村上春樹『パン屋再襲撃』のメモ。この作品が人気なのは「わかる」。村上春樹の「日本人が大好きなとこ」がこれでもかと短く詰まってる。それはわかるのだが、男の自分が読んでも思わず「キモ......」とつぶやいてしまうくらいのセクハラ、性的虐待、ミソジニーが、「やれやれ」と同等の頻度でマシンガンみたいに乱射される。春樹は昔の作品ほどきちんと読み直されたほうがよい気がする。https://scrapbox.io/eyehatesns/パン屋再襲撃
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
村上春樹『パン屋再襲撃』のメモ。この作品が人気なのは「わかる」。村上春樹の「日本人が大好きなとこ」がこれでもかと短く詰まってる。それはわかるのだが、男の自分が読んでも思わず「キモ......」とつぶやいてしまうくらいのセクハラ、性的虐待、ミソジニーが、「やれやれ」と同等の頻度でマシンガンみたいに乱射される。春樹は昔の作品ほどきちんと読み直されたほうがよい気がする。https://scrapbox.io/eyehatesns/パン屋再襲撃
村上春樹のミソジニーについてはこちらにまとめてみた。まだ数冊しか読んでないのだが、ぼーっと読んでいても、これだけのものがたっぷり出てくる。村上春樹にとって、特別な子以外はどれも「女」で全部同じ。避妊に対する意識はウンコ以下で、女性がバッグにコンドーム入れてただけで「売春婦と思われる」と「忠告」する。
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フェミニズムを否定するような「弱者男性」なんか1mmも支持せんけれども「弱者男性」ってワード自体がダメってのはどうなの? 「社会的に弱い立場にいる人たちがこの言葉を奪っていくべき」とのことなので「そういうこと」なのかもしれないけれど、自分は「弱者男性」って言葉で表現されるような困難や苦しみはきちんと認められるべきだと思ってる。
①この社会は言うてまだまだ恋愛至上主義である。②恋愛には「強者」がいて「弱者」がいる。③弱者であることで著しい生きづらさがある。
①から③は「たしかに」なんだから、そういう苦しみがない世界を目指していくべきだと思うし、人間にはさまざまな側面があるので、恋愛という側面において「強者の女性」と「弱者の男性」で、後者のほうが辛い立場に立たされってるのはそりゃそうだろうだし、それを認めても別に何も問題は発生しない。
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だから「弱者男性」こそ自分たちの「脆弱性」とそこから派生する苦しみを認める、認めさせるとともに、「他者」の脆弱性や権利についても断固支持してかないといけないのに、もう全然運動論的にダメダメなんだよな。
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中期っていつまでなのか知らんけど、そうなんだ。
村上春樹、不思議な魅力があって、それは「やってること言ってることはドメスティックな、ザ・日本なのに、なーーんか雰囲気が日本を超えたワールド」を感じさせるところなんだよね。
村上春樹で頻繁に語られるテーゼが「起ったことはもう起ったことだし、起っていないことはまだ起っていないことなのだ」なんだよね。いいことしようとしても失敗するしその逆もある。だったら何も選んでなんかないってことにしたほうがいい、とか。もうこんなの日本人大好きでしょ。ところが「この感じ」がなんか「欧米個人の自由な風」を感じさせるっていうか。違うんだけれども。ザ・日本人の願望にビビビと寄り添ってるんだよね。
https://scrapbox.io/eyehatesns/起ったことはもう起ったことだし%E3%80%81起っていないことはまだ起っていないことなのだ
あと、一番の不思議は村上春樹、どっからどう見てもクソみたいなミソジニーこじらせた、多くの女性が嫌ってやまない「クソおじさん」でしかないんだが、なぜか女性にも大人気ってところですね。「ケッ、お前ら矛盾しとるやんけ」という森のルサンチマンもあることは否定せんのだけど、でも、それ以上にここには何かが「ある」。女性蔑視的だったり、レイプ表現バンバンあるけれど、なんかコージーで落ち着くんだよね。
「弱者男性」って言葉を奪い返す上でも「モテないことは辛いことである」を認めていかないと。辛いんだよ。そしてその「辛さ」が性別によってまた異なる立ち現れ方をするのも事実でしょう。じゃあ、どうすれば「弱者男性」が救われるかって、恋愛やセックスごときで人間を分断し性愛をコントロールしようとするこの文化と制度の打倒しか方法がないので、積極的にフェミニズムやクィア運動を支持してくしかないじゃんね、っていう。
村上春樹のセックスって「ただただセックス」なんだよね。それが今の世の中だと「なんじゃそら」なんだけど、当時はやっぱり性に過剰な意味を持たせられていたわけで。「ただのセックスじゃん」なのでやたらどうでもいい女の子と寝る。でも「ただのセックス」って認識なので、避妊に対しては意識が薄いため、バッグにコンドーム入れて他だけで「売春婦かい」って言ったりしちゃう。
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マジレスすると、自分は嫌いだから正しく憎むために読んだり見たりって結構します。むしろ単なる娯楽、楽しむためだけに何かを摂取する人に対して「信じられない」「つまんないやっちゃなー」と思うことが結構ある。まあ、毎日それじゃ嫌だけど。
ちなみに村上春樹は最初は「言うてもおもろいやんな」と思って読んでたけど、だんだん本当に苦痛になってきました。
感情の問題じゃないのでは。感情的に「辛い」とか「辛くない」だったら「辛い人もいるんだ」「少なくないんだ」で済むのかもしれないけれど、それこそ「個人的なことは政治的なことである」だからな。
