@YAMASAKI 私はQ10で買った記憶があります。
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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Kindleで買うと語句検索できるからめちゃくちゃ便利。たとえば「村上春樹と川上未映子の対談で、川上が『多崎つくる』に関してどんな質問してるんだろ?」と思ったら「多崎」で書籍内検索すれば、読まなくても何書いてあるのかわかる。
便利なアプリ、たくさんあっていいし、それぞれに最適な使い方が違うのであれこれ組み合わせることになるんだけど、新しいアプリを使うと、今まで使ってたアプリのどれか使わなくなる。競合するアプリって意味じゃなくて。アプリ、あれもこれも使うの苦手だな.....。
今はメモ、ブラウザ、カレンダーはAppleの公式アプリ使ってる。だって使いやすいんだもん......。リマインダーはRemember The Milkだけど、最近使ってないなあ。ポモドーロ用にFocus to doって使ってみて、これはいい感じだけれど、習慣化用アプリでStructuredって使ってみたけど、なんかあっちもこっちもって感じでだんだん頭混乱してきた。
アウトライナーも使ってみたけれど、すぐに見なくなったな。いちいちアプリを見にいく機会がないので、使わなくなっちゃう。
RSSフィードも使わなくなった。結局、Mastodonをチェックしてしまうな。それも今はあまりやってない。人口減ったよね。
このYoutuberさん、最初見ていたときはわりかし真面目に「詭弁」を提示するスタイルだったけど、今見たら「DJSODAさん反対も擁護もどっちも論点ズレてってますよね?」「DJSODA側も実は詭弁使ってますよね」って話をしていて、ウンザリした。「詭弁を教える」教育系Youtubeのはずが、いつのまにか視聴者が言ってほしそうな「詭弁の指摘」を詭弁を使ってするスタイルに.....。
この方が言いたいのは「立場の対立で論破の応酬をしていても合意は形成されない」「勝つため、世の中を変えるためには合意形成を志向するべき」ということなのはわかるんだが、真面目にそれ言ってもウケないから、ワザと炎上ネタに絡め、「どっちにも与しない」スタイルを取るっていう。
DJSODAが「服装と性被害は関係がない」と言ったのに対し、ひろゆきが「関係がある。22人に1人は服装が原因で性被害にあっている」って言ったことを紹介「だけ」するのとか、単に「議論の応酬を紹介しどちらにもくみさず公正中立に」しているが、その結果、「DJSODAの主張は誤っている」と強く示唆する論法をしていて、それこそこれ自体が詭弁でしかないし......。
でも、もう今は「そういうこと」「そういう世の中」なんだろうなと。特定の立場にコミットして熱くなるんじゃなくて「冷静に詭弁を見抜く」。そのスキルやワザは立場によらず「使える」から、それだけ身につけるのが一番人気が出るっていう。「詭弁を見抜く」「詭弁を指摘する」がそうすることでの相手への印象操作という詭弁にしかならないクソネット議論という未来しか見えないな。
議論の応酬をしても世の中はよくならないし、対立をしても相手が考えを変えることも、外野のオーディエンスが「こちら」を支持してくれるようになるわけでもない。だから、対立を志向するのではなくて合意形成を、ってのはその通りなんだよ。
他方で、Youtubeってのは「そういうメディア」だから「あの炎上ネタの正解教えて」という欲望につきあってあげなくちゃいけない。
だから、オープニングで相手が好きそうな掴みで誘導して「どっちもどっちで詭弁と論破の応酬なんですよ」「やめましょうね、そういうの」に持っていくと。けれども自分のスタンス、立場については一切を明言しないっていう。めっちゃ賢いし、「正解」なんだろうけど、なんだろうね。この正解と「正しいこと」がズレていく感じは。
間違ったことを言ってる人がいる。言っちゃダメなことを言ってる人がいる。止めなければいけない。で、否定するしかないのだけれど、否定しても止まるものでもなく、なんなら「ネタ」として盛り上がるだけなので、下手すると、っていうか多くの場合は「ダメ」の推進にしかならないのだが、だからといってスルーするわけにもいかず。じゃあ、どうすればいいのか?って考えてるんだけど「SNSというプラットフォーム自体が破綻してる」としか言いようがなくなってるんだよね。
たとえば今出てる話題でも、認めるのか認めないのかとか差別か差別じゃないのかと「踏み絵」を迫る前に、共通の土台を確認し、同意取れるところは同意とることを先にしないと本来はダメなわけでしょ。
だけど「差別」に関する反対は議論の余地のないことだとされているので。明白な差別であるのにそれを「議論する」ことはそれ自体がある種の差別であり加害であるわけで。だから速攻で差別糾弾に今度はなるわけだけど、そうなるともう合意の形成なんてほぼほぼ不可能。
そこまでして素人に意見を開陳させて一体我々は何をやってるんだ?っていう。
「全員を強制的にリングにあげる」んだけど「リングに上がったら負け」なのがSNSでしょ。だから「リングにあがらない」という倫理的選択をしようとすると今度は「傍観者は加担者」だってことでこれまた強制的にリングに上がってるのと同じことにされる無理ゲー。
だからハメ技でしょ。LGBTにPZNは入らない!って言ったら「そうやって自分たちは差別するのな!」。入りますって言ったら「みなさーん、聞きましたあ?」ってやる。どっちにしてもLGBT運動ってのはひっどいんですよ、って言える。「どっちにしてもダメなハメ技」ってわかってて、そこに、乗る?
