最近楽しいので胡散臭いチャラ男のコスプレをよくしてるんだけど中身は全然変わらんからずっと人混みでトホホ〜〜〜😭って言い続けてる 人混みが苦手なチャラ男
最近楽しいので胡散臭いチャラ男のコスプレをよくしてるんだけど中身は全然変わらんからずっと人混みでトホホ〜〜〜😭って言い続けてる 人混みが苦手なチャラ男
最近センター分けのちょっとパーマがかった短髪に丸眼鏡がちだから似合うんだよな 胡散臭い格好が
最近よく「トホホだな」というような表現をしてしまうが、トホホな状況ってトホホという表現が一番似合うんだよな
https://twitter.com/guigui_semete/status/1787070634297798865?t=xdfIE5xuX-OaMOgdmhZskQ&s=19
長谷酸を恋愛形式に則った好きや嫌いやパートナーとして見ることがないんだけど、もしこうなったときに「あいつに?……え、じゃあ俺かもな……」ってなる長谷部は、見たい
「私は少ない友達に対してこんな激重感情を抱いているのに、その友達たちにとっては私はたくさんの内のひとりなんだ」というような嘆きが流れてきて、でもその激重感情ってあんまり責任が伴わないこと多しだよな、と思ったりする
他者分の責任を引き受けることって重くて、勝手に相手よりも自分の方が重いと過程しているその感情の重さって、質とか密度とか、含まれる成分が一緒なのだろうか?と思ったり
他者と一緒に生きることを実践していると、関係を構築するにあたって好きな感情だけで全部が大丈夫になることって多分ないんだろうな 生活の一部を切り売りしたり感情や交遊のコストを地道に明け渡し合ってはじめてなんとか頑張れる、みたいに要因がたくさんあって、”好き”の万能でなさを感じる
なんというか、”好き”な人全員に同じことはできないだろうな、というか……それは好きのグレードとかそういうことじゃなくて、もっとこう多層的な……運であったり相性であったり打ち出す回数であるような、難しみが……あるというか……
関係というものの構築も維持も全部困難だからこそ、「私ばっかり好きなんだ」といういじけ方の、いやもっとこう……色々あんじゃないかな?別に相手も好きじゃないってわけでもないと思う……という気持ちが出てきてしまう
まあでも当人にとってはそれ(執着やかける時間の多さなど)が”好き”ということである、ってことだから、それはまあ、そうなのか……
ちょっと思うのは、他者って愛犬ロボじゃないので「愛したいときに愛する」だけじゃ済まないということがあんまり加味されていなそう
他者、意思があって生活があって人生があって、やりたいこととかやらなきゃいけないこととかやりたくないことがある、普通の存在がち
他者を猛烈に好きになってアプローチした末に他者にも猛烈に好かれたときに発生する責任の、量
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俺はなんかコンサバ?みたいなタイトスカートとブラウスとかなんかそういうのが似合う骨格っぽいので程よく洒落た感じが欲しいときは適当にそういう感じの着てたんだけど適度だから着てる以外の意味合いはあんまなく、今チャラ男のコスプレしてると割と楽しいので、向いてるのかなと思う
コンサバみたいなんも嫌いじゃないんだけど、多分”自分”すぎるのが楽しみきれない要因なのかなと思う 他者に認識されて内面化してきた性別とか大人しさとか持ってる骨格とか含めて、似合っているからこそ鏡見ても”自分”が小綺麗な格好をしているな~でしかなくて、チャラ男のコスプレについては人生でチャラ男だったことが一度もないからおもろくなる 変身願望の亜種なのかな まあコスプレって感じだしな
人生で一度もチャラ男じゃなかったし内面も別に全然チャラくもならんオタクの人見知りだから格好とのちぐはぐさが顕著で、妙に似合ってるけど”自分”ではなくて、そのちぐはぐ感こそが落ち着く、という側面もあるか こんなちぐはぐでも社会を歩いてていいんだな~という感じ
他者からの認識と自意識の乖離が苛む人生だったからこそ、他者からの認識と自意識の乖離を自分から選ぶことが逆に癒やしとして働くというか リプレゼンテーション?というか
かっこいい格好をしたら今度はかわいい格好もしたくなるので、やはり私は真ん中になりたいというよりは全部になりたくないし全部になりたいんだろうな
それは属性からの解放も意味していると思うし、同時に期待を背負うことからの逃避も強く願ってるんじゃないかなと思う
強烈にブレない個性があると他者から”こういうイメージ”を望まれてしまうことを恐れてブレさせている側面がかなりある
たとえばチャラ男コスプレだってずっとやってたら「そういう人」と思われるから、思われる前にブレさせて印象を曖昧にしたいというか 期待外れになる前に期待をさせないような動きをする
酸素スキーも「ずっとそれだけをやってる」が重くなってしまわないように他ジャンルにハマったら素直にその側面を出してそれだけではないんだな、にしようとしてるんだと思う それでもまあイメージ強いと思うが、なんか斥力みたいなのがあるんだ 俺の中では