なんか男性が自身の辛みを言語化しても(それを男ってしないよね、辛さや弱みを認めないよねーって批判されてるので)「気のせい」「そういう個人もいるんだ」ってなっちゃって、それって要するに「気合いで耐えろ」になりがち。要するにただのマッチョ。
気のせいなんかじゃなくて構造的に「恋愛至上/市場主義」ってあって、その圧力のせいでめちゃくちゃ生きづらいよね。
「男の辛さ」を言語化したら「女のほうが」「他のマイノリティのほうが」って言われちゃうなら、男性は自分の辛さを言語化するためには「女の辛さを否定しメリットをいいつらう」しかできなくなる。それはそれ。これはこれってしていかないと、不毛な対立ばかりになるし、その間にしょーもない連中に回収されちゃうと思うけどな。
この国のシステム、一部の金持ち以外は誰も幸せにしてないでしょ。多くの男性も「不幸だ」と思って生きてる。バカバカしいよ。
「Xの辛さ」を主張したら「でもYだって辛いんだ」って否定してくるやついたらウンザリなのに、「Yの辛さ」を否定するために「そんなこと言ったらXなんてこんな辛い」って言う人がゴロゴロいる。
分断されてそれでハッピーなのは体制だけじゃないですかね。
ナンシー関は昔「私は正しく理由をつけて人を嫌いたいのだ」みたいなこと書いてたんだけど、あんまりそういう思考が今はないのかもしれない。
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読んだり相手するのはなんだかんだで好きだからだろうとか言われるとイラっとするな。それ言うなら何も言えなくなる。
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でも、全くその通りで、要は「やってること言ってることはドメスティックなのだが....」ってことですよね。この、こういう「村上春樹的なもの」に日本が「甘い」んだよね。そこもすっごく気持ち悪いなって思ってる。
自分という人間がほとほと嫌で、もう消えてしまいたいのだが、昨日までむちゃくちゃ元気がなく、動くのすらつらかったのに、今日は何を言われてもムカつく、ケンカ売られてるような気持ちになってる。
もうどうしたらいいのかわかりません。単に異常なんだと思います。
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東京在住以外にも「東京」があるのが東京だからな。在住ってだけで「こうだぞ」って言われるとクッソキモいな。
「いる」か「いない」かで言ったら「いる」でしょ。そりゃどこかには、いる。でも「いるかあ?」って言われてる時点で、既にそういう意味では「いない」じゃんね。答え出てる。
きれいな瓶にインゲン系の豆をそのまんま入れるだけやで。塩水は5%。お好みで八角とかにんにくとか入れる。でも、そういうのないほうが汎用性高いから便利とも言われてる。二週間くらい放置して発酵したら食べごろです。
自分は「あとで刻むのがめんどい」ので今回は最初から刻んでみました。
iPhone、買い替える必要があるので買い替えなければいけないはずなのだが「マジでスマホなんて使わないのでどーーーでもいいのに、PCよりも高いの納得いかない」ので予約にも失敗したし、もうどうでもいいやってなってる。みんななんだかんだいってPro買ってるしPro、どうせしばらく手に入らないんだろうし。たかがスマホじゃん。バカバカしい。
耳が痛くて音楽がまったく聴けなかったのだけれど、なぜかワーグナーだけいけるっぽい、というか、かかってないと落ち着かないようになった。
音楽に限らず、突然「それしか入らん」というモードになり、しばらくするとあれだけ毎日摂取していたものが今度は一切受け付けなくなる。
毎日インドカレーを作って食べていたが、突然パクチーもカレーも見るのも嫌になり、毎日コンビニ弁当。それが気持ち悪くなって、今度は「毎日でもビリヤニ食べたい」になってる。
機嫌や気分も落ち着かない。自分でコントロールできない。昨日までは落ち込んで何を見ても何も感じなかったのだけど、今日は何を見てもイライラする。どいつもこいつも何も知らんし理解もしてないし大したポリシーもないくせに、自分のことは棚にあげてナメた口ききやがって、みたいな気持ちに気づくとなっている。一番自分を棚にあげているのは自分なのに。「お前が自分が言ってることが正しいと思えてるのは、自分の論理のおかしさに気づけないくらいお前がバカなだけだよ」って気持ちになる。これがまたしばらくしたら「自分以外全員なんて立派で賢いんだ」という気持ちになる。もうこの気分の変動が嫌だ。
ワーグナーなんか真面目に聴いたこともないのに。今は何時間でも聴いていられる気がする。「何時間でも聴いていられる」状態が何日も続き、そして突然「1分も聴いていられない」状態になる。この状態と自分がどのように付き合っていけばいいのかわからない。
Mastodon、自分の投稿が他の人にブーストされてるので、他の人のタイムラインを見に行くのだけれど、ブーストされた自分の投稿だけ見えなくなってしまった。なんでなんだろ。
@noellabo ありがとうございます。どなたのブーストも表示されなくなっています。私の投稿だけでなく、他の人のブーストされた投稿も見えないことが多々あるようです。原因はわかりません。
誰にも見られないメモを書けばいいだけと思うかもしれないが「誰にも見られない」だと自分の場合、めちゃくちゃ自分に甘えてしまう。自分しか見ないのをいいことに適当なことを書きすぎる。適当すぎて書くのもサボる。でも、人に見せるのを意識しすぎると今度はウケばかり狙おうとする。思考が歪む。
自分の場合、「自分以外に誰も見てない」場所のほうが、自分の視点だけを過度に意識してしまうらしく、結果検閲が強く働く。
自分しか見てないと「自分という観客を喜ばせる」というモチベーションが低いため、メモを書いたり投稿する気が失せる。
ものすごく鬱だったのが、昨日突然パンクブーブーの漫才を連続視聴したくなり、見ていたら急に楽しい気持ちになってきた。もうこのチューニングの難しさに絶望してる。