曲紹介に挙手したら渋られるランキング暫定1位の山川です
🏖️ 山川 夜高 / YAMAKAWA Yodaka
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小説、絵、装丁・デザイン
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面白かった!トドロフの幻想文学序論の後に読んで正解。
トールキン批判の内容は正直同意できないけど、幻想文学の視座を一つ加えてもらった感。ブックガイドとしても良し。原書刊行は1980年ごろ…だったかな?たしか。
序文と結論から、本書の骨子でありそうな箇所をそれぞれ引用。
幻想文学はこのようなやり方で、文化的秩序の基盤を指し示し、ほのめかす。どのようにかといえば、幻想文学はわずかの間ではあるが、無秩序な状態への、違法状態への、法の外側に横たわるものへの、支配的価値体型の外側にあるものへの扉を開けて見せてくれるからである。
幻想文学は、文化の語られぬものとみえぬものの痕跡をたどる。沈黙させられてきたもの、見えなくされたもの、覆われて「不在」にさせられたもの。(…)語るとは、支配的秩序の言語を使用すること、それゆえにその諸規範を受け入れること、さらには秩序外の怪しげな領域を覆い直すことである。無秩序に対してのこうした探求は、支配的な文化秩序内部の基盤からしか始められない。だからこそ、文学的幻想はその秩序の限界をあらわにする指標となる。「非現実的なもの」についての探求は、「現実」の領域——幻想的なるものがそれ自体との差異によって問いかける領域——に相対することによって始まる。
幻想文学は「現実」を虚にし、現実の不在、大いなる他者、語られず見られないものを暴き立てる。トドロフが書いているように、「幻想文学は我々に、我々が幻想文学に頼らぬ限り近づけはしない地平の横断を許してくれるのである」。後半にかけては、秩序回復に留まるのがいわゆる(ハイ)ファンタジーで、既存秩序の転覆を書くのが幻想文学である、みたいな論調だったんだけど、刊行後に著者がエンデをどう捉えたのかが気に掛かる。
幻想文学は、絶対的意味への、限定され「了解された」世界以外の何かへの憧れを表現する。しかし、「魔法の国」の物語と疑似宗教的物語が聖なるものへの郷愁を通じて機能する一方で、現代の幻想文学は後ろを振り返ることを拒否する。それは、裏返された神話の一形態であり、現存しているものの内にある未知のものに焦点を合わせ、一見すると充実している現実の内側にある空虚さを発見する。不在そのものが前景化され、テクストの意味的な中心に据えられる。刊行当時はトールキンやルイスをファンタジーの主軸とする研究が多数だったそうなので、その潮流を変えたかったんだろうな……。指輪物語読んでその理解にはならんやろ!!とも思うが。。
キャラクターのことは相当好きになったけど、この話が面白い(=品質を満たしている)のか分からないし、なにより皆にとって面白いかどうかは全く保証しない