何か嫌なことがあって、精神状態が悪くなるならわかるんだけれど、話は逆で、まず精神状態の異常があり、そのせいで何でも「嫌なこと」に感じてしまい、何もできなくなる。感情って何のためにあるんだろう。
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
何か嫌なことがあって、精神状態が悪くなるならわかるんだけれど、話は逆で、まず精神状態の異常があり、そのせいで何でも「嫌なこと」に感じてしまい、何もできなくなる。感情って何のためにあるんだろう。
ネットで「大激論」「炎上」してるという漫画が紹介されていたので読んだのだけど、まさにその炎上とそれによるPV増加、炎上しても最終的に自分はどこかで逃げられるような「安全設計」だけでできているような作品だった。最近こんな漫画ばっかりじゃない?
某氏が「基本的に、ネットの諍いをPVに変換する手口としてのお話」と評していてほんとその通りだなと。我々の政治的な怒りが、今じゃアテンション、PVに、要するにプラットフォームや作者の収益にしかならない構図にもううんざりしている。
10年くらい前までは「ネタにしておもしろがってるんじゃなくて。きちんと怒ろうよ。マジの何が悪いの?」ってモードだったけど、現在はマジになるなよ〜ネタじゃーんってからかいは姿を消し、代わりに「マジになってくれればくれるほどそれがネタとなりエンタメになり収益構造が強化されるシステム」がのしてきてしまった。
もうはっきりいって、瞬間的な怒りや批判はほとんど何も効果がないんじゃないだろうか。いくらネットで「ドリル優子」と騒いだところで、まずそもそも「ドリル優子」を知らない若者はTwitterなんかを主戦場にしてない。「HDDにドリルで穴あけたんだぞ」と言って「HDD」から話が通じるかどうかから心許ないし。瞬間瞬間の話題で噴き上がるんじゃダメで、重要な問題についてリアル交えて動いていかないといけない(リアルで動いてる人をリアルで支持していかないといけない)んだけど「そうはならない」。SNSが「自分が書いた文句が他人にも読めるテレビ」程度になってる。
「頭は悪くないし感情的な他人と違って感情抜きに自分は冷静に判断できる」と思ってる多くの日本人の政治に対する考え方は、この記事とだいたい似たようなものなんじゃないだろうか。(ご本人も書いている通り、偏見を多分に含んだもので、それを整理して書くことで、その上で自分の考えを発展させるために書いていることだと思う。「違うな」とは思うけれど、なるほどと読んでいる)
まず、感情をゆさぶられることをとても嫌う。「事実」についての指摘なら受け入れるが、少しでも感情的な物言いがあると「アジってる」と感じるのだろう。ところが、よく考えてみるとこの「感情的なのは好きじゃない」というのが感情なんですよね。
感情とそうでない事実が明確に切り分けできているのであれば(できているからこそ感情的なものが混じっているので苦手とか言ってる)別に何言われても感情だけ切り分けて、事実だけ淡々と調べていけば有用な情報が集まるわけで。
要するに単に「自分が受け入れたくない事実を受け入れなくてもいい理由としてその発話者が感情的である」というエクスキューズをつけてるだけなんですよね。
感情的な物言いを嫌うのはなぜかというと、自分が感情的だからですよね。感情的な物言いが感情的に苦手である、っていう。
別に感情的であることが悪いとはまったく思いませんが「自分が感情的である」という事実をまず認められれば見え方も変わってくるとは思いますが、多くの人は「自身が感情的である」という端的な事実を感情的に認められない、認めるのを避ける強い傾向を持っているんですね。
だから、自分が感情的に認めたくない主張をされた場合に「私が感情的なので事実を提示されても認められない」のではなく、「事実を提示されてるのかもしれないが感情的に提示されているのであまりそういう物言いは受け入れたくない」という感情的な判断になる。
勉強をしないのは、お母さんの「勉強しなさい」の言い方がよくないからだ、みたいな話なんですね。
SNSでポリティカルな投稿するのは結構だけれども、結局それがデモへの参加や署名への呼びかけくらいにしか繋がってない気がする。具体的な団体への献金とかボランティア支援とか、そういう方向に行けばいいのに。行ってるのかな。
