悲しい夢を見て夜中に何度も目を覚ます
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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チャゲアスがサブスク解禁されたので、SAY YESを聞き返し、その歌詞について考えてみました。矛盾だらけのこんな歌詞が大ヒットした往年の日本......。
君に逢いたくて逢えなくて寂しい夜に「このまま二人で朝を迎えていつまでも暮らさないか」って言ってるの笑ってしまう、誰いるの
あまりにメロディが素晴らしくよどみがないので騙されるんですよね。甘ったるい恋人どうしの歌のように思わせて、実は非モテの勝手な妄想だとしても完全に筋が通るという。
自分としてはチャゲアスの歌詞の読解とか、そっちのほうが圧倒的におもしろいと思うんだけど、SNSで拡散されるのは李琴峰がどうしたとか、北村紗衣が誰に絡まれたとか。そんなことばっかりで。特にXが一番ひどくて、外部記事へのリンクはXからはほとんど読まれてないんだよね。ぼくはXではフォロワー17000人いるんだけど、もうほとんど「フォロー」ってのが意味ないんだと思う。
元投稿消えてた
逢えなくて寂しい夜は過去では?という投稿にたいしてです
整合的な理解としてはそうなんですけど、歌詞のあいまいな表現からそう時系列を整合させるように想像する習慣はどこから来るんですかね
もちろん「君に逢いたくて逢えなくて寂しい夜」という描写は過去のある一日で、それに対してサビでまったく別の日のことについて歌ってる可能性はあるし、そうであると解釈してもいいけれど、ポイントは「同じ日のこと」だという解釈「も」成り立ってしまうってことで。
ポリスの「見つめていたい」がラブソングのようにも見えるけど、ストーカーのようにも読めるみたいな感じで、SAY YESも「思い通じる恋人どうし」の歌のようにも「思い込み激しい男の思い込み」のようにも読めると。
で、そういう両義性あるところが「101回目のプロポーズ」の主題歌としてピッタリだなと。曲はほんと天才にしか書けない名曲だけど歌詞もすごくいいなと思いました。
李琴峰の言ってることに問題あるかどうかと、それが差別であるかどうかと、差別であったとして李琴峰がヘイターだと言えるかということと、全然別のことだと思うんだけど。
X見てると、李琴峰が自分への問題行動を問題にしようとしたけれど、むしろ李のほうが問題あるという投稿のほうが広く拡散される結果になってしまっているように見える。
他のSAY YESの解説も見てみたけど、みんな「恋人同士」の歌だと思ってるみたい。自分はなんか飛鳥のねちっこい歌い方と、しつこく「迷わずにSAY YES」って言ってるところにむしろハラスメント味を感じて。気になって見てみたら、たしかにもうこれはほぼ無理やりイエスと言わせようとしてる男のようにしか見えない(笑)。そういう、論理が飛んでいるようで、実は素直に状況が伝わってくるかのような飛鳥の作詞がすごいなって思った。SAY YES https://scrapbox.io/eyehatesns/SAY_YES
歌詞読解、楽しいからたまにやってる。こちらは木綿のハンカチーフ。
同じく松本隆の「Romanticが止まらない」。Romanticが止まらない https://scrapbox.io/eyehatesns/Romantic%E3%81%8C%E6%AD%A2%E3%81%BE%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84
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しかし本当にSNS、投稿が読まれなくなってる。逆に時事ネタや炎上ネタに言及しようものなら簡単にいいねもフォロワーも稼げてしまう。でもフォロワー稼いだところで特に意味はそんなにない。なぜなら誰もフォロー関係で投稿など見ておらず、アルゴリズムのおすすめで見られるかどうかが決まるから。そしてこれから先、AIを噛ませるようになれば人ではなくAIが先に「アルゴリズムによってフィルタリングされた投稿からさらにフィルタリングして」くれる。ますます「人に読んでもらう」が難しくなっていく。
しかし、そんなにまでして「人に読まれ」て、だから何なのかとも思うし。読んでくれる人のほうが、AIなんかよりよっぽど無思考で自動化されてたりもするわけで。SNSがどうとかって時代は完璧に終わってて、でも、今後「人に何かを伝える」ってどういうことなのかって再考せざるを得ないというか。
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「俺を説得してみせなきゃ世の中変わんないよ」系の人、そもそも単なるレイトマジョリティだったりするからな。
で、SNSはじめ「インターネット」が「楽しくない」として、自分の余生も考えて、じゃあ何が楽しくて、何を求めてってなると、本当にもう特にしたいことないんだよな。いや、そら適当にでっちあげることはできるし、適当なでっちあげでいいっちゃいいんだけど。
自分はキャンプ、韓国料理くらいにしかもう興味がないかも。
最近、人と話していても、AIと話してるのとそんな変わらないような気持ちになってくることがある。だからか、なんかお笑いの動画とか見ちゃう。今のAIにはそのタイミング、そのレベルで、鬼越トマホークと同じこと言うのは無理だから。
Xは、ぼくのような人間のアカウントでも「クルド人を日本から追い出せ」系投稿が「おすすめ」されてくるからさすがにやばい。かと言ってMastodonは、なんか思い込み強い非常に偏った、異論を許さない極端な人が固まっているように見える。この人たちが仮に正しいとして、そこに「何か」を伝えたとしてだから何なのかという気持ちになる。
自分が今、本当に楽しんでいるアウトプットはScrapbox(現在ではcosense)というサービスにアップしているブログ記事のようなものくらいだが、そこに記事をアップしてもほんと読まれない。たとえば今回書いたチャゲアスの記事は割とおもしろいと思うんだけど、現在「アクセス数が」80くらい。
でもまあそんなものかとも思う。SNSのインフレに慣れすぎてるだけかも。古の「ホームページ」だったら一日カウンターが10件もまわったら「おお!」という感じだったし、何人が読んだかではなくて「誰が」読んだかが大事だったから。書評を書いたら、著者から丁寧に「おもしろかった!」とメールをいただいたことが何度かある。そういう交流のほうが夢があったのでは。
今回の記事も、ぼくが普段からおもしろいと思ってる人たち何人かから「おもしろかった」「笑った」という反応があった。それがよかったし、それでよいのでは。
そもそもが「おもんない」上に自分の信じたいことを信じてるだけの連中に「同意です!」とか「正しい!」とか言われたからといって、だから何なのか。同意の前に理解しているかどうかすら怪しければ、そんなもの、無でしかない。いらんよなー。
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余計な投稿などないよね
すべてが君と僕とのレスバの構えさ
少しくらいのデマやマウントも
まるで僕を試すような
アルファの犬笛になる
このまま二人で
引用そろえて限りなく燃やさないか
リプにはリプで感じあおうよ
まとめサイトに並ばないように
何度も言うよ 君は確かに
論破されている
ブロせずにSAY YES