この「ゲーム」の構造自体を問い直さないといけないって思ってるんだけど、それは「メタ的認識に立とうとする、自己肯定だけが大事な中立気取りのカシコ」と変わらなくなっちゃうわけでしょ。
私が「正しい!」って思って話に乗っても、より大きな被害、ダメージに遭う、遭遇するリスク高くなるのは別の人たちなわけで。
みなさんはひろゆきの本なんて読まないから知らないでしょうけど、ひろゆきは自分は誹謗中傷をしたりそれでメシ食ってる側ではなく、誹謗中傷に心を痛め、これをなくしたいと本気で思ってる側の人間だという自己認識ですからね。
"僕自身は誹謗中傷がはびこるネットの未来を案じています。そうした未来を少しでも変えるためにもっと褒める機会を増やしていこう」と思っています。実際に2020年4月から定期的に、コロナ禍で必死に頑張っている専門家に感謝を伝えるツイートをしています。
ネットにずっと親しんできた僕は、誹謗中傷の声を完全になくすことはできないことは理解しています。
よく評論家から「匿名で書き込みできる2ちゃんねるが誹謗中傷や差別の温床になっているから、サイトを閉鎖しろ」などと言われることがありますが、たとえ2ちゃんねるを閉めたところで、ほかのサイトで行われるだけなので、意味がありません。”『シン・未来予測』ひろゆきp.195
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私は文学にイデオロギーや倫理を求めないくらいには「サバけてる」し、「ロリータに欲情するとか許せん!」とナボコフを糾弾したり、「犬を殺すな!」とスティーヴン・キングに苦情入れたりするつもりはないが、それでもメタ的にいわば距離とってミソジニー垂れ流してるだけなのか、作家の認知の限界がダダ漏れてるだけなのかってのは違いがあるからさ。
村上春樹もナボコフと同じように読もうとするんだけど、作者の「ダダ漏れ」がキツくて。「そうじゃない」証拠も探してるし、皮肉と見る読みもしてますけど、それでもキツいですね。
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私は村上春樹はウエルベックと同じタイプの作家で「密教」と「顕教」の二重構造だと思っています。
密教的には(わかってるやつには)「バカじゃねwww」「ウケんだけど」なんだけど、顕教的には(カネまきあげたいバカな大衆相手には)「現代人の深い絶望と心の闇、それでも生きていく希望と実存を象徴している」みたいに思ってもらうっていう。
エリート相手にだけ文学的評価を求めて書いても売れないしカネになんない。大衆相手に売れんかなだけで書いても評価してもらえない。そこはある程度わかってやってると思います。
ただそれでも結構天然ボケがひっどい感じはしますね。ここを「意図的にやってる」とかは言えないかなあ......。
ウエルベックも売れてるみたいだけど、びっくりするくらい読まれてないというか、アホみたいにシリアスに読まれてますよね。やる気なくして鬱になった中年がそれでも人生にかじりつこうとして若い恋人とセックスしようとするんだけど抗うつ薬のせいで勃たないし.....みたいな「こじらせ中年アホやん」小説なんだけど「文明の隘路に追い詰められた近代人の絶望を描いてる」とか思われてそう。
桑田佳祐はご趣味がよすぎます。大好きですね。言葉はエロそうですが、ちっともエロくない。桑田佳祐にエロ感じたことないなあ。あれは「逆プリンス」。性的な湿り気全然ないのに言葉だけでイキがる感じがかわいい!っていう感じです。
私はウエルベックは大好きで春樹が苦手なんですが、たぶん、日本人の多くは春樹は大好きで、ウエルベックは苦手なんじゃないかな。ウエルベックは売れてるけれどほとんど楽しまれてない、単純に「話題作らしいぞ」「読まねば」的に買われて積読されてるだけだと思ってる。春樹も最近は完全に飽きられてるんでしょうね。話題にもなってなくない?