感情的な物言いが嫌いって人、結構いるんだけど、感情的に自分が動かされたのだとは思いたくないという感情の影響でそう考えているので思いっきり感情に影響されてると思う。感情的でなければ、何言われても感情部分を適当に無視して事実だけ繋ぎ合わせればいいだけなので。
本当に嫌なのは感情なのではなく、政治的に「動員されること」なんだよな。動員されるということは自分を「色付きの存在」に変え、たくさんの矛盾を背負い込んだ上で「お前が日本を悪くした」と言われる可能性を請け負うってことなんで。そんなことするよりも現在の政治を「与えられた環境」とみなし、その中でそのルールをハックしてく発想をとったほうがコスパが圧倒的によすぎるんだよな。
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@100 なんつーか「そうなった」のもつい最近って気がするんですよね。もちろん焼き鳥屋で「橋本さんもさ」とか台所で「小泉さんが」って昔っからあるんだけど、それでも「一線引いてた」感じある。
自分は、むしろ「馴れ馴れしくしたら失礼」という考えから「オノ・ヨーコさんは」ではなく「オノ・ヨーコは......」とやってるんだけど、それを「失礼」だと考える失礼な連中が結構いて、もう、だから、だるい。
今も文字通り、睾丸にホルモンジェル塗って、それで凪だった感情が攻撃的になったり意欲的になったりしてるわけで、自分の「感情」なんてキンタマに塗るゼリーで決まってんだなーって思ったらなんか悲しくなってきてしまってね。
自分が考えてることは無駄なんで。おもしろくもないし。無駄でおもしろくないだけならいいけれど、自分でも覚えてもいられないですしね。それに古いと思う。この世界の中に、これからも。居場所ないなー。やりたいこともない。
「そんなことないですよ」と言われたくて言ってるのではなくて、とにかく書いてりゃ自分の気持ちを客観的に整理し、どこかに道があるかもしれないなって思って書いてるだけでね。
すごくおもしろそう!中身絶対読みたい!と思ってお金出して買った本、翌日にはまったく読みたくなくなってるんですよ。一文字でも頭に入ってこない。そんなことが定期的に繰り返されるし、生活習慣とかでコントロールできる範囲が非常に限られており、最も効果が高かったのが「ホルモンの投与」だったので、もう、何をどうして生きていったらいいか、まったくわからないんだよね。
愛情も友情も長続きしない。諸行無常。せめてきれいな思い出だけ残っていけばいいんだけど、人間、ネガティブバイアスあるので、あんなこと言われた、こんなことされた。恨みだけが結局残る。自分も含め不器用な人だらけだし、多くの人はみんなどこかが壊れている。
まあそんなことはわかっているので、せめて今だけ楽しもう、今を喜ぼうって思ってるんだけど、それが鬱だとできんでしょ(笑)。詰んでるよね。
iPhone15、予約販売開始とともにサイトに何度も複数端末からアクセスしたけど、どれもまったくつながらなくて。東京住んでる人たちがみんなiPhone ProだのMaxだの予約したー!って言ってて、どうせ四国差別だろってバカバカしくなってなんかそのままになってしまった。
今のiPhoneがすぐ電池切れるし、画面回転しても検知しないし、クッソ不便だから買い替えないと「いけない」だけで。通常ほぼすべての作業はMacbookでやってるし、Macbookのほうが画面もでかいのに、当初これ11万円くらいで買ってて。iPhone一番安いのでも13万円とかなの納得いかない。
政治についてもコロナについても、いちいちこちらがウォーニング出してさ。いくら出してもらっても「でもなー他に選択肢ないし」「コロナも落ち着いたし」とか言うだけでオッケーな甘えきった連中に何か言うのももう完全にバカらしくなってる。
自分は四国の田舎に住んでるし、普通にしてたら会える人、話せる人、交流できる人に限界があるんですよ。だからSNSが救いだったんですけどね。でも、どんどんつまんなくなっていったし、イーロンの買収がとどめになった。
友人ともコロナで会えなくなってね。まあ、コロナが理由ってわけでも本当はないんだろうけれど。
もう脳がグチャグチャだし燃料がゼロなんだと思う。動かしたところで、動いたところで何にもならない機械だが。
「安倍って呼び捨てか!」とか言うバカ、そもそも説得不能だし、別の言い方しても「こんな言い方がよくない」とか、要はなんでも貶してくるタイプなので無視していいと思ってる。安倍呼び捨ておかしいとか気にするなら「共産党は名前が悪い」とか気にしたほうがいい。