過去に酸素が長谷部の真似をして「俺」の一人称を使ってみたところ、長谷部に「なんか違うんだよなあ……」と言われ、結局「僕」になった回
酸素が日本語を扱っているとき、長谷部のほうがネイティブであった言語を使っているんだよな……のネタを延々擦っている
夢の中で大きな声を出そうとしたけどうまく出なかったことだけ覚えてる 夢の中で大きな声を出せるようになりたい
そういえば昨晩は連休終わりで最悪な気持ちを慰めるため手巻き寿司を食べていました おいしかったです
「SNSで一切表明しないだけで何か停戦に向けてアクションを起こしている人はいる(からSNSだけで判断しちゃいけない)」ということを理性でわかっているし実際そういう人もいるだろうけど、ごく稀だろうなあとも思っている
SNSで戦争反対を表明することはアクションの中でかなり簡単な方ではあるから、それをしない場合は他のも多分あんましないんじゃないかなあ
そういや一応見とこうかなって察しの悪い雨穴見てみたんだけど思いの外面白くないというか、身内ノリキツくてやだったな
ネタとして完成された動画(きっちり出し物としての演技を整えて構成を考えて作っているもの)かと思ってたから高校生がショート動画で出すやつみたいなノリでなんかちょっとがっかりしてしまった 勝手にがっかりしているといえばそうなんだけど
「性別によって嗜好に偏りが出るような発言や育て方は一切してないはずなのに、」という親役割のひとの発言を見、なんかそういうとこじゃないかしらん…と思う
子供に与えるテレビとか絵本とか外出時に見かける他人とか音楽とか社会を規範づくるあらゆる要素が性別による嗜好の傾向とやらに反映されてくると思うし 男女では生物の特性として絶対に嗜好に違いが出る、と言っていいのはまったく条件を同じにして白い部屋から一切出さずに育てる実験をした上じゃないと難しいんじゃないかな
「生物特性として男は車や機械が好き」って意味わかんないし 車なんてつい最近流行り始めたもんなのにそれが遺伝子として刷り込まれるのか?
子供の知り合いがいないので子供だった頃の記憶を頼りに喋るんだが、子供の興味って多分初期には薄く広くいろんなものに向いているけど、その中で「好きなもの」や「趣味」として固定するためにはそれに対して反応することと継続が必要で、その反応や継続の対象を決める際に、親の反応とか各種メディアからの情報とか友達の空気とか外出時の周囲を観察して決める傾向にあるんじゃないのかな、と思ったりする
みんなやってるやつの方が続きやすいんじゃないの 遊ぶ相手もいるし、文句言われないし、「なんで?」って言われないし
直接口に出してなくても親や親戚や友人からの「この子ちょっと変なんじゃないの」って空気感、案外伝わってると思うし こっそり聞いてるとかの話でもなく、言外に含まれる猜疑心みたいなものがダメージとして蓄積されていく感じ
チャラ男のコスプレ、キャラクターすぎたので描いといた
同性婚が法制化されていないことによって生じる現法律の不具合を同性CP創作の参考になります!フムフム!と無邪気に消費している姿を見、はあ……そうですか……と思った
野菜の値段と同人誌の値段の注目度を比べることで「生活を切り詰めてても同人誌とは素晴らしいもの」という風な言い分を主張しているのを見たが、農業従事者にまあまあ失礼な言い方ではある と同時に、これは別に同人誌と野菜の違いではなく優先度の違いで、同人誌の中にも野菜みたいに値段を気にして買わない選択をしているものがあるんだろうなと思う ただそれを大っぴらにTwitterで言うのは角が立つから野菜と比較しているだけで
野菜の中にも「高いけど……買っちゃえ!」って代物があるように、同人誌の中の「買う本」もそういう力学がはたらいてるだけで、本質として変わるものでもない
たとえば今メインじゃないジャンルの、そこまで熱烈なファンというわけではない描き手の本を「まあ今回はいいかな」と見送る動きは誰にでも発生し得る(みんな資産家ってわけじゃないからね)
「オタクにとっては二次創作をするみんなの優先度が平等に高いんですよ」という言い方が巷には溢れていて、見るたび欺瞞だと思う そんなわけない
「オタクは同ジャンル二次創作者などのことをみんな愛することができる」みたいなの、欺瞞だ……
上遠野作品二次創作はできる限り買ってるけど(少ないから毎回全部集めても破産するような数じゃない)
「優先度なんてありません、みんなが平等に大好きです」という欺瞞で身体をコーティングし続けたらいつか動けなくなるのではないかと思ってしまう 自分自身もまた欺瞞によって誤魔化され、他者による優先度の秤にかけられているから、それを突きつけられたときクッションがないんじゃないかみたいな
酒は別に好きじゃないのだけど、小ちゃいのをいろんな種類たくさん食べるという行いが好きで、おいしいおつまみとおいしい飲み物を携えて談笑する行為への強い憧れがある
