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5月26日発売
「歴史とはなにか。ユダヤ民族とは何か。ユダヤ古代史における重要書。
地中海世界はローマが席捲し、ユダヤ民族のなかからはイエスが登場するという大きな変動の時期にエルサレムで生まれたユダヤ人の軍人、そして歴史家であるヨセフス。自らの出自とユダヤ民族についてを論じた「自伝」、そして他民族の歴史家によるユダヤ民族への批判的評価に対して反駁した「アピオーンへの反論」。偏見と暴力にあらがいながら、現在にも通じる問題と向き合い続けた古代ユダヤにおける重要な思想家ヨセフスの二つの著作に、第一人者の解説をあらたに付した決定版。」
青土社 ||宗教/神秘主義:自伝/アピオーンへの反論 http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3431
飲み終わったコーヒーカップを洗おうとする → トイレに行きたくなる → トイレにコーヒーカップを持っていく
タスク格納方式がLIFO
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salame「サラミ」のdiminutivoがsalaminoで複数形だとsalaminiだからフォスコロのAjaceのO Salamini「おおサラミース人よ……」が「おお小さなサラミたちよ……」に誤解されるというネタがあった
フランス語の逆接の接続詞mais「しかし」がラテン語のmagis「もっと,一層」に由来するのは,綴りを見れば気づきそうなものだが,最初にこの基礎語彙を学んだときにラテン語源にまで思いをいたすかというと必ずしもそうではないかもしれない.
sed magisのようにセットで使って,先行のものを打ち消し「~というよりはむしろ……」と言っていたところからsedがなくなってmagisだけが残ったのだろう.
いずれにせよこの由来がmagisであることを知っているとmais(イタリア語のmaも同様)が強調の副詞としても使われる(Mais oui「もちろんです」)ことも繋がりを以て理解できる.
ギリシア語で明後日を言うのにμεταύριονという語があるようだが,古典期では用例がないらしい? GIは拾っていない.
LSJだとμεταύριον the day after to-morrowで出典はGloss.(=Glossaria)だから古辞書の類に出てくるだけらしい.Supplementへの指示もあるのでそちらを見ると,διὰ τῆς μεθαύριον というのが紀元後6-7世紀のパピルスにあるらしく,現代ギリシア語のμεθαύριοも参照せよ,と.
ということで古典語の範囲だとεἰς τρίτην (ἡμέραν)とかεἰς ἔνηνが普通ぽい.