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少量の水と牛肉を追加。牛肉はゴロッとした赤身を入れてます。牛肉は可能なら事前にスパイスとかにつけておく。自分は今回は、スパイスとラッキョウの塩漬けの汁につけときました。ラッキョウの汁なのは意味はなし。なんか汁余ってたんで。スパイスは好きなもの使ってください。黄色くしたかったらターメリック。辛くしたかったらチリ系。あとは好きなもの入れたらおっけーで、クミンとかコリアンダーとかそういうやつがベースでいいと思います。
トマト缶入れて煮込む。あと塩も入れる。塩はお好み。自分は気持ち多めに入れてます。水分とんだら火を止める。
好きなだけパクチー刻んでいれたら完成です。これ以上においしい作り方あるのかもしれないけれど、これ以上に簡単な作り方はない! 肉も切るのは包丁で。まな板レスのワンバーナーっすわ!
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その話題流れるだけで辛いってこともあるし、自分もストレスだからキーワードミュート、はじめて使うわ。
と、フィルター設定してからいうのなんだけど、私は「どっち」にも乗れないんだよね。「どっち」とかじゃないでしょ、って思うし。きちんと丁寧に話すしかないし、てか、それなんのためなの?ってのもある。
「有害なもの」は切り捨てていいってことになったら、「Xは有害である」さえ証明した「ことにすれば」Xを排除できることになってしまう。「有害」認定は基本マジョリティの胸三寸になりかねないし、切り捨てるのが「有害なもの」から「無用なもの」「役に立たないもの」まで拡張される危険もある。だから「可能なかぎり」排除しない方向で思考するのがもっとも、っていう発想があるんだよね。かわいそうとか傷つけないようにとか寄り添うとかじゃなくて。
みんな「どこで対立しているか」の前に「どこで同意や一致を見ているか」を確認する癖つけたほうがいいよ。自分がバカだと思うならなおさら。バカだと思わない? ならあなたはバカです。
しっかしまあ、よくそんだけあれこれと分類の用語が出てくるなと思うし、それを皆が一斉に言い出す感じ、どこからなんだろう?って疑問。
ツイッターやマストドンの「リベラル」なんかは、こういう思想文脈があまり見えていないんじゃないかな。
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読書捗るととらないといけないノートも増える。増えると時間が足りなくなる。
読書だけじゃないな。何でも考えるのが好きな人に「お題」「キュー」を与えてしまうと考えてしまうので無限に時間を吸い取れる。
別に特にこれといって関心が強いことじゃなくても、人はクイズを出されると答えを考えてしまう。 #マストドンポモドーロ部
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Andy MatuschakのEvergreen Noteって考え方がおもしろい。それについて本人が解説した記事というかサイトが完全にwiki状態になってて「前から記事を順に読んでく」形をしていない。この方法のほうが自然だし、今後はブログ記事とかではなく、こういうやり方(全世界公開のメモ)というあり方が増える気がする。
ブログの記事って「記事」というまとまり方をしているせいでリサイクルができない。そうではなくてもっと小さい単位に「アトミックに」メモを切り分けて、記事書く時はそれらを組み上げて使う、という発想。
今のSNSは「知の構築」のあり方から一番遠いんだなってよくわかる。心理的安全性が低く、間違うこともできないため、アイデアを書くこともできないし、書いたアイデアが「流れていく」ので蓄積されない。短文の制約があるため、個々のアイデアは構造化されず、中には瞬間的なインパクトを持つものがあるが、それだけ。感情を刺激しドーパミンを放出させ、ユーザーに物事を考えさせないように考えさせないようにさせるだけだ。唯一いいのは「書き込む敷居が低い」ことで気軽にナレッジを出させることができる点くらいでは。
小学6年生から「でも処理水安全なんやろ」と言われてショックを受ける。トリチウムだけでも将来の長きに渡った場合の影響について慎重であるべきだし、そもそも他の核種が含まれないとも限らないって言ったら、ショック受けてた。
これに対し、ScrapboxやObsidianのようなノート、メモが知のストック、ファーミング(育成みたいなニュアンス)に対して有効すぎて。「そっち」から見るとSNSのどーしよーもなさが際立ってしまう。