今ふと”かわいい”には所有欲が必ず接続されたりするのかもしれない とか考えた 検証してないから仮説だが
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そして少額だけどUNRWAに寄付した 金額選べるよん
作業中に流し聞きできるものが元々ほしいからエロゲとかやってたんだけど、地の文とかにはボイスついてないからちょっと困ってたんだよな 朗読は全部読んでくれるね 当たり前だが
視覚で補う情報が少ない方がいいからアニメだとちょっと視覚情報多いんだよね 立ち絵ゲー系だとぐっと視覚情報が減るけど、地の文は読んでもらえない
私は文章めちゃ読むの遅くて、なんでかって言うと意味が頭に染み込むまで一文を繰り返し読んでしまうからで、朗読だとその辺りが強制的に流されるのも良いかも 全体を読んで内容を掴む→気になったところを細かく読む のプロセスで読めたらいいけどいまいちできないんだよな~
”クリエイター”への侮辱とか、AIを使用してるとか、そういう企業に対して強く反感を覚えて騒ぎになって不買運動でも起きそうなのを見るたび、イスラエル賛同企業にも同じくらい反応してくれたりしないのかなと思う
まあ琴線に触れるポイントは人それぞれだし、ツイッターではそもそもそういう話題のウケがいいからどうしても偏るという傾向はあろうが にしたって ねえ…
Appleに限らず大資本が傲慢な商売をして文化を根こそぎにしたりする事例は多くあるから、今ある職業者を軽んじる表現にNOを突きつけることはもちろん大事だと思うけど、でも差別とか虐殺とかにも同じくらい怒らないのかなあって 思う
大資本の嫌さで言ったら今まさに国内で裏金議員どもと癒着してるズブズブカンパニーなどがありますが、そちらについては……
件の映像はたしかに品がないなと思うものの、同時にどうして品がないと感じるのか、「クリエイターへのリスペクト」が何を指すのかもわからないなと思う
たとえばギターをぶっ壊すロックンロールがあるけど、(多分そう言ってる人もいるが)基本的にはリスペクトがない所業とここまで言われることはない 「そういうもの」であることが大事だったりするんだろうか ロックとは破壊だみたいな……
”クリエイティビティ”を主張するための映像でクリエイティビティを破壊しているから反感を覚えるということ?IT関連では「そんなもん過去の遺物だろ」「カススペ」「化石」とか前世代の機械を貶すことままあるけど、クリエイティブ関係だとそれは通用しない的な
物を壊すということへの忌避感は実際あると思う 日本語圏でインプットされる物を破壊することへの忌避感がクリエイターへの侮辱感と接続されて増幅されているのかなと思うが
自分にも”道具”そのものへの愛着みたいなものは観測できるので、やはり思い出があるか、量産品でなくそれなりに高いものでありかつ長く使うものかどうかの違いだったりするのかな たとえば古紙を回収してリサイクルする映像に不満を抱く人は少ないと思うし、たとえば業務用裁断機がスクラップになって新しくカッターに生まれ変わっても嫌悪感のある人は少ない気がする
アニミズム信仰の面ってまああるんだろうとは思うけど、”物”というより”思い出”への感情な気もする いや付喪神的な思想ってそういうもんか?思い出や愛着のあるものを大事にするっていう
あの映像に関しては「そもそもセンセーショナルに演出されている」というところが大いにあるが…
多分完成品
んーたしかに近畿地方のある場所について はWeb版の方がよかったな 本だと物語として”完成”しすぎている
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女キャラの陰部の形がはっきりわかるような形で張り付いてる衣装を見るたび、絶対股のあたりの着心地悪いだろうな……と思う
道具や食べ物を大切にしよう、という意識は私の中にもあるが、同時に恣意的に優先度のつけられた”大事”だな、とも思う
いろんなものをちょっとずつ食べることが好きだからでっかい1メニューをひたすら食べるのに向いてないというのもある 飽きちゃう
だから野菜って好きなのかも 野菜は野菜と括ってはいるものの食感のバリエーションが豊富だから
服を繕うことを覚えて、ほつれてきたら繕うか〜という考えが浮かぶようになった 一度繕うと生活の中に繕うという選択肢が入り込んでしまうということ……
趣味に生きることを「普通の生活」から外れているとしている発言を見て、世界観狭くねえかな…と思った
「普通に生きる」が結婚や出産や労働に偏りすぎていて、「普通」ってせっっっっっっま~~~~~~と思う
健康で労働ができて生殖をする異性愛者以外普通だとしない社会のことマジで嫌いだな~キモいし 帰れよ
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そういや免許更新せなあかんけど原則キャッシュレスになってんのムカつくからわざわざ現金払いにしようかな
新居の説明をするとき第一声に「変な家ェ…ですかねえ……」って言っちゃう 栗原!ドアねえぞ!
