても社会運動・労働運動関係者によっても行なわれた.」
「相当数の大学図書館と個人がMEGA²オリジナルの継続購入を行っていたし現在も行なっている.その多くはこれまでに出たMEGA²の全巻を保有している.日本は,各巻の売り上げが200部を超えるMEGA²にとっての最大市場国である.これは,日本以外ではどこにも,おそらくドイツやアメリカでも見られない特異な現象である.」(p.81)
これはマルクス・エンゲルス研究に限らず言えそうなことですね…
「マルクスの経済思想と理論への前述のような伝統的な強い関心とそれについての研究活動にもかかわらず,日本の研究者達は常に言語的・文化的ハンディに悩まされていた.また,マルクス研究のレベルについての自信にもかかわらず,彼らは自らの研究活動の成果を諸外国に知らせることができなかった.彼らは外国語で書かれたテクストを繙読・翻訳して西欧起源の科学や思想を吸収することに熱心であったし,そうすることにはかなり長けていた.しかし,若干のまれなケースを別とすれば,自分自身の研究成果を外国語で発表しようと考えることさえ,大部分の日本人研究者にとっては問題外であった.」(p.84)
後半の編集作業の諸プロセスについて書いてあるところ,テクストの校訂をするのだから当たり前だけど,マルクスの悪筆の解読から抜粋の出典特定など,きわめて文献学的な研究がなされていることがわかってめっちゃ面白いですね.
ほんとだ,「ぞくぞく」でʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔが出てくる…
https://twitter.com/hommejasmin/status/1250318507654262784