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SNSの言葉、最初の頃はみんなが自分の言葉で語ってる感じがあって好きだったな。なかなか普段なら聞けない言葉が聞けて、多様な視点や現れがあることで惹きつけられた。けれども、今は言ってることが正しい正しくない以前に「人の言葉」で語る人が増えた印象。判で押したように、一斉に同じタイミングで同じような言葉を使って同じようなことを言い始める。どんな話題でもプロコンさせられるし、話題に乗らないと傍観者と罵られ、乗ると「対立」を実現しているプラットフォームの構造強化に使われる。
今のSNSは、自分が「個」であると認めてもらうために「場」に「個」を一体化させるモーメントが非常に強い。本当は逆で、しっかり「個」でバラバラになって考えた上で、それを他の誰かの思考の材料としても使えるように、インターネットという「場」においておくイメージ。
誰もが読書できる社会、道半ば 過去作の電子化少なく 点字・録音、ボランティア頼み║朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/DA3S15732679.html
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notestockはぜひみんな登録してほしい。登録した人の投稿は検索すると引っかかるようになるので、とても便利だし、他の人の話題も拾える。Twitterのようにバカの炎上ネタに使われたりするといやだけど、今のところはそこまでフェディバースが密集地帯でもないので大丈夫だと思う。
SNSでの投稿は、(特にツイッターのような「できあがった」場では)オーディエンスを意識した内容にせざるを得ないけれど、本当に大事なのは「オーディエンスは気にせず自分のために」とるメモ、ノートだと思う。
これがまさにAndy Matuschakの言うEvergreen noteのコンセプトの1つなんだけど、彼はその「オーディエンスを気にせず書いたもの」をすべてパブリックに公開、つまり「オーディエンスが読めるように置いてある」んだよね。
それがすごくおもしろい考え方で。
自分もScrapboxでノートやメモとってたんだけど、その内容がおもしろくて。人のこととか付き合いとか気にしてないから、めっちゃ作品評とか辛辣なんだよね.....。メモなので文章の完成度とかはまったくないのだけれど、結構いいこと書いてある。これを公開したら....って考えるとワクワクするけどやっぱり怖いですね。
オーディエンスを意識せずに書き、それをオーディエンスが読めるようにするって、すごく難しいんじゃないか。でも、今やってるのはオーディエンスを意識して書いたものが結局、その場にいたオーディエンスに届くだけで、本当に必要な人に届かない。それは違うなって思ったんだよね。
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自分はAmazonしか使ってないですね。地方で自動車ないし、あっても都会みたいに、あちこちで買い物場所があるわけじゃないし。プラットフォームに対する反抗、不買以外になんとかしないと、一部の人たちが抗議してもほとんど効果ないと思うし。
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五藤隆介の本で知ったのだけど、Evergreen noteの考え方が非常に有益。情報を溜め込むのではなく、理解するためにノートを取る。定期的に見直す。
五藤氏の本は正直、このサイト読めば十分、こっちのほうが断然いい、って感じ。あ、でも、最近出た『アトミック・リーディング』のほうはすごくおもしろかったし、腑に落ちた。そっち読むのをおすすめします。
昔はSNSって「自分の言葉で書く/語る練習」という意味づけができたのだけど、今は「他人の言葉をそのまま使って自分の言葉で書かない」ためにあるかのよう。既にある言葉を並べてるだけで自分が何か言った気になってしまう。
なぜそうなるかと言うと、インプットとアウトプットの距離が近いから。インプットの場とアウトプットの場が近接してるから、インプット即アウトプットしてしまう。そこに「構造化」や「熟成」がない。アイデアを寝かしてないし論理を組み立ててない。
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"Beware: it’s too easy to let others’ schema and ideas dominate your own. It’s hard to hear yourself think."
「気をつけろ。他人の枠組みや考えに己を支配させるのはあまりにも容易である反面、自分で考えることは難しい」
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