実際今住んでるとこも引き戸はいつも開口状態で、開き戸邪魔だな~と思うレベルでドアの開け閉めをしないので、いらんということになった これがどう効いてくるかだな…フフ…
戦闘用合成人間諸氏よりは酸素って体術における”型”をある程度使うと思う あくまで通常の人間ではあるから(生前はね)、もともと筋力が桁違いで型がなくても制圧できる合成人間とは動きが違ってくるんじゃないかと
酸素の場合勢いを乗せるとかちゃんとやってかないと破壊力がでないけど、合成人間なら適当に正拳突きするだけで破壊力が出る
フィクション等で”リアルな心情”として描かれる感情などの描写を自分の中でちゃんと点検してみると「ないこたないけど別にそこまで比重は重くないかな」ってことが多く、でもこの点検って一旦やってみないとフィクションの方に感情が流されていってしまう気もする
フィクションで描写される”真実味”に気圧されて、そこまで大きくないものを大きいと錯覚してしまい、「大きいのが普通」と認識してしまうような
ドラマチックな感情を”劇”的な感情と称するようにそれは劇であってリアルではなく、だからこそリアルに生きるひとびとがその劇的さに憧れ、そして同時にリアルなもっと平熱の心の動きを素晴らしいものと思えないのもフィクションの功罪と言えるのかもね
感情は一方向に大きく揺れ動けば最高ってわけでもない その基準を作っているのが他でもないフィクションだ
そういう平熱の心の動きは、かつてはTwitterとか、今だとMastodonとかで見られるもので、生活に則したことばの貴重さってあるな、と思う 生活に則した平熱のことばはなかなか商業ラインに乗らず、どうしてもインディーズ頼りになる
進学において苦労したことなかったのは、家庭ガチャ当たりのお陰でもあるし、最初からある程度諦めざるを得ない生育環境のせいでもある
高校を選ぶということをしなかったし、大学も奨学金を使わなくていい代わりに国公立や県立以外は選択肢から外したからなあ
今どき奨学金使わなくてよかったのはかなり恵まれてるけどね でも高校で例えば知らない土地に行っていたら何か違ったろうかと思わんこともない
不満はかなりないが、生まれた土地だけでかなりのハンデがあったことは事実だろうと思う 俺が勉学に真面目じゃない上に上昇志向がないから悔しい思いをせずに済んだ
一度だけ学校関連でやってみたいことを伝えた上で折れたことはあって、それは悔しかった 悔しい思いをしたり切磋琢磨するというのがとても苦手だからかずっとそういうことを避けている
私にとっては首位を争って能力を研磨するより人と衝突して悔しくかったり悲しくならない方がよっぽど大事なんだろうと思う 人と気まずくなることが苦手だな
でも社会運動の方はどうにか頑張ろうと思える 自分のことから遠いからかも 自分のことを開示して否定されるのは嫌だけど、社会のことを主張するのは遠いから(本当は近いんだけどね)
この世、「いざというとき真剣勝負ができないといけない」みたいな価値観あって、そんなんやーだよと思う 勝負向いてない 何に勝ってるんだよと思うし
勝負から逃げている奴は不誠実で良くない、みたいなんあんじゃん でも勝負なんてする機会ない方がいいよ 勝負する意味もないし
人のいとなみってもっと複合的で要素がいろいろあるのに、勝負って1要素だけ取り出して勝手にルール作ってそれが上か下かって競ってて、でもそんなんどうとでもできるのに恣意的に選んだ要素の上下を競ってなんなのよ となってしまい……